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王立学院図書館シリーズ番外編・小話集  作者: 藤本 天
迷子の魔導書事件の後始末
5/7

前篇

迷子の魔導書と王都の魔導師の事件の後、ユーリさんはこんな目にあっていましたとさ

上質な天鵞絨(ビロード)のような夜空に焼きたてのバタークッキーのような月が浮かぶ。

甘い蜜のような綺麗な光が世界中に降り注いでいる。

その甘い光を受けて、王立学院図書館の最上階にある植物園の花々は夢を見るようにまどろんでいた。

そんな、どこか幻想的な空間の中、

「はあぁぁぁぁ」

深ぁい溜息をつく、陰気な表情の人間がひとり。

王立学院図書館に下宿中の貧乏貴族の娘兼勤労学生のユーリ・トレス・マルグリットである。

彼女は憂鬱そうに溜め息をつきながら、美しい幻想的な植物庭園を歩いている。

その右手にはバケツと雑巾、モップ。左手には箒とちりとり、はたき。

エプロンに三角巾、ポケットにはゴミ袋が入っているという、完全装備。

……………悲しいくらいに場違いな格好。

憂鬱そうに階段を下りていくユーリに合わせ、彼女の装備達がカラカラ音を立てる。

階段を下りた先、沢山の扉を潜り抜け、たどり着いたのは高級ホテルのロビーを思わせる広い部屋。

ホテルのロビーとは違うのは、壁一面に設置された本棚と本棚を隙間なく埋める本がある事。


一般公開される魔導書を蔵書している魔導階である。


ドレープのきいた美しい深い色のカーテンが窓を覆うせいで時間が止まっているかのように静まりかえり、闇に沈む部屋の中、ユーリは臆することなく目的地に向かって歩く。

魔導階の出入り口、大ホール行きと銘打たれた扉の前に立つ。

ユーリは覚悟を決めたように、エプロンのポケットから沢山の鍵が連なった環を取り出す。

「ああ、どうかまともな部屋に出ますよーに!!」

目を閉じ、祈りながら賭けるように一本の鍵を選び出す。

その鍵を、ユーリは目を閉じたまま扉に突き刺した。

木で出来ているはずの扉は柔らかなパン生地のように鍵を飲み込む。

「ファイトぉ!!あたし!!」

気合を入れるように叫ぶと同時、ユーリは鍵を回す。

……カチッ

鍵が錠と噛み合った音を響かせ、扉が開く。

一寸の先も見えない、巨大な穴のような四角い空間が口を開ける。

ユーリは息を吸い込むとその穴の中に飛び込んだ。


「あら、関心。ちゃんとお仕事をしているようですねぇ」

温かな光を零す、洋燈の側で開いていた本を閉じたエリアーゼはくすりと微笑んだ。

柔らかそうなソファに優雅に腰掛ける彼女の膝の上にはさっきまでユーリが手にしていた鍵がある。

『………どうやら安全な部屋に辿り着いたようだな』

低く囁かれる声にエリアーゼは笑みを深める。

「あら?ずいぶん可愛がってくださるのですね」

ぐるりと見回すのはぎっしりと本が詰まった本棚。

『別に気に入ってはおらん』

否定の言葉が本から聞こえれば、

『あれは面白いからな』

肯定ととれる言葉も聞える、

『…あれは貴重な“語り手”であるからな』

意味深な言葉も聞えた。

その言葉すべてにエリアーゼは微笑む。

「形はどうであれ、存在を認めてくれるだけで十分です」

禁制魔導書階の中、女館長は寂しげに微笑む。

「それだけで、きっと、彼女は生きていけるでしょう」

すっと服のポケットから出したのは小さな鏡。

開いた鏡の中では薄明かりの中、五十人くらいは人を収納できそうな大きな部屋の中でモップを一生懸命動かしている少女がいた。

「あなたは、色々な存在に愛され、望まれて生きているのですよ?古き記憶と意思を抱くが故の孤独ごと、皆、あなたを思っているのです」

だから、とエリアーゼは言葉を切り、立ち上がる。

「あんな危ない事に首を突っ込んで、自分の事を大事に出来ないなんて、許されると思っているのですか?たとえ、神が赦してもあなたを愛するモノたちは許しませんよ」

『だからといって、この罰はどうかと我々は思うぞ?』

エリアーゼが先程まで読んでいた本がぽそりと呟く。

「人は痛みを伴わなければ学べない生き物なのですよ。幻想の世界(ヴェルト・イルサオン)

『………人の愚かさはよく知っておる、だがなぁ』

どうにも歯切れの悪い魔導書を見下ろし、エリアーゼはくすくすと鈴のように笑う。

「随分と可愛がってくださっているのですね。あの子を」

『これまでの“語り手”と違い、何も知らぬままここに囚われるであろう事を不憫だと思いながら、何も告げずに着々と枷をつけていっている事を可愛がるというのならば、可愛がっておるのだろうな』

