第42話 人格者
こんな経験は誰もが初めてだった。どんな偉そうな大人もこんな事はしない。誰が悪いのかを問い詰めて、言い訳をすれば「言い訳をするな」と咎め、まるで筋の通ったかのような論法を捲し立てるのが一般的な大人のやり方だ。
それで気が晴れるのは最も自分の言葉を言いつけた者だけだ。本当の想いなど心の闇に葬られてしまう。説教など何の役に立つのだろうか。それをして気持ちよくなりたい人が大半だろう。優越感に浸り、明確な優劣を見せつけるための娯楽、人前で展開すればエンターテイメントにすらなる。
正論で相手を言い負かした側に感情を預け、一時の憂さ晴らしをする。それで幸せになれるのは勝者だけだ。敗者は不幸な人生だと己の運命を呪うだろう。けれどそんなマインドで生きている限りいつまでも勝者ではいられない。必ず敗者になる日がやってくる。
人は人に尽くすために生きているようなものだ。死ぬ間際にもっと職場に居たかったとパソコンやスマホの画面をもっと見続けたかったと後悔する者がいるとは思えない。皆、最後は愛すべき人と過ごす事を願うだろう。
けれどそこにフォーカス出来る者は少ない。何故なら教育がそうなっていないから。現在の大人達がそう教わっていないから。故に他者の話を最後まで聞き耳を傾ける忍耐を持つ大人がどれほどいるだろうか。ましてや10代の子供にそんな能力が備わっている事は奇跡に他ならないだろう。彼は紛れもない人格者だった。
「ありがとう。君は凄いね…。何もかもが変わったみたい」
放課後、カナメは彼にお礼をする。誰もが想像できないより上位の結果を生み出した。人は敵を前にすると戦う勇気を奮い立たせる。その事にエネルギーを使いすぎている。だから必ず勝敗が決まる。けれどお互いの持つ能力を最大限に活かしお互いの利益を聞き共感する勇気にフォーカスすれば、誰もがなし得なかった素晴らしいアイデアが生まれるものだ。
それはいずれ最強のチームを産むだろう。このクラスはそんな未来を想像した。
翌日、信じられない光景がそこにあった。カナメとミツキが並んで表の花壇にいる。手を土まみれにして何かを植えていた。
「こんな感じ?」
「うん。いい感じ、やったことあった?」
「ははは、全然。初めて…でも楽しいかも」
バケツには生き残った薔薇の茎が力強く根を生やし、もう一度生まれ変わろうとしていた。それはまるで一度バラバラになろうとしていたこのクラスを見ているかのようだ。けれど隠された想いを引き出されたお陰で皆が他者の気持ちを汲み取る素晴らしさを知った。彼は言う「僕らは傷付かず傷つけない事を選ぶことが出来るんだ」と。
二人は本当の意味で分かり合える事は無いだろう。けれどこれ以上傷付かない選択をする事ができる。人は必ず死ぬ。その日までいがみ合う必要はない。今日からそれを止める事が出来れば問題は無くなるのだ。それを選択するかしないかは誰のせいでもない。その人自身の責任だ。
けれど人の問題は尽きないのである。彼の仕事はまだ終わってはいなかった。
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とある生徒がいた。至って普通の高校生を演じていたつもりになっていた。だから何処で間違えたかなど検討も付かない。気付けば1ヶ月弱。新しいお友達は皆、それぞれでグループを作る。僕の目から観れば実に不合理な時間を過ごしている。時々漏れ聞こえる彼らの会話は井戸端会議の情報交換にも劣る。けれどこんなにも肩身が狭いのは初めてだ。
そしてようやく僕は結論を出した。人間関係で失敗してしまったと。組織内で浮いてしまう。それはつまり僕にコミニュケーション能力がない事を突きつけられていると強く感じた。けれど今更どこかのグループに加わる事など可能なのだろうか。わからない。
乃木ヤスヒコには大きな悩みがあった。それは人間が苦手という人類最大の問題を抱えている。人の問題は要約すると全てここに集約する。それを派生した悩みの一つとしてではなく、ダイレクトに人間が嫌いだった。知識や経験でなんとかカバーして来た自負はある。けれどいつ爆発するか彼もわからない。
彼はスマホを開きホーム画面の壁紙を眺める。大好きなゲームのキャラクターが自信満々に笑いかけてくれる。それで精神状態が幾らかマシになる。しかしこれも両親には内緒である。実は生粋のゲーマーである事を親も知らない。表の顔と裏の顔を使い分けているうちに人間が苦手になった。そんなある日、興味のなかったクラスに事件が起きる。泥沼化した喧嘩を目の当たりにした。そしてそれを偽善者の如く仲裁するクラスメイトの姿も。けれどそれは偽善者と呼ぶには出来すぎた結果をもたらした。何故だか初めて他人と話したくなったのだ。




