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ライジング!  作者: 御堂志生
第三章 洋上の女神
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(10)冗談じゃない!

 眞理子は紺色のジャージに着替え、一階に下りて行った。

 レセプション会場は華やかな雰囲気が一変して、辺りはざわついている。どうやら『トラブル』はパーティの終了間際に発生したようだ。警察官の制服や一部ブラックタイの男たちが、会場のホールとエントランスを忙しなく行き来していた。

 そんな中、さっきとは別の意味で浮いたファッションの眞理子に注目が集まる。


「眞理子くん、こっちだ」

 那智の声に足を向けるが……眞理子は一瞬ギョッとなった。


(……勢ぞろいだな)


 那智の周囲には、眞理子が名前も思い出せない山岳警察の本部長クラスが並んでいる。

 かろうじて判るのが、鹿児島の箕輪に静岡うちの長岡、そして瀧川。後は、地元の警察・消防のお偉いさんだろうか? 意外なことに優花も瀧川の後方に居て、厳しい瞳で眞理子を見上げていた。


「実は、鹿児島市内の小学生が屋久島に林間学校に来ていてね……」 



 彼らの説明によると――。

 今日の正午過ぎ、小学生らは永田浜のほうに海がめの産卵場を見学に行った。昼食と自由行動の後、台風の進行方向と速度が変わった為、予定より早めの十五時頃には宿舎に引き上げたという。ところが十九時少し前、夕食時間になって児童が一人足りないことに気づく。教師が宿舎の従業員と共に周囲を探し回ったが……。

 同日二十時、屋久島警察に教師より一報が入った。今度は警官と地元民も協力して、範囲を広げて捜索にあたったのである。

 そんな中、二十一時を過ぎてようやく、教師の一人が永田浜を出発する際の人数確認が充分でなかったことに気付いたのだ。大学を卒業したばかりの新任の女性教師であった。彼女は自身で人数を確認せず、子供らの報告をそのまま鵜呑みにしていた。

 行方不明になったのは小学五年生、十一歳の男子児童だ。他の児童に話を聞くと、少年は決められたグループから離れ、単独行動をしていたという。他の班に居るものと思い込んでいた、とのこと。


 警察はその報告を受け、永田浜付近を捜索した結果……。



「永田岬付近の岸壁の下に少年の姿が見える、と報告があったんだ」

 那智の言葉に周囲はシーンとなった。眞理子も息を呑む。

「それは……大変ですね」

「ああ、そうなんだ。今は干潮で水位は低いが、ますます海は荒れ始める。少年などあっという間に飲み込まれかねない。今、海上保安庁がこちらに向かっているが……」


 地元の消防にレスキュー隊はなく、海岸沿いの事故であるなら管轄は海上保安庁であろう。だが、この台風の影響で、接岸不可能ではないか、との声が出始めたようだ。

 そして、山岳警察……レスキューの専門家がいるなら、手を貸して貰おうと声が上がったらしい。

 那智の横から箕輪が口を挟んできた。


「我々としても、このまま黙って見過ごすわけには行かんだろう?」

「いや、でも……我々は山岳警察ですよ。山狩り要員ならともかく……明らかに専門外です。第一、海上保安庁が出動中なんでしょう?」

「君は何を言っとるんだ! 君もレスキュー隊員だろう。なんとかしたまえ!」

 金色の階級章をつけた何処かの本部長が声を上げる。あまりに短絡な上層部の思考に、眞理子は二の句が告げられない。

 だが、更に短絡的な発想で、勝ち誇ったように瀧川が笑った。


「だから言ってるじゃありませんか。彼女を呼ぶ必要などない、と。私ひとりで充分なんだ。高々二十メートルちょっとの崖です。サッと行って、子供を連れてすぐに戻ってきますよ」


 その脳天気な言葉に、眞理子は開いた口が塞がらない。


「夜に……しかもこの嵐の中、独りで岸壁を下りるんですか? 地元の救助隊は何と言ってるんです?」

 眞理子の質問に那智は丁寧に答える。

「彼らの技術ではとても下りることは無理だ、と言っている。夜明けを待ちたい、と。だが満潮を迎えるのが三時過ぎ、それまでに海上保安庁が接岸出来なければ……」

「海から直接、救助には向かえないんですか?」

「海保の特救隊が来るわけじゃないんだぞ! いっそ、USネービーのシールズでも連れて来てくれ。彼らならどんな悪条件でも上陸してくれるだろうからな」

 幹部の一人が眞理子を小馬鹿にしたように言う。よほど困難な状況らしい。ならば尚のこと、安請け合いは事故の元だ。


 眞理子は極めて冷静な声で那智に進言した。

「海保から接岸不可能の連絡があったんですか?」

「いや、それはまだだが」

「では、待つべきです。不用意にテリトリーを侵すべきじゃありません」


 だが、これに納得出来ない男が一人いた。

「これだから女は……。こんなことをしている間に、子供が死んだらどうするんだ!? 君が責任を取るのか?」

 瀧川は眞理子を責めるが、明らかな言いがかりだ。

「私はいつから屋久島の隊長になったんですか?」

「今行かなきゃ、子供が死ぬんだ!」

「経験のないあなたが行くことで、死なせる可能性もあります」

 眞理子の指摘を理解できず、瀧川は鼻で笑った。

「経験がないだって? 私は三十メートルを超える高さで登攀救助の経験がある。悪天候も問題ない。第一、我々の出動は嵐の中も多いだろう? どうやら、富士ではハイキングのように天気が選べるらしい」

 瀧川に倣って周囲からは冷笑がこぼれた。

 そこに那智が軽く咳払いし……全員の表情が強張る。



 眞理子は気を取り直し、瀧川の説得に当たった。

「瀧川警部、それは海岸沿いの岩肌を登られた経験でしょうか? どれほど腕に覚えがあっても、初めての壁を登る時は慎重を期するはずです。ましてや、地元の救助隊が夜明けを待つほどの状況ですよ――」


 地元の救助隊はかなり優秀な人材が揃っていると聞く。彼らは日頃、この屋久島の山中や海岸で訓練を積んでいるはずであった。その彼らが躊躇する中、慣れていない山岳警察の人間が、サッと行って帰って来れるはずがない。


「出しゃばって救助に乗り出せば、少年の生還率を下げることにもなりかねない。その上、二次災害を招く恐れのある単独行動など――論外です」

 


 あくまで感情的にならず言葉を選ぶ眞理子に、那智が言った。

「だから君を呼んだんだ。二人一組が原則だろう。君が一緒なら、不測の事態にも対処できるはずだ」

「じょ……」

「冗談じゃない! 総本部長、女連れで行ける所ではありませんよ!」

 眞理子の言葉を奪うように、瀧川が吼える。

 そして、

「眞理子さん、君が臆病なのはよーく判った。まあ、女性なら仕方がないだろう。君に仕事を与えよう。私が戻るまでにベッドを暖めておいてくれ」


 瀧川は気取って言うと、優花にレスキュー装備を地元の救助隊から借りるよう命令した。そして那智らに敬礼をして、ホールから姿を消したのだった。




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