女子力修行。2
愕然として身動きもできなくなるアオイとシノをよそに、軍曹は手に載せた黒いレース生地をこちらへ突き出す。
「ちょ、ちょっと待ってください、軍曹先生! 流石にそれは……! なんなら、わたしが、部屋からわたしの物を持って来ます!」
えっ? とアオイはそのシノの提案にも驚くが、軍曹は眉一つ動かさずに、
「まあ、それでも構わんが……だが、お前の尻のサイズじゃ百合園には合わんだろう。これなら、もし緩くてもヒモで調節できる。ブラはそういうわけにもいかないが」
と再び爆弾を投下し、シノを一撃で石化させる。それから、まるで試すような眼差しをアオイへ向けた。
「どうする、百合園? 穿くのか、穿かないのか。早く決めろ」
『穿けないのか? お前の覚悟は、その程度なのか?』
軍曹の言葉の裏には、明らかにこのメッセージが込められていた。
これは挑発だ。こちらが口だけの人間かどうか、試しているのだ。アオイはそう気づき、むしろその挑発に勇気づけられた。
「無論、穿きます。私は、こんなことで逃げ出すようなタマじゃありません」
言って、掴み取るように軍曹の手から下着を受け取る。
生温かい、へなりとした薄い生地と紐を見下ろして、ゴクリと喉を鳴らす。他人のパンツを穿くというだけでも躊躇するのに、女性の、しかも脱ぎたてのパンツなのだから、当然かなりの抵抗感がある。しかし、
「っ、うおおぉぉぉぉっ!」
全てはシノを守るため、己が男を貫きとおすためである。意を決して、アオイはひと思いに自らのパンツを脱ぎ捨て、間を空けずに軍曹の妖艶なレースのパンツに足を通した。
軍曹の尻はスカートの生地を張り裂くように盛り上がっているから、きっと自分には緩いだろうと思ったのだが、サッカーで培った筋肉がまだほんの少しは残っていたおかげか、案外ちょうどいい。
「どうだ、百合園」
尻と同じように盛り上がっている胸の下で腕を組みながら、軍曹がどこか満足げな笑みを口元に浮かべる。アオイは内ももを擦り合わすようにしながら、正直に言う。
「あ……温かいです」
「そ、そういうことを訊いているのではない」
軍曹はその厳しい面立ちに少し恥じらいを混ぜ、それから不思議そうに言った。
「だが、なぜ下着を身につけていなかった? あれこそが、お前の女子能力の鍵となるものかもしれないのに」
「下着が……鍵? どういうことですか?」
「お前、自分の父親の女子力を聞かされていないのか? 私は既に理事長から聞いているが」
「そういえば、理事長は何か言いにくそうにして……それから何も聞かされていません。アオイさんも、そうですよね?」
とこちらを見上げるシノに、アオイは頷く。すると、軍曹はどこか落ち着かない様子で目を泳がせ、
「そ、そうか……。まあ、確かに女の口からはちょっと言い出しにくいものだしな、まだ聞かされていなかったか……。だが、ここで教えないわけにもいくまい」
と、耳を赤くしながら、ふらりと足を踏み出して武道場の奥にある扉のほうへと歩いて行き、その中に姿を消した。と思うと、二本の竹刀を持ってこちらへと戻ってきた。その一本をアオイへ投げ渡し、
「さあ、来い。剣道の『面』は解るだろう? あれを五十本だ。私が受けてやる」
「え? 面……? あの、私の父の女子力は……?」
「まあ、いいから言われたとおりにやってみろ」
はい、とアオイは急かされるままに、軍曹が額の上あたりの高さに構えた竹刀へ向けて竹刀を振るった。竹刀を握ったのも初めてなのだから、当然、面の打ち方など解りようはずもない。しかし軍曹は、そのようなことは解り切っていて注意する気もないという様子で、アオイの面を五十本ひたすら受けた。
「よし。では、それをこちらへ寄越せ」
「は、はい」
「目を瞑れ。そして構えろ」
