50 ボクは悪にだってなってやる
シャルの教育係だったメイドは、余裕の笑みで髪をかき上げた。
勝算があるのだろう。
ボクは構えを鋭くして、センサーの働きもする指先へ意識を集中させる。
「ひゅ~、格好いいわねえ。青春ってやつ?でも、それは感情論でしょ」
「ああ、揶揄いたいなら好きなだけ揶揄え。
ボクはその人を人と思わない、女の子を駒としか考えていない態度が気にくわないんだ」
言うとメイドは大きく笑う。
「オーホッホッホ!気にくわない!あろうことか気にくわないですって!
そうね。でも、貴方だってシャルロット様の傍に居るからには貴族でしょ?恐らく別の猶子といったところかしら。
貴族の社会はそうやって気にくわずとも、人を駒とする事で成り立っている。
それを否定するなら、もはや王国そのものを否定する暴君よ」
ニマリと歪む厚い化粧。
それがとても不自然で、気味が悪かった。
「例えば貴方が私を叩きのめしたとしましょう。
それで貴方の気は済んだとしても、親交を持とうとしている二つの領の関係はどうなりますか。悪くなるだけでしょう。
此処は貴族として矛を納めるべきなのでは……むっ!」
ふと、足を踏み込み顔面へ拳を放っていた。
だが、流石に警戒していたのかメイドは首を回して受け流す。メイドの頬を拳骨の突き出た部分……拳峰が横切り、薄皮一枚が切れた。
直後にメイドは左手を回し、ボクの突き手を掴む。
同時にもう片腕をボクの腕の上をレールにして滑り込ませた。メイドの身体そのものが、斜めの軌道で内側へ寄って来る。
ボクの肩が自然な動きでメイドの脇に挟まれる。
護身術に近いな。これは折る動きだ。
ボクは体重がかけられると同時、瞬時に足を折り畳んで自由落下で骨折を阻止。
更に掴まれていない方の手を地面に付けて下から突くような回し蹴りを入れる。
これがゴリマッチョなら足を片手で掴まれてしまうだろうが、メイドの体格ならダメージになる。
メイドは固めていた脇を離し、その腕で蹴りを受けた。
─────メリ。
子供の体重とはいえ直撃だ。骨にヒビくらいは入れられないかなぁ。
少し苦しそうな顔が見えた。だが完全には離さない。やはり希望した程のダメージにはならなかったようだ。
だからもう片足で脇腹へ二撃目の蹴りを加える。
苦痛でぐちゃりと表情が歪み、声にならない悲鳴と同時に手首を離すメイド。ボクは蹴りの勢いで宙を一旦浮いて、そのまま着地する。
すると、互いに手出しの出し辛い中距離の間合いが開いた。
メイドは頬へ一文字に引かれた傷から垂れる血を舐める。
「……交渉は決裂という事ね」
ボクは仁王立ちで応えてやった。
「ああそうさ。シャルを護る為だったらボクは悪にだってなってやる」
暴君で結構。
それに、今のボクは領主に関係のないただのアダマスだ。
ボクがここで領主の紋章入りの万年筆を取り出し、自分が領主代行だと言って逮捕するのは容易いだろう。
それでもやらないのはシャルを虐めてきたコイツを殴れるのは今しかないから。
なるほど。確かにこれは政治的に決められた婚約者じゃ出来ない、兄としての仕事だ。
きっと父上が言いたかったのはそういう事なのだろう。
今のうちに感情で動くという感覚を知っておけと。将来、理屈で雁字搦めになる世界にボクは入らざるを得なくなる。
その前に自分自身は何をしたいのか。見失わないようにしろという感覚を身に付けろという事なのだ。
今の構図の何処からどこまでが父上の描いた絵かは分からない。
それでもボクはやってみせるよ。ボクを大切にするボクが大切にしたい人の為に。
「ならば、もはや手加減は無用だわね」
メイドの袖から小さな……それこそ手の平に収まるサイズの拳銃が飛び出た。
あれは小型拳銃『デリンジャー』か。
技術の向上によって、拳銃が現代のような形になってから半世紀ほど後に作られたものだ。
当初は護身として作られたが、暗殺に使われる事も多い。
