夏の夜に幕引きを
その後。
普通科、騎士科、魔導科の生徒が数名『学院』の中庭で倒れているのを発見された。
彼らは恐怖に震えた様子であったが、おおむね健康体であったため、彼らが落ち着くのを待ってから、彼らを発見した警備員の手によって彼らが所属する各学科の生徒指導教員に引き渡された。
『肝試し』の翌日。
早朝。
『学院』本部生徒指導室。
そこには三名の教師と『肝試し』に参加した生徒達が集まっていた。
「だから、本当に『猫の部屋』に巨大な黒猫が!!」
「『鷲の部屋』大鷲がギロチンを落として来て本当に殺されかけたんです!!」
キーツと数名の少年達の発言を聞いたのは、王宮で元は近衛騎士団隊長を務めていた、厳格かつ屈強な教師。
彼は話を聞いた途端、怒りで筋肉を盛り上げ、教室の空気を裂くような声を張り上げた。
「何を馬鹿な事を言っとるか!!この王国の法と秩序を学び治安維持に心血を捧げる騎士科に所属していながら規則を破るとは!!貴様らは完全装備で『学院』外周を走って一周して来い!!」
「本当に!本当に『三日月兎』が!!」
「大階段に生きた少女の絵が!!」
「君達も服を着替えて『学院』外周をマラソンしてきなさい。このザラート王国最大の敷地面積を誇る『学院』の外周を」
普通科の生徒指導教師は騎士科の教師ほど激昂はしなかったが、しっかり不法侵入経路を訊き出し、そこからの侵入が出来ないよう図書館に報告したうえで、静かに少女らに罰則を下した。
「いやしくも魔導科生徒であるあなた達は、ま・さ・か図書館に喋る兎や猫や狐が出たなんて言いませんよね?」
銀縁眼鏡をきらりと輝かせて、にっこりと鳶色の髪の女性教師は微笑んだ。
「……」
タックは生徒指導教師からすっと目を逸らす。
理知的かつ合理的、『学院』一の才女と呼ばれたこの女教師に『怪談』話は水と油だ。
「でも!!本当にこの目で見たんです!!」
「馬鹿!!ショウ!!」
あわててタックがショウを止めるがもう遅い。
ショウの不用意な発言を聞いた指導教師のこめかみにがっちりとアリの巣の様な頑丈な血管が浮き上がる。
「心身ともに強靭でなければ、魔導という神秘を扱うに相応しくありません。暑さでとち狂ったその心身、この夏の間にわたしが責任を持って鍛え直して差し上げましょう」
タックは、今年の夏休みがこの鬼の女教師によって潰される事を悟ってただ項垂れた。
「では、手始めに『肝試し』仲間と一緒に『学院』外周走ってきなさい。もちろん、この重りを背負って」
タックとショウの前にどすんッと重々しい音を立てて置かれたのは、妙に四角いナップザック。
中を恐る恐る覗いたタックは気を失いたくなった。
『魔導辞書Ⅰ~Ⅻ』
※『魔導辞書』
魔導師が魔導を使う時に使用する魔導文字・魔導図形や、魔力を含む薬草、その他、様々な系統の魔導について記された、辞書。
記された内容があまりにも広範囲かつ、非実用的すぎるため魔導師でも滅多に読まないが、魔導師の互助組織の中でも結構有力な組織が作っているため、大人の事情により毎年更新&出版され、魔導教育施設に売りつけられ、大体図書館の肥やしになるというある意味すごい品。
ちなみに、一冊のページ数がやたら多いため、分厚い革で製本、金で本の四隅を補強されているのでとっても重い。……思いっきり振り回してうっかり誰かに当てたら、当たった相手はタダではすみません☆
「ん?」
王立学院図書館の最上階にいたユーリは『学院』をぐるりと囲う、巨大な堀と塀の間の小道を走る一団を見た。……ような気がした。
