イチコック・ホームズ。
「おい、市子。どーゆーことだよ、『仕掛け』って?」
放課後までどうにか堪え、寮の自室へと帰るなり佳奈は尋ねる。が、市子はやはり飄然と言う。
「さあ、私も知らないわよ」
「は? 知らないって……『もうほとんど解ってる』って、あんた、そう言ってただろ」
「あのね、佳奈。時にはハッタリが必要なことだってあるのよ」
と、市子はどことなく鬱陶しそうな目つきをこちらへくれながら言う。机に鞄を置き、ベッドにとすんと腰を下ろして、
「その証拠に、私がああ言ってから、教室の空気がちょっと変わったでしょ? みんな、探偵ごっこでもしてるみたいに目を輝かせ始めちゃってさ」
「それは……」
確かにその通りなのだった。市子のあの言葉を境に、教室の空気が明らかに変わった。多くの表情から陰鬱さが消えて、まるで使命感に燃えているような輝きが、それらの瞳には宿っていたのだった。
「では、私たちも行こうかね、カナソンくん」
と、市子がベッドから腰を上げながら唐突に言った。着替えなどをするべく自らのスペースへと向かっていた佳奈は足を止めて、
「カナソン……? なんだよ、それ?」
「あなた、ワトソンを知らないの? あの世界的名探偵、シャーロック・ホームズの助手として有名なワトソンじゃない」
「シャーロック・ホームズ……? なんだよ、探偵ごっこをし始めるのは、あんたも同じなのかよ」
チッチッ、と市子は右手の人差し指を顔の横で振り、何やら鼻高々に微笑する。
「私は探偵じゃないわ。私はグーグル先生の助手の、イチコック・ホームズよ。本当はメンドくさいから何もしたくないんだけど……親友が命を落としたとなれば、流石に黙っているわけにもいかないじゃない?」
「いや、別にミサキは死んでないけど……」
「まあ、それは冗談として」
と、市子は仮面をつけ変えるようにその顔を真面目にして、
「実際、今の状況は結構マズいから、どうにかしないといけないのよね。しかも、できるだけ早くに」
「え? 結構マズいって、何がだ?」
「昨日、ミサキも言ってたじゃない。『カラスは、禁忌を犯した人の部屋へやって来る。カラスが自分の部屋に来たのは、自分が男だからかもしれない』って」
「いや、確かに言ってたけど……え? それじゃあ、市子はやっぱり怪談を信じてるっていうことなのか?」
「違うわよ。怪談なんて、所詮ただの怪談よ。ここ最近の怪談騒ぎは、ぜんぶ誰かの仕業に決まってるわ。ということは、よ。誰かが倉水さんの部屋だとかミサキの部屋に、意図的にカラスをけしかけてるってことなの。
倉水さんがどんな弱みをその人に握られてるのか、そもそも弱みなんて本当にあるのか、そこのところは解らないけど、ミサキには確かにあるの。ミサキの部屋にカラスをけしかけた人は、ミサキの秘密――ミサキが男だっていう秘密を知ってる人かもしれないのよ」
「あ……」
そうか。と、佳奈は阿呆のように、今更そのことに気がつく。市子は憂いを帯びた眼差しを灰色の窓外へと向ける。
「倉水さんと同じで、ミサキの部屋にカラスを仕向けた誰かが、本当にミサキの弱みに気づいてるのかどうかもよく解らないけど……こんな、ミサキを脅迫して遊ぶようなマネ、友達の私たちが許すわけにはいかないじゃない? だから、できることはなんでもやっておきたいのよ」
「…………」
佳奈は言葉を失った。不意に見せつけられたその大人びたその眼差しに、自分よりも遥かに冷静なその考えに、心の真ん中を打ち抜かれてしまった。否、とうの昔から空いていたその穴をさらに押し広げられて、思わず呆然としてしまったのだった。
「……ああ、そうだよな」
久しぶりに、深く呼吸をした気がする。そんな心地を感じながら佳奈は言う。
「市子、ごめん。なんかあたし、ここ最近、バカみたいなことばっかり考えて……まるであんたのお荷物みたいだ」
「何、急に……? そんなの、気にしないの。私、お腹を空かしたイノシシみたいな、あなたのそういう真っ直ぐなところ、結構好きよ」
「それ、褒められてんのか……?」
佳奈は思わず苦笑するが、市子の顔は既に真剣だった。市子は制服も着替えないままに、玄関へと足を向ける。
「じゃあ、早速、聞き込みと行こうじゃないか、カナソンくん」