「目を……?」
「ああ、そしてイメージしろ。お前の手に残っている竹刀の感触に全神経を集中させ、『自分は今竹刀を握っている』と、そう思い込むんだ」
なぜこんなことをしなければならないのかは解らない。だが、横目にシノを見てみても、ただ静かに『大丈夫。言われたとおりにやりなさい』という顔で頷いているだけである。
しょうがない。アオイは言われたとおりに、まだ手に残っている竹刀の柄の感触を手に思い浮かべた。意外とズシリと来る重さ、硬く細い柄の肌触り。それらをイメージして集中を研ぎ澄ましていると、やがてシノが驚いたような声を上げた。
「これは……! アオイさんの女子力ですか、軍曹先生?」
え? と目を開く。すると、持っていないはずの竹刀が、いつの間にか手に握られているのだった。
目を瞑っている内にそっと握らせたのかと軍曹を見るが、軍曹の手には二本の竹刀がしっかりと握られている。しかもアオイが握っていたその竹刀は、目を開いて五秒と経たないうちにすぅっと空中へ解けて消えて行ってしまったのだった。
「今のは……」
「わたしの女子力、『赤豹』。そしてお前が父親から受け継いだ女子力によって作られたものだ。わたしの女子力は、『使ったことのある武器を無から生み出すことができる』もの。そしてお前の父親の能力は、『身につけた下着の所有者が持つ女子力を自らのものとする』というもの。その二つの女子力が合わさったのが、今の竹刀の正体だ」
「で、では、もしわたしのパンツをアオイさんが身につければ、アオイさんは『絶対聖域』を使えるようになると……?」
目を見張って尋ねたシノに、軍曹は「そうだ」と小さく頷く。
「だが、本当に父親の能力をそのまま受け継いでいるとはな……。親から子にというのは、そう珍しいことではないが、父親から息子にもそれが起こるとは……興味深いと言うほかないな」
「は、はいっ。これはすごいことですよ、アオイさん」
と、シノは息を荒くしてアオイの手を掴む。
「もし、このアオイさんの女子力が大きく成長したら、アオイさんに敵う人なんていません。わたしだって簡単に負けてしまいます。なんでしたら、アオイさんが生徒会長になって――」
「ちょ、ちょっと待ってください、シノさん。私は生徒会長になれるような器の人間じゃないですよ。それに、この能力には女の子のパンツが必要なんですから、そんなに強くなんてなれません。今だって、ほんの数秒で竹刀が消えちゃったし……」
「そのとおりだ。慌ててはいけない」
アオイの肩とシノの肩とをぽんと叩きながら、軍曹は穏やかに微笑する。
「女子力は一朝一夕に身につくものではない。長い目で、じっくり取り組んでいくがいい。私も少々のアドバイスくらいなら与えていこう」
「はい、お願いします」
「そうですね。ありがとうございます、軍曹先生」
五百雀が『軍曹』と親しみを込めて呼ばれる理由が解った気がした。頼りがいのある、いい先生なのだ。思わず軽く心酔してしまいながら、アオイがシノと共に頭を下げると、軍曹は腕時計へ視線を落とす。
「では、ここまでとしよう。今日はスーパーのタイムセールでな、なるべく早く帰りたいんだ。そのパンツは……そうだな、餞別にくれてやる」
「え? 私にくれるんですか?」
「ああ、代わりにお前のパンツを貰っていくぞ」
軍曹はそう言って、シノが拾い上げてくれていたアオイのボクサーパンツを平然と装着し、
「よし。では、鍵をかけるからここを出ろ」
そう言って、竹刀を持って用具室のほうへ歩いて行った。
これなら戦える。男らしくシノの力になることができる。漢らしく戦って、そうして男に戻るんだ。そう喜び勇みながら外へ出ると、いつの間にか暮れ始めていた太陽は、アオイの心を映したようにように赤く熱く、空を燃やしていた。