ユーリはログハウスに戻ると、双眼鏡を手に持ち、植物園のガラス張りの屋根に備え付けられた梯子を登り、天窓を開けた。
下を覗けば目がくらんで貧血を起こしそうな高さ、そのおかげで『学院』の広大な敷地が見渡せ、正門の方角を見ればチューリの中心街が見え、そのまま真っ直ぐ顔を向ければ『学院』を囲う海の澄みきった青が広がる。
その海の手前、さんさん……というには苛烈すぎるギラギラした太陽の光を一身に浴びて走る数名の少年少女がいた。
ユーリは慎重にそっと半身を乗り出して双眼鏡をのぞく。
「やっぱり、昨日『肝試し』してた子たちだ」
何人か、鎧兜を装備した、今時宮廷の騎士でさえしないような完全装備で走っているため顔がわからないが、走っているメンバーから予想すると『肝試し』の罰らしい。
今日もまた雲ひとつない晴天の中、屋内で大人しくしているユーリでさえ暑いというのに、あのように走らされるのは暑いし辛いだろう。
昨日の夜の秘密を知っているのはユーリと『禁制魔導書』達と『狐・猫・兎・鳩・鷲』と銘打たれた談話室や自習室にいる『番人』達だけだ。
あの『肝試し』に参加した生徒達に大鷲がギロチンの刃を落とした後、
「ストーッ……プッ!!」
ギロチンの刃が地面に突き刺さる瞬間、“処刑場”に声が響き渡る。
その声に止められたようにギロチンの刃が空中で静止した。
やんややんやと歓声を上げていた獣たちは一斉に声の方を向く。
“処刑場“に作りつけられている革張りのドアの前に一人の人影がある。
「ちょっとやりすぎでしょう!!」
その人物は体を覆っている黒い外套のフードを取り外して獣たちを睨みつける。
生徒達を縛り付けて焼く炎に照らされたのは漆黒の瞳をもつ少女、もちろんユーリだ。
獣たちはユーリの静止と消えたギロチンの刃に不満があるのか、口々にブーイングをこぼす。
ぎゃいぎゃい五月蠅い獣たちを無視して、ユーリは縛られている生徒達を見る。
幻の炎と頭上から落ちて来た刃の恐怖に失神しているだけらしい。
「みんな、もう気はすんでるでしょう?この子たちもこれだけ怖い思いしたならもう夜中にここに入ろうなんて思わないだろうから、もうやめて」
説得するユーリを獣たちはそっぽを向いて不満を示す。
巨大な鷲やギロチンの刃を抱え持った巨大な兎まで他の獣たちと一緒に拗ねた子供のようにむくれている。
だが、
<ユーリが止めるならば、これ以上我らが手を貸すわけにいかん>
<それが約束だからな>
<お主らも従わぬか>
ざわりと『禁制魔導書』達の声が響く。
さすがに魔力の格の違う『禁制魔導書』に逆らう事は出来ないのか、ぶーぶーと文句をたれながら獣たちは幻の炎を消し、生徒達を解放して外に運び出す。
<あれでいいのか、ユーリ>
わっせわっせと生徒達を運び出す獣たちと共に歩いていると、『禁制魔導書』達の声が届いた。
「て、ゆーか。あれ以上やったら死人が出るから……」
ぐったりと項垂れたユーリは溜息をつく。
「中庭にでも転がしておけば、明日には先生に見つけてもらえるし。夏だから凍死する事はないでしょ」
<……エリアーゼは納得すると思うか?>
ユーリと獣たちが、ぎくりと肩をすくめる。
「うっ、納得してもらわないと……。あれ以上やったら死人が出るし……」
三日ほど前。
『エ、エリアーゼ館長……』
恐るべき怪力の下、無残にへしゃげた角灯を見てユーリは顔を引き攣らせた。
『禁制魔導書』達も息をひそめてエリアーゼをうかがう。
エリアーゼの話によると、『肝試し』で図書館内に不法侵入した生徒がうっかり倒したらしい角灯のせいでボヤ騒ぎが起きそうになったらしい。