突き放すかのような暗い声にエリアーゼは笑みを消す。

「そういう言い方を先代は嫌っていましたよ?」

『……』

一瞬、禁制魔導書たちが完全に沈黙した。

「どちらにしろ、あなた達も契約に縛られる身、契約の下、王立学院図書館長の特権を使わせていただきます」

立ち上がったエリアーゼの手には限りなく透明度の高い手の平大の丸い魔鉱石を中心にした美しい杖が握られている。

『…………契約の下、我幻想の世界(ヴェルト・イルサオン)は汝に叡智の一片を行使することを赦そう』

短い逡巡のあと、小さな溜息と共に幻想の世界(ヴェルト・イルサオン)はテーブルの上で開いた。

ぱらぱらと風にめくれるかのようにページがめくられ、あるページで止まる。

「では、お仕置きですよ。ユーリさん」

にっこりと微笑んだエリアーゼの背後で、『鬼だ』『魔女がいる』、『鬼畜だ』と禁制魔導書たちが囁き交わす。

「火」

一言、エリアーゼがつぶやいた瞬間、禁制魔導書たちはいっせいに沈黙した。



漆黒の闇の中、ぱちりと何かを開く音とともに青い光が灯る。

『目覚めよ、 

朝日のように 

       明らかな光を』

歌のような不思議な言葉が部屋に響いた途端、室内は真昼のように明るくなった。

「……よかった、まともそうな部屋だ」

五十人くらいは収容できそうなだだっ広い部屋の、白黒の市松模様の床の上でユーリはほっと息をつく。

収納家具や照明器具さえない部屋の中、彼女は今まで持っていた武器を下ろす。

「じゃ、はじめますか」

気だるそうに溜め息をつきながら、それでもきちんと箒とつかんだ。


つい三日前のこと

王立学院図書館・館長室。

「理由はどうあれ、禁制魔導書たちを部屋から出した挙句、暴走させるなど、言語道断です」

「…ごもっともです」

エリアーゼの前で直立不動の姿勢でいたユーリは一言、頷いた。


その日、ユーリは、アヴィリス・ツヴァイ・ネルーロウ=スフォルツィアの魔導書が迷子になり、それに絡んだなんやらかんやら(詳しくは『迷子の魔導書と王都の魔導師』参照)によって王立学院図書館内で禁制魔導書たちが最終的に暴走した件で王立学院図書館館長であるエリアーゼからお説教を受けていた。


ちなみに、お説教開始から一時間が経過している。

いい加減ぐったりしてきたのだが、気を抜けば、そこをついて責められる。


逃げ場なし。


「とにかく、今後こんなことがないように。あなたには罰則を受けて貰います」

「はい」

もはや、弁解する気力すら失せたユーリはただ項垂れる。

「あなたは、秘匿すべき事柄を知る数少ない者なのです。重々気をつけて行動してもらわなければ困ります」

「……すいません」

項垂れたユーリにエリアーゼは溜息をひとつつく。

「では、罰則ですが」

白魚のように美しい指先が銀の環を机から取り出す。

銀の環に下げられた大きさも形も色も違う様々な鍵が軽やかな音を立ててエリアーゼとユーリしか居ない空間を彩る。

が、

その環を見た途端、ユーリの顔色が真っ青に染まる。

「まさか、それって………」

縋るようなユーリの視線を受け、エリアーゼ館長はいっそ天使のように微笑んだ。

「この鍵の示す部屋、すべての清掃作業をきっちりやっていただきます」

「……………はい」


「………………はぁ」

回想から戻ったユーリは溜息をつく。

ぺらっぺらのアルバイトが上司兼大家に逆らえるわけもない。

上司の命令は絶対なのだ。

「ううっ、マジで引越し先と転職先を探そうかな?………あんな事件がまた起こったらあたしの身がもたない………」

ぐすぐす泣き言を呟きながらユーリはモップを動かす。

今回の事件で無傷でいられたのは本当に奇跡以外の何物でもない。

(ヤバい事からは早めに手を引いといた方がいいしね)

