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五十二話 「キャンプ #6」

 倉庫として使っているコンクリート造りの廃屋にイチカが入ったのを見て、彼女と2人で話をしたかった僕もその廃屋に入った。彼女は僕と2人になるのを避けようとするので、逃げられてしまわないようにまだ声は掛けない。偶然に会ったふりをするつもりだ。

 中に入って見回してみるとイチカの姿は見当たらない。それなら奥の小部屋だろう。小部屋からは外へ出られないので、僕は足音を気にせず奥に向かった。小部屋の戸は腐ってもうない。


「メトロ。いるか?」


 そう言いながら部屋の入口をくぐった僕は、イチカの姿を見て即座に部屋から飛び出した。


「ごめん!」


 イチカはシャツを脱ごうとしているところだった。シャツが首に引っ掛かって顔は見えない。その下に着けていたのは水着ではなく下着だった。あまり違いに詳しくはないが、肌色だったから多分そうだと思う。


 気が付くと僕はキャンプ場近くまで駆け戻っていた。あの建物から100メートル程離れた場所だ。他のことを考えるようにしても、さっき見た光景がつい頭に浮かんでしまう。通りかかった女性スタッフの胸を見て、もっと大きかったなどと思ってしまい、そのことで僕はさらに申し訳ない気持ちになった。

 言い訳になるが、床の砂を踏む音が結構大きかったので、まさか僕が近づいているのに気付いていないとは思わなかった。ただこの島はよく風が吹いているから、木々のざわつく音で彼女に足音が聞こえなかったとしても不思議じゃない。


「網矢くん。今日も日差しが強いから帽子は被った方がいいよ。日焼けで黒くなるのはいいけど、赤くなってるのは炎症を起こしてるってことだから」


 倉橋さんから掛けられたその言葉に、僕はあいまいに返事をするしかなかった。悩んだ末に僕は改めてイチカに謝ることにした。キャンプ場に戻ってきたイチカを見つけて声を掛ける。


「歩原。さっきの……」

「荷物を探してたら上から何かが落ちて背中に入ったの。わざとじゃないのは分かっているから気にしないで」

「あ、ああ。本当に悪かった」


 本来はほっとするべきことなんだろうけど、どうしてイチカはあんなことがあったのに平然としているんだろう。別に好意を持っている相手でなくても、下着を見られたら少しは恥ずかしがるものじゃないか。イチカにとって僕はまだ小学生の時のイメージなんだろうか。




 翌日の午前は浜辺で生物の観察を行った。水中の生物も対象なので、子どももスタッフも全員が水着で参加した。もちろん彼女たち3人も水着だ。イチカは腰から下がスカート状のワンピース。マナミはふわっとした生地のセパレート。陽向は機能性重視のスポーツタイプだ。

 昨日のことがあってか僕は3人の胸が気になってしまった。イチカは昨日のことを気にしていないと言ったけど、それは僕が故意に見たんじゃないと分かっているからだ。遠慮なく見ていいわけじゃないので、つい目で追いそうになるのを意思の力で抑える。全く何をやってるんだろう。自分が小学生の頃から成長していないことを実感した。


 ここで彼女たちに悪い印象を持たれたくないので、僕は別行動をとることにした。サーバーのある場所に移動して、子どもたちが海中にいるときに位置確認システムがどう働いているかを調査する。無線LANの電波は水中では遮断されるため、タグは後頭部のゴーグルのベルトに付けているが、それでも潜っている時は電波が途切れて所在不明になる。

 この時に毎回警報メールが出されるとスタッフが混乱するので、海岸線の外で周囲に人がいる時なら電波が途切れても2分間は警報を出さないようにしている。僕はそれが本番で予定通りに動作しているかを確認することにした。


 位置確認システムのサーバーは、信頼性を高めるために二重化していて、キャンプ場以外のサーバーは浜辺のテントに置いてある。このことを知っているのは、僕とリーダーの三沢さんだけだ。僕が浜辺のテントの中でシステムの動作を確認していると、足音が近付いてきて入口の辺りで立ち止まった。