図書館内の魔導で大事には至らなかったが、『肝試し』のたびに備品が傷つけられたり汚されたりと、頻発する“『肝試し』被害”にいい加減我慢が限界に来ていたエリアーゼをブチ切れさせるに十分な起爆剤となってくれた。
『今回という今回はもう堪忍袋の緒が切れましたの』
にっこりと笑う顔、しかし、その目が一片たりとも笑っていない事に気付いたユーリはきちんと姿勢を正して沈黙した。
『『禁制魔導書』方』
声を掛けられた『禁制魔導書』の数冊が書架の中でがたりと震える。
『一時的に『禁制魔導書』階の結界を弛めます。今夜やってくるであろう生徒達を存分に怖がらせてあげて下さいな』
<りょ、了解した>
古株の『禁制魔導書』が『禁制魔導書』達を代表して是と答える。
『ユーリさん』
『は、はい!!』
『『禁制魔導書』達がはっちゃけすぎてうっかり死人が出ないよう十分気をつけてくださいね?』
にっこりと微笑まれたユーリの脳裏に、蛇に睨まれた蛙の姿が思い浮かぶ。
いま、この女に逆らってはいけない!!
『かしこまりました!!』
思わず敬礼したユーリを一瞥し、エリアーゼはにっこりと微笑む。
『では、よろしくお願いしますね』
言い置いて『禁制魔導書』階を出たエリアーゼの後ろ姿を見送ったユーリは、エリアーゼの足音が完全に消えた事を確認して、
<「はぁ」>
『禁制魔導書』達と共に大きく溜息をついた。
そして、今夜の『肝試し』に至る。
『禁制魔導書』達が魔導で『番人』を呼び覚まして操り、ユーリは生徒達が死なないように見張っていた。
(あの公開処刑現場はヤバかったけど……。『番人』達もずいぶん鬱憤溜まってたんだろうなぁ)
特別な魔導や細工で夜間は立ち入る事の出来ない、図書が納められた『階』はいいが、実際に『肝試し』の舞台になっていた自習室や談話室にいる『番人』達は『肝試し』のたびに同胞が傷つけられたり、蹴り飛ばされたり、危うく燃やされそうになったりした事があったらしく、『禁制魔導書』によって魔力を与えられ、自由を得た彼らはとても従順に働いてくれた。
中庭の東屋に気を失った少年少女達を転がし、図書館に戻る。
その道すがら、角灯を持った警備員らしき人影が二人、東屋に駆け寄る姿を見た。
どうやら、彼らは無事に寮に帰る事が出来るらしいと、ほっと息をついて図書館の扉を閉める。
「今晩はありがとう」
図書館の大ホールに集った『番人』達に礼を言うと、獣たちは楽しそうに走り回りながら部屋に戻って行く。
それを追うようにユーリも自分の部屋に戻る。
大ホールの大きな柱時計が十二時を指してゆっくりとした低い鐘の音を響かせた。
(いま思えば……)
エリアーゼの本当の狙いはこれだったのではないか?と、苦しそうに走る少年少女を見て思う。
少なくとも、あの罰則を受けている少年少女達を見れば『肝試し』をしようなどと思う生徒はいないだろう。
ユーリは天窓を閉じ、階段を下りて『禁制魔導書』階に向かう。
面白いお土産話も手に入った事だし、そろそろ日中で一番暑い時間になる。
罰を受けている彼らには悪いが、暑いのはユーリもご免だ。
「『肝試し』なんかより、涼しいところで昼寝した方が暑さしのぎになるし」
昨日夜が遅かったせいで眠いユーリはお気に入りのクッションをひとつだけ持って階段を下りて行く。
これはもう四年近く前の事。
ユーリ十一歳の夏に起きた一幕である。
そして、四年後。
今年も王立学院図書館に夏がやって来た。
庭の花の数や種類はずいぶん変わったが、庭の美しさは変わらない。
