蠢くもの。part2
「復讐……?」
「うん。例えばサ……そうだ。アイツに偽のラブレター渡して、罠に嵌めるっていうのはどう? あ、でも、それはダメだね。ラブレターには希司さんの名前が書かれてたはずだし……」
「ううん、名前は書かれてなかったよ。今日の放課後に屋上入り口に来てください、お願いします。って書かれてただけで」
と教えてしまってから、シノはしまったと思った。流石に、偽のラブレターで罠に嵌めるなどというのはやり過ぎだ。それはイジメというものだろう。
「い、いや、でも……やっぱりそういうのはよくないよ。それはちょっと、ゆらが可哀想――」
「いやいや、いいんだよ。アイツはクラス全員にとっての害なんだから。今のところ困ってるのは私たちだけだけどサ、このまま放っておいたら、あのバカ、間違いなく今よりずっと調子に乗り出すよ? アイツの将来のためにもサ、ちょっとは痛い目に遭わせておかないとダメだよ」
でも……。と、シノが顔を伏せたのと同時だった。
「あの」
突然、誰かに声をかけられた。ハッと顔を上げると、下谷のすぐ隣に一人の女子生徒――クラスメイトの水越かなたが数冊の本を両手に抱えて立っている。
「そこに本、戻したいんだけど」
「すみません……」
シノが小さく謝って場所を譲ると、下谷もどこか不満げながら水越に道を譲る。水越は一冊の本を本棚に差し込むと、そのまま言葉もなく去っていく。
「相変わらず気配のないヤツ」
水越の姿が通路から消えると、下谷が潜めた声で言う。
「ねえ、知ってる、希司さん? 水越ってサ、学校でいっつもあんな、何考えてるか解らない感じでしょ、世界の何に対しても興味なさそうな感じ」
「う、うん、まあ……」
「で、人から聞いた話なんだけどサ、アイツ、学校から帰ってる時に、すぐ傍で倒れてるお婆さんがいたのに、それもフツーに無視してたらしいよ」
「まさか、それは流石に……」
「あはは。まあ、ただの噂だけサ、でもアイツなら本当にやりかねない感じはあるよね。ああ、っていうかそれより、朝岡を嵌める作戦、やると決まったら早く準備しようか。もうあんまり時間ないしサ」
「え? 本当にやるの……? でも、いま水越さんに……」
「いやいや、アイツはそもそも誰にも話しかけないし、誰からも話しかけられないから大丈夫だって。それに、これは『やるべきこと』なんだよ。朝岡を懲らしめる。これは誰かが必ずやらなきゃいけないことなんだから」
言うと、下谷はカウンターへと足取り軽やかに歩いて行き、そこにいた図書委員の男子生徒に、
「すいませーん。なんか、いらない紙とかありませんか。あと、ボールペンちょっと貸してもらえます?」
と、遠慮も何もなくお願いをして紙とボールペンを手に入れると、「どーも」と無礼なほど軽い礼を言ってテーブルのほうへと歩いて行く。
「下谷さん、そんな紙を使ってやるの? わたしが貰ったのはもっと高そうな便せんだったし……やっぱりやめたほうがいいよ。絶対にバレるよ……」
「大丈夫、大丈夫。むしろこういう紙のほうが自然でいいじゃない。いかにも、いま慌てて書きましたっていう感じがしてサ」
一理あることを言いながらテーブルのイスに腰かけ、『図書だより 十二月号』とプリントされたA4用紙の白紙の裏面を見つめながら、
「希司さん、ラブレター出してきた男子の字ってサ、どういう感じだった?」
「え? 字は、えーと……綺麗だった、かな? すごく几帳面そうな感じで……」
「ナルホド、ナルホド……」
頷き、数秒だけ「うーん」と腕組みしてから、下谷は驚くほどさらさらとそこへペンを走らせ始めた。
『朝岡ゆらさんへ。突然のお手紙、すみません。
知り合いの女子から希司さんに告白をしたのかと訊かれて、今、僕はとても驚いています。驚きながら、急いでこの手紙を書いています。
朝岡さんも、もしかしたらこの噂をもう知っているかもしれません。でも、違うんです。僕が希司さんに出したことになっているラブレターは、僕の友人のイタズラです。僕は希司さんのことはなんとも思っていません。本当です。信じてください。