 僕が入口を見ると固い表情のイチカがいた。彼女は僕がここにいることを知らなかったはずだ。僕に視線を向けることなくテントの奥へ入っていく。彼女は棚の前に立って、そこに並べられた箱の中身を確認し始めた。

 僕がその横顔を見ていると、段々とイチカの表情は苦しそうなものになった。心配になって作業の手を止め様子を見ていると。とうとうイチカの手も止まり、立ち上がると力の無い足取りで棚の裏へ姿を消した。あそこには何も置いていない。つまり移動する必要のない場所だ。さすがに放っておけなくなって、僕は彼女の後を追った。


 昨日のことがあったので、僕はわざとらしく咳をして、5つ数えてから棚の裏側に入った。ワンピースの水着がイチカの腰の辺りまで下ろされていた。




 気が付くとまたキャンプ場の近くにいた。今度はどうやってここまで来たのかも覚えていない。イチカが半ば水着を脱いでいた。その情報は確かに頭に残ってるが、実際の彼女の姿がどうだったかは記憶から飛んでいる。そのことが僕を少し安心させた。

 どう考えてもあれは変だ。たとえ相手が小学生の男子でも近くにいることが分かっていたら水着を脱ごうとはしないだろう。彼女は体調がひどく悪そうだったから、耐えられず吐いてしまってそれが水着にかかってしまったとか……。だけど着替えもないのに脱いでどうするというんだ。やっぱり理由が思いつかない。


 しばらくすると、スタッフが子どもたちを連れて浜辺から戻ってきた。その中にイチカの姿を見つけて僕が近寄っていくと、さすがに今度はイチカも恥ずかしそうな表情を見せた。いざ面と向かうと、僕は彼女になんと言えばいいのか分からなくなった。


「歩原……。その」

「サイズが小さ過ぎたの、あの水着。無理に着ていたら段々と息が苦しくなってきて」


 僕と目を合わさずにイチカは言った。本当か? 本当に苦しかったとしても男と2人きりの空間で脱いだりするだろうか。そんなに我慢できないほど苦しくなるものだろうか。理由がはっきりしないと、今後どうやってこんな事態を避ければいいのかが分からない。


 次の日の朝。思い出せなかったあのシーンが夢の中に出てきて僕は飛び起きた。目が覚めてもそのイメージは頭の中から消えなかった。顔を洗いに行った僕はまた倉橋さんに声を掛けられた。


「網矢くん。日焼けに効くローションがあるけど使って見る?」


 僕も健康な男子高校生だから3大欲求の1つである性欲はもちろんある。しかし小学生の頃にその事で悩み過ぎたせいか、誰かにその欲求を向けることを避けようとしてしまう。性欲があることを隠すつもりは全くないが、それで誰かが傷つくと思うと行動できなくなる。

 自分でもこの件では小学生の頃から進歩が無いなと思う。しかし嫌悪を感じている相手から性的な関心を示されることが本人にとってはセクハラ同然だというのは間違っていない。僕の場合は嫌悪どころじゃなく彼女たちから償いを求められている立場だ。今の僕は明らかにイチカをそういう意味で意識している。しばらくはイチカと2人きりになろうとするのを止めることにした。




 今日のプログラムは、森の中に張り巡らしたロープや木材を使ったフィールド・アスレチックだ。コースの一部は子どもたちが自由に作ってスタッフが安全性を確認する。トライアルの前にみんなで準備運動を行った。


 大人と変わらないほど大柄な男子に陽向が厳しい表情で話しかけている。サッカー部に入っている山本雄大だ。身長は160cm台前半だが体重は70kg近いだろう。太っているというより筋肉質のがっしりした体つきで、陽向に視線を合わさず聞き流している様子だ。


「どうした?」

「この子が組んだ相手に合わせず力任せにやるから、準備運動にならないんだよ」

「力を抜き過ぎたら、オレの準備運動にならないだろ」

「準備運動に力なんているか!」

「それはアンタのやり方だろ」


 口論の末、どちらの言い分が正しいかをこのコースのタイムトライアルで決めることになった。陽向は身長が168cmで体重は49kg。柔道52kg以下の軽軽量級では身長が160cm未満の選手がほとんどなので、他の選手に混じると彼女の細さと手足の長さが目立っている。山本も彼女の実力は理解できていないだろう。


