18:深淵の穴
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出発し、ほどなくして深淵の穴に着いた。
大地にぽっかりとあいた穴は巨大で、端が見えないほどであった。
深さもかなりのもので、日の光は底を照らし出せていなかった。
「ようやくついたか……二〇年前と変わらぬな……いや、二〇年前は穴の中央に浮いた屋敷があったか。世界に悪夢をばらまいた屋敷が」
二〇年前の『大襲来』を終息させたロイドが、大きな穴の中央を見て感慨深そうに眺めていた。
「そうでしたな……あれがないだけでこの場所は落ち着けます」
同じく二〇年前の突入部隊に参加していたマイスがロイドと同じ場所を見つめていた。
そんな深淵の穴の中央を見つめる二人の前には、いくつもの石が墓標のように置かれている。
あれがノエリアの母親を含む、突入部隊で散った冒険者たちの墓であった。
並べられた石の数は数百個ほどだ。
二〇年前、それだけの命がここで散った。
「ここが、大襲来発生の地であり、俺の両親を奪った『深淵を歩く者』が生まれた場所か」
「ああ、そしてノエリアが生まれた場所でもあるな」
感慨深く深淵の穴を見ていたロイドが、俺のつぶやきに反応していた。
そうか……ノエリアはこの場所で生まれたんだったな……。
ちらりとノエリアを見ると、母親の名前が刻まれた石の前で、彼女は花をたむけて瞑目していた。
「多くの命が失われていった場所で絶望しかなかった状況の中でしたからな……ノエリア様がお生まれにならなかったら、自分たちは帰れなかったかと。そのノエリア様が二〇歳にまで無事に育たれたかと思うと……」
マイスもちらりとノエリアの方を見て涙目になっていた。
産まれた時からノエリアを知っている彼としては、主君の娘でもあるが自分の娘のように感じているのかもしれない。
「よい配偶者殿も見つけられたようですし、フロリーナ様も喜んでおられ――」
「マイス、わしは認めておらんぞ。勝手に話を進めるな」
「ですが、ノエリア様もそろそろ適齢期を過ぎて……このままでは行き遅れてしまいますぞ。ただでさえ、白金等級の冒険者で魔法にしか興味がないと貴族の子息からは煙たがられているのですし」
「馬鹿者、わしの娘は天才なのだ。王都のボンクラ貴族の息子なんぞ婿にもらえるか」
二人ともノエリアのことが大好きで大事にしているんだろうな。
過保護ではあると言いたいけど、大事な娘だからしょうがないんだろう。
マイスとロイドがノエリアの配偶者の話で揉め始めると、瞑目していたノエリアが沈黙の魔法を二人にかけていた。
「お二人とも、騒ぎすぎです。ここは祈りを捧げる場ですよ。お静かに」
沈黙の気泡に包まれた二人が、口をパクパクさせているが何を言ってるのかは聞こえなかった。
「ノエリア、さすがに二人とも口を封じるのはやり過ぎだと思うが……」
「わたくしと母フロリーナの静謐な語らいを邪魔した罰です」
普段は抑揚のない喋りをするノエリアにしては珍しく、怒りの声音をしていた。
それだけ、真剣に亡くなった母親に語りかけていたのだろう。
しばらくして沈黙の効果が切れると、マイスとロイドはノエリアに平謝りをするハメになっていた。
ちょっとした揉め事は発生したが、俺も『大襲来』を終息させてくれた勇士たちの墓に近くに生えていた綺麗な花を添え、祈りを捧げさせてもらった。
彼らの起こした行動によって、世界を絶望のどん底に叩き落し、無限にも思えるほど産み出されていた『深淵を歩く者』たちは消え去ったのだ。
「わしが『大襲来』を救った英雄と言われるのは、ほんとは筋違いなのだ。ここに眠っている勇士たちこそ、本当の英雄。わしはその連中の偉業を世の中から忘れさせないため、甘んじて英雄の名を受けておる。本当はノエリア可愛さに卑しく生にしがみついた男に過ぎないのだがな」
祈りを捧げていた俺の背後で、沈黙から復活したロイドが誰に聞かせるというわけでもない様子でつぶやいていた。
突入部隊の生き残りを率いて帰還し、英雄として祭り上げられ辺境伯になったロイドだが、祭り上げられた苦悩を感じているようであった。
「ロイド様が生きておられるから、皆が『大襲来』の恐怖を忘れずに備えておけるのですよ。ですが、これから一〇年、二〇年と経てば人々の記憶から『大襲来』は消えていくでしょうな」
マイスも同じように誰に聞かせるわけでもなくつぶやいていた。
俺が生まれた時、起きていた大災厄を生き抜いた二人からの言葉が心に響いた。
自分たちの世代は『大襲来』を肌で知らないのだ。
生き残った大人たちから教えられたことに過ぎない。
恐ろしいことだったのだろうと思うことはできても、実際に体験したことはなかった。
なので、二人の言葉は次世代を生きる者として重く受け止めるべきであった。
勇士たちへの祈りを終えると、俺は立ち上がって二人に振り返る。
「お二人のお話、大変に参考になります。俺たちは『大襲来』で何が起き、どうなったかを次に伝えねばなりませんね」
俺の前には未曽有の大災厄を必死で生き抜いた男二人がならんで立っていた。
「ああ、小僧みたいな若い連中には是非ともそうしてほしいところだ」
「来年からは調査隊の規模をもう少し大きくして、若い騎士たちにも参加してもらう方がいいかもしれませんな。その際はフリック様にロイド様から調査隊の護衛の依頼が行くと思いますが」
「俺にできることは協力させてもらいますよ」
二度目の『大襲来』が必ず起きないとは誰一人断言ができない。
そのいつ起きるか分からない二度目に対し、備えておくことは無駄なのかもしれない。
だが、起きた時に対処できるよう生き残った人から色々な知恵を受け継ぐべきだと思えていた。
「わたくしも魔法と同じく、『深淵を歩く者』の研究も進めてまいりますので、父上もマイスもご安心くださいませ」
近くで俺たちのやり取りを聞いていたノエリアも同じ思いに達していたらしい。
「では、ノエリア様には次世代に語り継ぐべき御子を――」
「マイス、それはまだ早い。相手は誰だ! わしが斬り飛ばして――」
再び、二人の口はノエリアによって封じられることとなった。
こうして、辺境伯ロイドを伴った二〇年目の魔境の森調査隊は目的を達成し、多くの成果を伴いユグハノーツに帰還を果たした。
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これにて調査編終了し、次話はアルフィーネ視点となります。







