91 仕方なくなんかない
青い空、白い雲、綺麗な太陽。
それを背景に目の前の馬小屋の中は水を飲む白い馬。ボクの頬を撫でるは田舎特有ののどかな風。
ああ、いい天気だ。こうして何も考えないという事がどんなに幸福な事か。
場所は代官屋敷の隣。
ヴァン氏との会合が終わった後、ボクは「馬を見たいな」と此処に来ていた。
なので本当はこれから乗るであろう馬の調子の一つでも見るべきなのだろうが、今一つそういう気にもなれない。
ただボウと壁を背もたれにして、片膝を付く。そして下を向いて溜息を吐く。
煉瓦の屋敷なので少し凹凸が激しいが、それが今はごりごりとマッサージ効果になって気持ちいい。
「それで、どうするんじゃ?」
溜息に合わせて横から言葉がやってきた。それが鈴の様だと思ったのは、まだ声変わりしていないから。
隣で胡坐をかくシャルのものだ。
「ど~っしよっかねえ。ああ、本当にどうしようか。
特別誰かが悪いって訳じゃないから『一番悪い奴を倒した。はい解決』って訳にもいかない」
「ルパ族の望みは『平穏に暮らしたい』。ならば放っておけば時間が勝手に解決するんじゃないかの」
「そうだね。そうなんだけどね。なんか嫌なんだ、そういうの」
下を向いた体勢から頷く。
ちょっと目がチクリとした。目に触れた一本の髪が宙に流れ、ゆらゆらと遊ばれる。今度の風は髪を揺らめかせたようだ。
目元をぬぐってシャルを見た。
待っていましたと言わんばかりに口角を吊り上げている。
どこか楽しそうで、それ以上に嬉しそうな目付きだ。
「ならば、辛くても頑張るしかないの。お兄様っ!」
「ああ、全くさ。仕方ないね」
意気込んで立ち上がろうとした。ボクは視線を上に向ける。
違和感を感じたからだ。
すると違和感は的中だった。
先程ののどかな青空と違い、何時の間にやら存在していた日陰がボクの顔を覆っていたのである。
外ハネ髪の頭の上にはケモノ耳がふたつ。そのように特徴的な顔のシルエットは、今の疲れたボクには一人しか思い浮かべる事しか出来なかった。
「うおっ!アセナッ、何時からそこに!」
何時の間にやらボクの真正面に居たのは、思い浮かべた通りにアセナである。
腰を前に倒してボクをほぼ直角に見下ろす。足が長いので、頭の位置は高い。
ホットパンツのポケットにに両手の親指を突っ込み、彼女は歯を見せて無邪気に笑っていた。
「ウヒヒッ。
実は最初から馬小屋の裏に居て出てくるタイミングを伺ってたんだ。アタシは耳が良いからな」
「むう、ビックリしたじゃないか」
「めんごめんご。まさかアダマスがそんな驚くとは思ってなくてなあ」
「まあ、結構追い詰められてるからねえ。色々と周りの変化にも気付けないものさ」
普段ならこの程度の接近、独心術で簡単に読めるものなのに意識の外にあった。
それだけボクが考え込んでいたという事である。
そんな心配なんて知らないかのように、彼女は尻尾を振っていた。
「……さて」
一転、笑いをピタリと切る。
ポケットに入れた手を取り出して、人差し指同士でボクの頬を挟んでグニグニと捏ねくり回す。
まるで、はじめて会った時のようだった。
「しかしアレだ。今のお前は『仕方ない』で済まさないんだな」
「むう、心外だな。当たり前だよ。
エミリー先生が嫌な目にあっているなら助けるに決まっているじゃないか。まあ、勿論ルパ族の皆も大切だけどね。
ともかく、大切な人たちがチクチクと傷つけ合わなければ話す事も出来ない現実は嫌なんだ」
思っている事を口にする。
アセナは一旦キョトンとして、直ぐに微笑ましいものを見る母性的な顔をした。
むむっ。エミリー先生がそういう表情を浮かべるのは何時も通りだけど、アセナがするのは珍しいな。
そのまま彼女は膝を折り立てて腰を落とした蹲踞の体勢になってしゃがんだ。
猫背の爪先立ちでボクに視線を合わせると、やはり両手の平でボクの頬を撫でながら語る。
「修行時代にさ、アタシの影に隠れて嫌なものを嫌と言えず、言い訳して、逃げ回って……そして不満は『仕方ない』と溜め込んでばかりいたお前が、そんな態度になるとはね」
「まあね、守らねばいけない人が三人も増えればそうもなるさ」
「そうだな」と彼女は頷く。
身をもって知っている彼女の表情に揶揄いの色は無い。
頬を撫でる手も何時の間にやら無くなっていて、代わりに肘が脹脛の上に置かれていた。
便所座りというやつだ。
アセナがやっていると妙に似合う。
先程の母性は何処へやら、何時ものチンピラっぽい顔付きで此方を覗いていた。
そんな彼女へ、ボクは頬を搔いて口を動かす。
「まあ、単に感情の制御が出来ていないだけの子供ってだけかも知れないけどさ」
「いい、いい。大人でもそれが正解だ。
あんま考えすぎるとハゲるぞ。ただでさえハゲはキツいのに、イケメンのハゲは不細工のハゲよりある意味キツいものがあるから注意しろよ。
お前は将来のアタシの旦那でもあるんだから、アタシの為に努力してくれ」
パンと勢いよく背中が叩かれる。
ちょっと理不尽に感じたけど、今はそのノリが有難い。
「気をつけるよ」
「おうっ。んで、実際なんか解決の策でもあんのかい。想いだけ立派でもどーにもならんぜ?」
ボクは頷き、拳を握る。
そしてすっくと立ちあがる。
「うん。取り敢えずは分かる人に聞きに行くよ」
「……分かる人?」
アセナは眼を点にして首を傾げていた。
「そう。分かる人。
その為に馬を借りるよ。この草原の少し向こう側に居るからさ」