 先に山本が挑戦した。小学生の平均だと転落無しで7~8分といったところだが、山本のタイムは4分51秒だった。力強い足取りに子どもたちやスタッフから応援の声が上がり、タイムを聞いて称賛の声が上がった。山本は息を切らしながらも得意満面と言った顔で陽向を見たが、陽向は逆に不敵な笑顔を見せた。


 陽向が走り出しても応援の声は掛からなかった。その必要が無かったからだ。無駄のない動きで軽々と走り抜けていく。比べてみると力強いと思った山本の動きは力任せという印象に変わった。陽向の体捌きを見た子どもたちやスタッフが感嘆のため息を漏らす。僕の気持ちは陽向に対する皆の評価にどんどん高揚していった。陽向のタイムは3分49秒だった。終わった後も息一つ乱していない。


「どう? そっちはもう一回測り直してもいいよ」


 山本は陽向のその言葉を聞いても再挑戦するとは言わなかった。多少の経験ぐらいで陽向のタイムを切るのは無理だと理解しているからだろう。


「オレはサッカー部だから、こういうのは得意じゃないんだ」

「アタシも柔道部だから、普段はこんなことしてないよ」

「柔道部? だったらオレにちょっと稽古をつけてくれないか」

「ここで? ダメだよ」


 ちょっとエキサイトし過ぎだ。僕からも山本に忠告する。


「やめておけ、山本。素人じゃ常雷には手も足も出ないぞ」

「オレは中学生の黒帯に勝ったこともある。こんな細いやつに」

「常雷は中2の時に全国大会ベスト4だ」


 山本は仰天した顔で僕を見て、次に常雷の方を見た。


「常雷が柔道を始めたのは小6の時だ。2年で全国ベスト4だから天才……という言い方は好きじゃないな。特別な才能があると言っていい。どういう所が特別かというと、まず空間での姿勢認識だ。自分と相手の体が今どんな姿勢にあるかを体の外から見ているように理解できる。2つ目は動作のキャンセルだ。サッカーをやってるなら分かるだろうけど、普通はフェイントと次の動作が一連の動きになっている。最初の動きで相手が反応したときだけフェイントにするなんてことはできない、でも常雷はそれができるんだ」


 少し鼻息を荒くしてそう言った僕に、山本がジト目で言った。


「常雷さんがすごいのはよく分かったよ。でもどうしてアンタがそんなに自慢げなんだ」


 ぐっ。なかなか痛いところを突くじゃないか、山本。


「アタシが強くなったのは網矢のおかげだよ。網矢先生と呼んでもいいくらいだ」


 常雷が顔を赤くして山本に言った。


「アタシが小5の時に、病気が治ったばかりのアタシに網矢はトレーニングの仕方を教えてくれた。最新のトレーニング方法で、日本だけじゃなく海外からも色んな情報を集めてくれて、アタシにも分かるこんな分厚い指導書まで作ってくれたんだ。今の高校でもビデオとかパソコンとかを使ってアタシを指導してくれてるんだ」


 山本は驚いて声が出ないようだった。去年助けた1人の矢野が僕に質問した。


「あの……。網矢さんって大学生だったんですか? 常雷さんたちと同じくらいかなと思ってたんですけど」

「いや、同級生だよ」

「じゃあ、小学生で海外の資料を集めて日本語の指導書に?」


 スタッフの村辻さんが僕に聞いてきた。ああ、これはだめなパターンだ。


「ええ、まあ。でも海外と言ってもほとんどは英語で、他の言語は翻訳サイトがありますから。専門の資料というのは単語が難しいだけなんですよ」


 僕の言葉にも関わらず、子どもたちの僕を見る目が明らかに変わった。あの時に陽向のためにしたことは、すでに陽向から評価してもらっている。僕の努力は十分に、いやそれ以上に報われているから、そのことでまた評価して貰うべきじゃない。

 そんな僕の考えを理解してもらうのが難しいことも分かっている。僕は次の準備があるからと言って、そそくさとその場を離れた。

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