しかしこの型は見た事が無いね。一目見て暗殺に特化しているというのはよく分かるけどね。
「大きいね」
口径が異様に大きかったのだ。
通常、デリンジャーはその特性から弾が小さく威力が低い事で知られるが、目の前のものは、マグナム弾だって撃ち出さんとするような。まるで大砲である。
「ええ。我が主からお借りしている、錬気術を用いた新式拳銃よ。威力はショットガン並。暫く病院に行って貰うわ。
因みに銃弾の種類も豊富でね、この中に入っているのは散弾。
逃げたりしたらどうなるか、分かるよね」
メイドはシャルの方をチラリと見た。怯えるシャルは肩を震わせる。
普通、デリンジャーでメイドの言っているような事は出来ない。
ボクの知識の範囲では、フレームの貧弱さと規格から威力と命中率が低く、押し付けるように撃たないと十分な威力は出ない上に、中々当たらないような銃だからだ。
小型化の代償は大きい。
仮に言っている事が正しいなら散弾を使う事で命中率を数で補正し、威力を実用段階まで底上げした改良型といったところか。
普通に考えれば、あの規格でそんな威力の火薬を詰めれば本体は爆発力に耐え切れないだろう。手が吹き飛んでもおかしくない。
物理的に有り得ないならば、言っているように都合の良い事がありえるだろうか?
ボクはあり得ると思う。
読心術が『事実』と告げているのもそうだが、使用した技術を『錬気術』だと言っているからだ。
あり得ない事を実現するから魔力なのだ。
蒸気機関の爆発力を受け止めるピストンの研究は、そのまま銃火器の研究にも繋がった。
通常の銃弾は弾底に装備された魔石が、皮膜で魔石と分けられている銃弾内部のゲル状火薬と反応を起こす事で爆発し、弾頭を発射する仕組みだ。
因みに火薬がゲル状なのは水溶性を利用して魔力を溶かす為である。
初期は液体も使われていたのだが漏れた物が暴発し易い、船上での使用時に海水と混ざって不発が起きる等の欠点から構造が見直されて今に至る。
しかし銃本体を魔骨で作り、爆発と同時に魔力を放出する事で、より強力なフレームにする事は出来ないかという案はあった。
機関車が、蒸気に含まれる魔力を利用して材質を変化させている原理の応用だ。
技術力の問題のある案件だったが、それの試作品なのだろう。
なんせ相手は鉄道技術の恩威が強く、武官であるミュール辺境伯の者なのだから。
その一方でボクは安心していた。
政治的な立場に持ち前の腕っぷし。
そして新式拳銃は手の平サイズだけど威力も射程範囲もショットガン。
なんだ。これが目の前の女の『勝算』なのかと。
ボクはシャルに微笑みかける。
「大丈夫、すぐに終わるさ」
「ほう、強がりを言うわね。じゃあ、それをベッドの上でも言ってみな!」
「へえ、強がりはお前の方だと思うな。『そんな状態』で銃が撃てる訳ないのだから」
「なんですっ……え?」
メイドは己の指を見た。
それはボクに言われたからではなく、明らかに『指が動かない』という違和感があるからだ。
読心術が読伝えるのは、熱さと痛み。
「あああああああああっ!私の指いいいいいいいっ!」
引き金を引くべき人指し指には石ナイフの刃が刺さっていて、骨まで達していた。
ナイフは先程此処で買ったものだ。
『いつの間に』とでも思っているのだろう。
会話に気を逸らさせている間に投擲したものだ。死角から。
回転を加えられたナイフは空中で円弧の軌道を描き、切断まではいけずとも人差し指の神経を断ち切ったのである。
これにはナイフを投げる気配を読ませない事と物凄い精密性が求められる。
でも、坂を下る時に言った通りナイフ術には自信があるんでね。
「ミュール伯にはこう言っときな。『新式銃はペラペラ無駄事を叩いて勝ち誇っていたら、反撃を喰らって使い物になりませんでした』ってね」
出オチも良いところだよ。
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