匂激
放送室につくと、私達は机を向かい合わせて乾杯をした。
小学校の子供用の机と椅子でビールとツマミを楽しむのは、ちょっと気持ち良い罪悪感だ。
芋アナはアナウンサーなだけあって、私からスイスイ話を引き出していく。
住んでいる街の事や、仕事がてんでつまらない事、カレシが全然出来なかった事、でも最近素敵なカレシが出来た事……カッパなのはさすがに内緒だ。
「ほんでほんで?」とか「がっぺぇな(意味は不明)」という何とも言えない相槌が何故だかクセになりそうで、私もペラペラ喋る。
芋アナはすっかり打ち解けた私の相手をしながらも、ビール片手に音声機器をちょくちょくいじくっていた。
そうだった、芋アナってば仕事中……でもいっか。今日は祭りじゃないか!
「凄いなぁ、憧れちゃう」
私は芋アナを喜ばせたくて、素直な気持ちを口にした。
「そぉ? まンだ、やり始めたばっかよ」
「そうなの?」
芋アナ、テレビでのアナウンサーブリが凄く板についていたから、私は驚いて聞き返した。
芋アナはテロンと笑って頷いた。
「んだ、新人よ」
「へぇえ~、天職って感じ……」
「んふふ……そうそ、転職サしたのよ」
天職と転職を聞き違えたのか、芋アナがそう打ち明けた。
転職。
私がカパ郎との未来の為に、薄っすら脳裏に思い浮かべている言葉。
まぁ、私は今の会社に未練が無くて、場所さえ条件に合えば……なんて思っている程度だけど。
でも、やっぱり「キラキラ」働くとか、そういうのにはどっかで憧れもあったりする。
なので、芋アナの転職話に俄然興味が湧くのだった。
「アナウンサーの前は何をしていたの?」
「記者」
素っ気なく芋アナが答えた。
彼女の素っ気なさの意味が分からない私は、面白そうな職種名に反応した。
「凄い。何を書いてたの?」
今の彼女みたいに、大根の植え時とか、牛の出産やカッパ祭りの記事とか書いていたんだろう、と私は予想した。
「いんや~、くんだらない芸能ネタばっかサ」
「芸能……?」
私は眉をひそめる。
この村のローカル芸能人……一体何人いるんだろうか。
そして彼らの平均年齢は……? スキャンダルなどありえるのだろうか?
ア……だから、仕事がなくて……?
「た、例えばどんなの書いていたの?」
「そだなー、新連載ドラマや新作映画のあらすじとか」
「……」
ドラマなんてやってたっけ……?
映画……?
カッパの映画だろうか?
「そうゆうんは、好きだったナァ……読者さん、ワクワクしてくれるだろナって思えたし」
でも、と芋アナは続けた。
「たまたま大物芸能人の不倫デートを撮ってまった時があってね」
「……」
大物……?
頻発放送される草刈り機CMに出ていたオッサンと、鶏のエサなら「コッコのマキちゃん」CMのマキおばちゃん位しか思い浮かばない。
あの素朴な二人が、まさか!?
大根畑で大根を大根してたっての!?
「写メでパシャッとやっちまった。スクープ担当の先輩をアタシ、好きだったから……」
大根現場を!?
ああ、でも、なんかロマンスが絡んでいたんだね……。
芋アナにもロマンスがあったんだ!
「大騒動になったっぺさ……」
そらそうだ!!
「そっからよ、おかしな風にスクープにばっか遭っちまう」
「スクープ……」
草刈りオジサンとマキおばちゃん以外にも!?
この村、ドロドロだったんだな……。
「先輩の為に、アタシ撮ったンよ。もっかしてサ、先輩にこっちゃ向いて貰える機会なんじゃねえのって……先輩も初めんたぁは、喜んどったけんど……そのうち笑ってくんなくなっちゃった……」
「……」
多分、芋アナに何かのラッキーが続いたのかも知れない。
でも、続き過ぎて、芋アナは先輩のポジションを奪ってしまったんだ。
なんとなくわかるなぁ、と私はさっきとは違ってちょっと痛そうに笑う芋アナを眺める。
芋アナは人柄が良いし、かといって良いように利用出来ない「人あしらい」が上手い。
だから、上にも下にも周り中に好かれていたに違いないんだ。
彼女は部署で引き上げられた。
でもそこは大好きな先輩の席だった。
「色ボケてたぁ、アタシ。なんも見えとらんかった。色んな人らの人生晒して……先輩追いやって……」
「……」
なんだか凄い話を聞いているぞ、と私はドキドキするしかない。
それにしても、狭い村内のスキャンダルを次々暴いていったなら警戒され恨まれていてもおかしくないだろうに、彼女は村の人気者だ。
手柄は全て「先輩」の手の内に……?