平穏無事に天寿を全うしたい。

それが何よりユーリの願いだ。

「しっかし、まぁ」

ネガティブな思考を振り払うようにユーリは顔をあげる。

「何の部屋なんだろ、ここ」

白黒の市松模様のただ広い部屋を見回す。

「王立学院図書館の隠し部屋ってありえないよーな部屋が多いけど、ここも変な部屋だなぁ」

その場にしゃがみ込み、足元の黒い床を触ってみた。

ひんやりと冷たい感触にただ首を傾げる。

「何で出来てんの?この床。…石?」

そんなユーリの耳に微かな音が届いた。


ボーン…ボーン……


「えっ!?」

ユーリはぎょっとして顔をあげた。

「嘘!?……何でっ!?」

耳に届く鐘の音にユーリは青褪めた。

慌てて立ち上がった瞬間、床がいきなり振動した。

摑まる場所などなく、床に這いつくばって、地響きと共に動く床に耐える。

巨大な地震に襲われたかのように成す術なく耐え続けながら、ユーリは懐中時計を見ながら、必死で鐘の音を数える。

「じゅう、じゅういち、じゅうに……っ!?」

図書館の鐘の音が止んだ途端、部屋の振動が止まる。

「十二点鐘!?嘘でしょっ!?」

悲鳴のような声をあげたユーリは立ち上がろうとして失敗した。

「……あたたた……」

鼻を押さえながらユーリはよろよろ立ち上がり、ふと自分の体の上にかかる影に気づいた。

やたら大きくて、なんだか不思議な形をしている。

「?」

……ゴットン

首を傾げたユーリはその姿のまま蒼褪めて固まってみせた。

ゴットン……ゴットン・・・・・・

何か重いものを置くような音が近づいてくる。

錆びたブリキ人形のようなぎこちない動きでユーリはゆっくりと音の素を振り返る。

「…………でかっ!?」

そう、それは大きかった。

成人男性の背丈より一回りは大きいだろうそれ(・・)は。

「チェスの駒っ!?」

つるりとした白と黒の石で出来たそれはチェスの駒の形をしていた。

「って、ことは、この床はチェス盤っ!?…んな、馬鹿なっ!!」

歩兵(ルーク)騎士(ナイト)僧侶(ビショップ)……見覚えのある駒が並ぶ盤上でユーリは一人唖然と突っ立った。


…ゴットン


一歩、白と黒の駒がこちらに前進した。

ユーリは顔を引き攣らせて一歩後退する。

「……この陣形、やな予感しかしない」

駒達はユーリに相対するようにずらりと並んで整列している。

じっと駒を見つめたユーリはキッと顔を引き締めた。

「…とりあえず……」

ユーリはポケットに入れていた鍵と懐中時計を取り出しながら、覚悟を決めたように身構えた。

懐中時計をぱちりと開ける音に駒達は警戒するようにことりと蠢いた。


白黒の空間で、少女と駒が睨みあう。


「逃げるっ!!」

身を翻すや否や、ユーリは一目散に扉の方へ逃げた。

一瞬反応が遅れた駒達はガタガタと動く。

風のように走る少女の後を駒達は追いかけた。

「ぎゃーっ!!やっぱりいぃぃいいっ!!」

ゴダゴトと重たい音が背後に近付き、振り返ったユーリはさらなる悲鳴を上げる。

「てゆーか!!あんなに大きい癖になんでこんな早いのっ!?反則っー!!」

すぐ近くまで走ってくる駒達はあり得ないくらい早かった。

半泣きになりながらユーリは必死の思いで一本の鍵を環から外す。

「とりあえず、どこでもいいからここ以外ーっ!!」

そのユーリの動きを予想するように、二体の駒がユーリの前に躍り出ようと飛び上がった。

白と黒の騎士が宙を舞う。

その瞬間を見たユーリは最悪の状況を予想して悲鳴をあげた。

「ありえないいいっ!!」

騎士の駒は彼女の前に高く立ちふさがり、退路をふさぐ。


 …………はずだった。


ガゴンッ


「え?」

白と黒の騎士が空中で正面衝突し、落下した。

「は?」

状況が理解できずに、駒達と共にユーリも硬直する。

「え~と……」

『何故?』

とでもいうように駒達は僅かに傾ぐ。

「いや、あたしに訊かれても……」

ふと、足元を見下ろしたユーリは白と黒の盤面をまじまじと見、チェスの駒達の足元を見下ろす。

チェス盤とチェスの駒。

「もしかして、あんた達って決められた法則でしか動けないんじゃ……」

騎士の駒達が同時に動き、しかも飛び上がった場所が悪かったのだろう。

着地する前にお互いが交差し、ぶつかってしまったのだ。

『あ、な~るほど』

とでもいうように駒達がことりと動く。

原因がわかって納得したのか、歩兵の駒達がコトコトと動いて倒れた騎士の駒を介助する。

ほのぼのした光景をぼ~っと見ていたユーリは慌てて鍵を使って扉を開く。

「…………じゃ、そーいうことで!!」

扉を閉める一瞬、見えたのは駒達が白と黒のハンカチを振ってユーリを見送る姿だった。

(なに?この微妙なぐだっぐだ感……)

一瞬は生命の危機すら感じた分、脱力感が半端ない。

(ま、とりあえずあの恐怖体験からは脱出できたから、よしとし……)

扉を閉め、一歩踏み出す。

…………その足下がなかった。

「どんな罰ゲームぅぅぅっ!?」

ユーリの悲鳴が澄み切った青空に響いた。


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