木陰の中のログハウスも、水を噴き上げる噴水も、植物園の天井から差し込む日の光も変わらない。
そんな庭にも変化があった。
四年経って背が伸びて、十一歳の女の子はあと少しで十六歳。女の子というより少女らしい姿に変わっている。
今年の秋で十六歳になるユーリは薄い緑色のお茶を湛えた涼しげなガラス製のグラスをトレイにのせて歩いている。
向かう先は、涼しげに水を噴き上げる噴水を中心にした庭園。
その噴水のふちに腰かけて藍色の髪を持つ美丈夫が黙々と本を読んでいる。
「何読んでるの?アヴィリスさん」
「ああ、ユーリか……」
美丈夫は琥珀色の瞳をすがめてユーリを見上げ、本にしおりを挿むと彼女の持っているトレイからグラスをひとつ取り上げた。
礼のひとつもない傍若無人な振る舞いだが、『禁制魔導書』やエリアーゼの行動に振り回され慣れているユーリは特に気にせずに彼が無造作に置いた本の隣に腰掛ける。
「『王立学院図書館の夜』……って、これ、ここの怪談話を集めた本じゃない。こんなもの面白い?」
「ああ」
「どこが?」
胡散臭げにページをめくるユーリをアヴィリスはまじまじと見下ろした。
「怪談話っていうのは、ひとつの場所に大体ひとつと決っているだろう?」
「そう?でも、ここにはほら、こんなに分厚い本になるくらいたぁっぷり怪談話があるけど」
「まず、その段階でおかしいと思え。……ただの図書館にこんなに怪談話が何故生まれる」
「だって、この図書館普通じゃないし……」
しれっと言い放ったユーリにアヴィリスは大きく頷く。
「ああ、それは俺も重々承知している。だからこそ、こうしてここにまつわる奇妙な話を調べている」
「?」
ユーリが首を傾げると、アヴィリスは彼女から本を取り上げ、ぺらぺらとページをめくる。
「ほら、ここを読め」
「『夏の夜の処刑場』?ええと、何々?……わたしは若かりし頃…………」
ユーリは読んでいくうちに背中を嫌な汗が伝う事を感じた。
その話を読み終えたユーリ恐る恐るアヴィリスを見上げる。
「ええと、この話、『肝試し』した人が酷い目にあった話だよね?これが、どうかした?怪談話によくありそうな話だと思うけど」
「これの記述はいま宮廷で魔導師として働いているある魔導師が投稿したものだ」
「それで?」
「かなり真面目な魔導師なのでな、こんな話を投稿した事が気になって、彼に話を聞いたんだ」
「へぇ~」
(余計な事を~!!)
ユーリは心の中でうめく。
「誰もこんな馬鹿な話は信じてもらえなかったそうなんだが、確かに彼はこの目で見たという」
「それで、アヴィリスさんはこの話が実話だと?」
「いいや。俺もこんな馬鹿げた話が実話だとは到底思えない」
そっけなく言い放ったアヴィリスにユーリはほっと息をつく。
「だが、この怪談の基になる“何か”があったとは考えられる」
(実話なんです……)
などと言えるわけもなく、ユーリはただ顔を引き攣らせる。
「怪談話というのは『こうなったら面白い』という期待と何らかの要因が一致して『怪談』という話が生まれるものだ。……つまり、この図書館にはこんな本になるほど怪談が溢れる要因になる“何か”が間違いなくあるんだ」
「で?」
嫌な予感がひしひしとする。
顔を上げたユーリはにっこりと微笑むアヴィリスを見た。
ユーリは体をのけぞらせて戦慄する。
こいつがこんな風に綺麗にきらきら輝く笑顔を見せる時、大体ロクな事を考えていない!!
「してみないか?ユーリ。『肝試し』を」
「断固拒否!!」
ユーリの声に驚いたかのように開かれたままだったページがぱたりと閉じる。




