(6)特別な存在
命令違反に二重遭難、南に言い訳の余地はなかった。
二日後、彼は退院し二日ぶりに眞理子と顔を合わせる。雪崩による大規模な遭難事故が発生しており、眞理子はこの二日間、消防の応援に奔走していた。
南は医者の佐野から、眞理子が隊長になる直前の二月、相棒を亡くしたことを聞いた。
「生きて還った沖に、相棒を殺した、なんていう奴もいるがな。だからこそ、部下だけは……仲間は絶対に死なせない。相棒の死を無駄にしないためにも、何があっても生きて還る。それが沖の信念だよ」
(また……だ)
南は自分の愚かさに目を閉じた。何年経っても、また同じ失敗をする。判断を誤り、周囲に迷惑を掛けるのだ。レスキュー失格なのは眞理子ではなく自分のほうである、と。
そして、眞理子の顔を見たとき、南は辞表を提出したのだった。
「そっか……ま、去る者は追わない主義だけどね」
「隊長命令を無視し、二次遭難を招いたのは私のミスです。申し訳ありませんでした。ただ、一つだけ聞かせて下さい。隊長は……遭難者の死亡を確信していらしたんですか?」
「確信ではなく、可能性だよ。人命を軽んじるつもりはないけど、計算はするし天秤にも掛ける。体は一つしかないし、腕は二本しかない。三人以上は担げないからね」
南の質問に眞理子はスッパリと答えた。
その返事に不満があった訳ではない。だが南は、自分には無理だと思ったのだ。計算も出来ないし、天秤に掛けることもしたくなかった。
「“仕方ない”で割り切るのがレスキューなら、私には出来ません。助けていただいてありがとうございました」
「南……お前がいてくれて助かった。ありがとう」
眞理子は何か言いかけて止め、南を笑顔で見送った。
引き止められなかったことにホッとしつつ、心のどこかに寂しさを禁じ得ない南であった。
五合本部の建物から東に約五十メートル。舗装された道を歩くとヘリの整備場に到着する。南は世話になった整備士の倉元にも挨拶をしようと立ち寄ったのだった。
降り続いていた雪も止み、視界良好となった為ヘリは出動していて、当時のパイロットは不在であった。
倉元は、鼻の頭に赤味の残る南を見て、「しっかり治さねぇと、女にフラれるぞ」……そんな冗談を言いつつ、南の尻を叩いた。
だが、とても同じように笑う気分にはなれない。南は姿勢を正したまま、辞表を提出したことを伝えたのだった。
「短い間でしたが、お世話になりました。どうもありがとうございました」
深く頭を下げた南に倉元は信じられない言葉を口にしたのだ。
「なんだ、せっかくクビが繋がったのに、辞めんのか?」
「え?」
南の行動がレスキュー活動に支障を来した、と山岳警察本部に報告したのは消防だった。消防の指示に従ったにも関わらず、である。それにより、南を査問会にかける動きがあったという。まるでスケープゴートだ。
それを止めさせたのが沖であった。
「南の処分は不当です。南ほど優秀なレスキュー隊員はいません。彼はこの富士に必要な人間なんです。それに、正式決定までは私が富士山岳警備隊の隊長です。彼の処分を一任して頂けないなら……先ず、私を免職して下さい」
彼女は警察と消防の上層部を前に、そう宣言したと言う。
これで南が居なくなれば、眞理子の面子は丸潰れである。忽ち困るはずなのに、彼女はそんなことは一言も言わなかった。最後は「ありがとう」と、笑って南を見送り……。
「沖はいい奴だろ? 女にしとくのは勿体ねぇって思ったんだがよ……。なぁ、知ってるか? この富士の神さんは、負けず嫌いで度胸が据わった女だそうだ。似てると思わねぇか?」
倉元の言葉に南は居ても立ってもおられず、慌てて本部に引き返したのだった。
眞理子は出動要請があったのか、出動着に着替え、装備を確認中である。
血相を変えて戻って来た南に「どうしたの?」と不思議そうだ。
「隊長……どうして言ってくれないんですか? 辞めるな、と、辞めたら困る、となぜ言ってくれないんですか!?」
肩で息をしつつ、南は思わず叫んでいた。
だが眞理子は、ロープを括りながらいつもと変わらぬ調子で答える。
「私にとって、山に登ることは全てがレスキューで、それ以外は知らない。常に冷静に客観的に判断して救助に向かう、それを叩き込まれた。レスキューは命懸けの仕事だけど、命を捨てたんじゃ務まらない。……もう、出来ないという人間に、やれ、とは言えない」
眞理子の言葉に、南は不覚にも涙が込み上げてくる。
「怖いんです……出来ないことが多過ぎる。私の未熟さで、何人を死なせたんだろうと思うと……怖くてもう……何も出来ません」
南の言葉に眞理子は手を止め、息を吐いた。
そして……。
「大事な家族を連れて帰って来てくれてありがとう――亡くなった遭難者のご家族がそう言ってたよ。その時、自分に出来る全力を尽くす。反省は必要だけど、後悔はしたら駄目だ。私たちは神様じゃないんだから。少なくとも、私は南が居てくれて助かったよ……じゃ、行ってきます」
ザックを担ぐと敬礼して眞理子は出動した。
一つの失敗に拘り、失敗を繰り返し、次から次へ自己嫌悪が雪だるまのように膨らんだ。自分は何様のつもりだったんだろう。初めから全部を救うなんて無理な話である。意気込んで、大量の荷物を持たなければならない、と決め付けていた。挙げ句、荷物の重さに潰されそうになり、今度は全てを放り出そうとしたのだ。愚かにもほどがある。
眞理子は南に、背負える分だけ背負ったらいい、と教えてくれた。
南は装備を背負い、眞理子の後を追った。あの時が、南の中でレスキュー隊員としての第一歩だと思っている。
そして――南にとって眞理子は特別な存在になった。
彼の人生における、あらゆる意味で『一番』の人間になったのである。




