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第38話 バラの王子


 そう思わされてしまうほどに彼は自然とそこに立っていた。誰も来ないはずのこの花壇に前触れなく現れ、人差し指と中指の間に薔薇の花を一輪挟んで顔を近づけた。背が高く前屈みになっているにもかかわらず、横着したような窮屈さを感じない。寧ろ優雅に戯れているとさえ思えた。彼は王子様なのかも知れない。


 「あ、ごめん…。邪魔だった?」


 声をかけられた私は、つい固まってしまい声を出しそびれた。妙な警戒心のなさが私の感覚を鈍らせた。数秒の間、目が合いっぱなしになっている。けれど恥ずかしさや気まずさは後から遅れてやって来た。不思議な人である。距離感だけじゃない。存在自体が危機感を麻痺させる。


 「え?あ…いえ、その…全然大丈夫です」


 手に持ったジョーロからポタポタと水が漏れてアスファルトに染み込んでいく。その時間すら愛おしく思えるほどに気持ちが上ずっていた。それが彼との出会いだった。


 薔薇を扱うその手には優しさと思いやりがあった。けれどそれを見る視線は悲しみを含んでいる。そしてそっと戻して私の方に近づいて来る。


 「君は同じクラスの子だよね?名前は確か…黒咲カナメだったかな?間違ってたらごめん」


 「ううん。そうよ…。黒咲カナメです」


 彼は有名人だ。入学初日から色々と目立っていたけれど、そのせいで声をかけづらい人だなと思っていた。なのに今の彼は別人のように人懐っこい。こんな風に話しているの初めて見た。


 「このバラは君が育てたの?凄い綺麗だね」


 「違うの。元々は園芸部の花壇だったんだけれど廃部になっちゃって…それで私が先生に頼んで面倒を見させてもらってるの」


 「そうなんだ…。花が好きなんだね」


 彼はニッコリと笑顔になった。まるで花が咲いたように暖かい。そして可愛い。私も自然と笑顔になる。なんだが嬉しい気持ちになった。


 それから私達は何度かここで会うようになる。たわいもない会話をしながら一緒に花壇の手入れをした。彼は手際が良くて素人とは思えないような手付きで剪定に躊躇いがない。痛んだ葉っぱや花をどんどんと摘み取って、あっという間に綺麗に整えた。気になった私は彼に聞いた。


 「とっても上手。薔薇を育てた事があるの?」


「えっとぉ…。ちょっと違うけどそんな感じかな」


 彼は地元にバラ農園があったことを教えてくれた。そこで良くお手伝いをしてアルバイトみたいなことをしていたらしい。なるほどと納得した。


 「そっかぁ。男の子なのにお花に詳しいから不思議に思ってたの。それなら納得」


 そんなある日、花壇にあったすべてのバラが根元からバッサリと切られていた。私はショックでその場にへたり込む。しばらくして彼もやってきた。


 「…嘘だ。誰がこんなこと…」


 私には何となく検討がついていた。遡ること1ヶ月前。私は高校進学を失敗したと絶望していた。まさかと思った。もう会うわけがない。そう油断していた。けれど彼女はそこにいた。


 花井ミツキ。小学校時代に私をイジメていた主犯格の一人だ。彼女から逃げるようにして別の中学校に行き、平和な3年間でスッカリと忘れていたのだ。そしてまた出会ってしまった。彼女も私のことを覚えていた。目が合ったとき記憶が蘇ったかのようにニヤリと笑う。そのあと引き留められるようにして呼び出された。


 「黒咲じゃん、久しぶり。こんな所で会うなんてラッキーだね。これからがたのしみぃ。あははは」


 それがどう言う意味か、その時にはわからなかった。けれどクラスに戻ったとき私はすぐに気付いてしまった。周りの私を見る目が別のものに変わっていることに。ちょっと仲良くなり始めていた子も何故か私を避けた。悟るしかなかった。またあの地獄の日々が始まろうとしている事に。


 けれど私は、以前のようにただやられっぱなしにならないように学校の中に居場所を探した。そしてこの花壇を見つけたのだ。あまり人が寄り付かない校舎裏。そこで困っている人を見つけた。園芸部の顧問の先生だ。


 「去年、最後の部員が皆卒業してしまってね。可哀想だけど、このバラたちは…」


 「私が見ます!」


 私は食い入るように言った。そして先生は「君一人じゃ部は復活できないよ?」と心配してくれたけれど、ただこの子たちの面倒が見たいとお願いをした。


 「そうかぁ。君が見てくれるなら助かるね。よろしく頼むよ」


 その約束を果たす事が出来なかった。私はよろよろとその場を去ろうとする。そんな私の手を彼は握って引き留めた。


 「…大丈夫。僕が何とかしてみる。だから諦めないで?まだやれる事があるから」


「…ほんと?」


 彼の目は真剣だった。私と同じように怒り、悲しんでくれている。けれど絶望する事なくもう既に前だけを見ていた。


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