イヤイヤ、だったら芋アナが「先輩」のポジションを奪ったりしなかったハズだ。
なんかが食い違っている。
「だから、田舎に逃げ帰って来ただよ。この村にね」
サラリと私の疑問が晴れる。
やっぱり。そうだよね!?
この村のスキャンダルなんて、犬に吼えられたとか、入れ歯を失くしたくらいだったもんね!?
……え、って事は……?
「芋野アナ……ちなみに、撮ったので一番有名なのは……?」
「んん~……福島マサハレが頭にストッキング被ってな……」
「!! そ、それ知ってる!! 北山ケスコに蝋燭垂らされてるヤツでしょ!?」
爽やかお兄さんキャラだったマサハレが、ストッキングを顔に被ってケスコに蝋燭を垂らされているセンセーショナルな写真を二面ぶち抜きで掲載したのは確か、大手出版社が刊行する『週刊スコープ』!!
下衆さではピカイチの週刊誌だ。
芋アナ、とんでもない戦場に立っていた……。
あの恍惚の表情を捕らえた人物が目の前にいると思うと、私は少し、ゾッとしない。
「凄い事になったもんナ~」
あ、意外とケロッとしている……まぁ、五年位前の話だしね。
マサハレもドМだから「もっと見て」になっちゃって、今ではそういうキャラで気持ちよさそうだし……。
ケスコもドSキャラをますます極めて、映画にドラマに引っ張りダコだしね。
「友達と絶望したんだよ~、まさかマサハレがドМだったなんてって……」
「いやはや」
「いやはやじゃないよ~」
「んだね。巧い事転んだけンど、もしかしたらって思うと怖かっただよ……」
「芋野アナ……」
「先輩には嫌われっちまうし、好きなドラマコラムも書けねくなってまうし、イヤんなっちまってね……ちょうど帰って来たら、募集かかっとって」
「……そっか、だから今は芋野アナウンサーなんだ」
ウン、と芋アナが笑った。純粋な笑顔だった。私には無理な感じだ。
「元々、お伝えするのが好きだっぺさ、皆が楽しい事をよ? ここだば、標準語も喋らんで済むし……」
「標準語喋れるの!?」
「はいそうですよ。都会では馬鹿にされますからね。聴き取って頂けませんし」
「……っあはっ」
なんだか、とても切ない。
イヤな切なさじゃない。
芋アナがますます眩しくて、それから、友達になってくれないかなぁ、なんて、珍しくそんな気持ちが私を包んだのだった。
「なんだかぁ、話すぎちったねぇ、スンマセン」
芋アナが照れくさそうに言った。
私は微笑んで首を振る。
私には、こんなドラマ、無いなぁ……。恋も、仕事も……。
そんな事を思っていると、芋アナがモジモジして私に何か言い掛けた。
「あの、りおなさん、よがったらアタシと……」
私は彼女の言葉をドキドキして待った。
彼女の言葉が終わる前に、自分の電話番号やメールアドレスを叫び出したいけれど、友情と言えどガッついてはいけない。
もしかしたら、「アタシと今度大根掘りにいがね?」とかかもしれないし……!!
しかし、芋アナの唇が最後まで動いたにも関わらず、唐突に響いた高い笛の音に、その言葉は掻き消されてしまった。
ぴょろ~、ぷっ、ぴーぽー……!!
「!?」
私も芋アナもハッとして、放送室の引き戸を見る。
「じっちゃんたち、帰って来なさったかな?」
首を捻る芋アナの声を聞きながら、絶対違う、と私は身構えた。
ヒタ、ヒタ……と、濡れた足音がする。
「なんだろうか?」
「……わからない……か、鍵! 鍵を閉めよう!?」
ウィッウィッ、ウィッ……。
不気味な笑い声が、廊下に木霊した。
私達は顔を見合わせて固まった。
出入り口の磨りガラスに、不気味な影が映る。……もう鍵は無理だ!!
芋アナが掃除用具入れから、T字箒を取り出して身構えた。
私もチリトリとモップを構える。
『百合の匂いはここからシャー……っ』
ガタガタ、と引き戸に手がかかる。
入り込んで来た手は、緑色で……水かきがあって……!!
引き戸がズズッと開かれる。
うわっ!? なにコレ!?
凄く……なにコレ!?
うわああぐぁっ……メンマ臭い!!
芋アナや六さんの田舎ッポイしゃべり方はテキトーです。