今、僕が慌ててこの手紙を書いているのは、朝岡さんにだけは誤解をされたくないからです。これは僕の友人がやったイタズラなので、別に誰に誤解をされても、なんとも思いません。でも、朝岡さんに誤解をされるのだけはとても辛いので、勇気を出してこの手紙を書いています。
すみません。まだ頭が整理できていなくて、上手く文章が書けません。なので、放課後、ちゃんと僕の口から、僕の思っていることを朝岡さんに伝えたいです。よかったら、今日の午後六時半、音楽室の前で待っていてください。よろしくお願いします。』
「午後六時半?」
下谷の書いた文章を読んでシノが不思議に思うと、
「吹部の練習が終わるのはサ、六時半なんだよ」
「そうなんだ……。でも、どうして下谷さんがそんなこと知ってるの?」
確か、下谷は帰宅部のはずだ。そう思い返しながら尋ねると、下谷はニヤと笑いながらこちらを一瞥し、
「休み時間が暇だからサ、よく人の話し声、聞いてるんだ。おかげで、私はみんなが思う以上にみんなのことを知ってるよ」
「へ、へえ……」
「そんなことより、まあ手紙はこんなものだよね。――この偽の手紙に釣られて、朝岡は部活が終わったばかりの部室の前にノコノコ現れる。でも、もちろん男は朝岡なんて無視する。朝岡はその場に放置されて、みんなに『なんだコイツ?』って思われる。
いや、もしかしたら、朝岡が男に声をかけて、それでもっと面白いことになってくれるかも」
「…………」
まるで誰かの誕生日プレゼントを用意しているかのような、ただ純粋な善意だけがあるような笑みを浮かべながら紙を丁寧に四つ折りにしていく下谷を見ながら、シノはゾッと寒気さえ感じる。
なぜこの人はこんなことをすぐに思いつくのだろう。なぜこんなにも楽しそうなのだろう。
確かに自分は、下谷と一緒になってゆらの悪口を並べていた。けれど、ここまでのことをしようとは思っていなかったし、思いつきもしなかった。シノは下谷に対して言いしれぬ恐怖のようなものを感じたが、この時のシノにはまだ、その漠然とした感情を掴み出すことはできなかったのだった。
「じゃあ、後はこれを朝岡の下駄箱に入れるだけだね」
と、下谷がイスから立った時、ちょうど図書室に昼休み終了の予鈴が鳴り響いた。下谷は廊下へと出る扉のほうへ早足に歩き出しながら、
「希司さん、私たちも今日の六時半少し前に音楽室の傍に集合ね。アイツがどんな恥を掻くのか、全てこの目で見てやんないとサ」
そう言ってボールペンをカウンター席の男子生徒に返し、図書室を出て行く。シノはその後に続きながら、『やめよう』という一言を口にできるタイミングを探していた。しかし、
「じゃあ、急いでこれ、朝岡の靴箱に入れてくるよ」
下谷はそう言い残し、駆け足に階段を下りて行ってしまい、結局、下谷を止められなかった。
いや、果たして『止められなかった』のだろうか。そうではない。自分は『止めなかった』のではないだろうか。
教室へと戻りながら、シノはそう静かに自らを疑った。
――下谷さんの言うとおり、ゆらは痛い目に遭ったほうがいいって、わたしはそう思ってるの……?
自らに問いかけながら教室へと戻ってきて、シノはギョッと足を止める。
教室の至る所からこちらを向く冷たい眼差しは予想していたから、ショックはあっても、そこまで大きな驚きはない。シノがヒヤリとしたのは、窓際の席からこちらを向いている水越の目と、不意に視線があったからだった。
その目には親しみの色も、蔑みの色もない。それも、こちらを見ていたのはほんの一瞬だけである。どうしてそのような目に対して、こんなにも驚かされたのだろうとシノは怪訝に思いながら席に着く。
――大丈夫。水越さんは誰に話しかけもしないし、話しかけられもしないから……。
下谷が息を切らしながら教室に戻ってきたことに意識が向いたせいもあって、自分がほっと息をつきながらそう思ったことの意味を、シノは深く考えはしなかった。




