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わがままお嬢様は美しいものがお好き  作者: 日乃のぼる


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不穏と不安

その日以降、ケイトは不用意に夜に出歩くことはなかったし、配膳係を希望することもやめた。例の先輩たちはすっかりおとなしくなった新人メイドに拍子抜けしたのか聞こえる大きさで何やら言ってきたが、それさえもケイトにとってはどうでもいいことだった。


時折、まだ明るい時刻に庭でお茶を楽しむカトレアの姿を見るだけで、ケイトは満足だったからだ。よく見るとカトレアの視線の先には木に登る灰色の猫の姿が見える。きっと猫のおかげでカトレアは、少しずつ外に出る気力をもらえているのだろう。


…自分が直接カトレアの力になれないことだけが、ケイトにとって気にかかることであったが。メイドとしてわきまえることを彼女は選んだ。


「少し前に偉そうなこと言っといて、随分大人しいわね…」


「どうせビビったんでしょう?口だけなのよどうせ」


「……」


しかしそれを面白く思わないのが、外野というものらしい。





いつものように廊下を掃除している時のことだ。


「きゃっ」


ドン!と背中が何かにぶつかった。ケイトは倒れそうな身体を慌てて踏ん張った。間一髪だ。


「……っ」


「カトレアお嬢様…?」


振り向くと小さな影が一つ。カトレアお嬢様だ。すぐそばの曲がり角から飛び出してきたのだろう。子供が走る光景なんて珍しいことではない。しかし


「…どうされたのですか…?」


ケイトは目の前の少女の目線に合わせるように屈んで彼女と向き直った。そして、取り出した白いハンカチを彼女の潤んだ瞳にそっと添える。


「…」


「申し訳ございません。今あるのはこれだけで…けど一応シルクのハンカチですので」


婆やが昔プレゼントしてくれたハンカチだ。これだけはずっと手放せないでいる。


カトレアは何も答えずに、大きな丸い目をパチリと瞬きさせた。縁取る長いまつ毛は涙で少し湿っている。こうして近くで見ると本当にお人形のように愛らしい顔立ちだ。


「……何でもない」


カトレアは下を向いて、一言だけ話して、口を閉ざした。何でもないわけがないではないか。しかし、急かしてもきっと彼女は口を開かない。ケイトは、努めて平常を装って続けた。


「カトレアお嬢様。よければ私とお散歩しましょう。…ここだといずれ他の者も通るので」


「……」


廊下の真ん中に2人がいる状況はあまりに目立つ。ケイトの意図に気づいたのか、カトレアも無言でコクンと頷いた。


ケイトがカトレアの手を差し出すと、意外にも彼女は素直に手を取った。何故かその姿が初対面の時に、カトレアに腕を掴まれた時と同じに見えたから不思議だ。小動物のように寂しそうな表情。ケイトは誰にも出くわさないように細心の注意を払いながら、屋敷の庭へ向かった。




昼間の時間帯だからか、日差しは暖かくそよ風が流れる庭は、まるで絵になるほど綺麗な光景だ。


運良く誰にも会わずに済んだケイトは、ガーデンテーブルにカトレアを座らせた。大人しいカトレアもケイトのエスコートを当然のように受け入れる。普段と様子は違うと言ってもさすがはお嬢様である。その立ち振る舞いはやはりケイトの理想とする貴族のお嬢様そのものだ。


しかしここでケイトは気づく。肝心の紅茶や菓子がないことに。ガーデンテーブルに座る貴族といえば、お茶会だ。中流の貴族出身のケイトですら分かる。


今からでも用意しなければとケイトはカトレアに声をかけようと開いた口を閉じた。カトレアはまた目を伏せながら、シクシクと泣いていたからだ。今の彼女を置いていくわけにはいかない。ケイトは覚悟をして、目の前のお嬢様に向き直った。


「お嬢様、ここでなら誰もいません。私でよければお話しくださいませ」


「……」


「お嬢様」


それでもカトレアは口を開かない。静かに首を横にふるだけだ。


困った。カトレアが泣くほど悲しんでいること。それはきっとご両親のことか…それとも


「……そういえば、猫の姿が見当たりませんね」


「……!コロネのこと、知ってるの?」


どうやら当たりらしい。カトレアは驚いたように目を見開いてケイトを見つめる。今まで何回か接しているはずだが、この時初めてカトレアはケイトの存在を認識したような気がした。


コロネ、というのは猫の愛称だろうか。可愛らしい名前だ。


「はい。…偶然猫に餌をあげる姿を拝見したので」


夜の件については、もちろん言わなかった。


「……コロネの姿が見当たらないの。いつも呼んだら来てくれるのに。…野良猫を愛でるなんて、貴族らしくないって思ってるんでしょ」


確かに上流階級の貴族が野良の動物を飼うなんて事例はあまり聞いたことがない。貴族の行動はいつも注目され、人々の噂になる。そのため、率先して貴族が慈善活動を行うことも珍しいことではない。


猫を飼いたい場合、大々的に保護猫譲渡会を開き、世間にアピールをするのが貴族の暗黙のやり口だ。善良な行動に見えるが、その裏で自分だけ血統書付きの高級な猫を飼うなんてザラである。つまり貴族というのは見栄を張るものなのだ。


それをわざわざ野良猫に手を差し伸べるなんて。その無知な行動は子供だからこそできることだろうか。


しかし、カトレアのまっすぐな瞳は、貴族を中途半端に知るケイトにはあまりに眩しく見えた。


「…お父様や執事長には言わないで」


「……」


屋敷使えのメイドとしての正解は、落ち込むお嬢様を上手く慰め猫のことは忘れましょうと言うことだろう。貴族のお嬢様が所望するなら猫は然るべきところから譲り受けるべきである。


「…カトレアお嬢様」


貴族としての正解を、ケイトが決めるなんて。自分はなんておこがましいのだ。吹っ切れたつもりだったがどうやら自分はまだ貴族としてのプライドが捨て切れないらしい。


「猫の件なら、お任せください。私がコロネを探してきます」


カトレアの目がパチリと瞬きした。何かキラキラと輝きが見えたような気がしたが、気のせいだろうか。


普通の貴族とは違う変わり者のお嬢様。ケイトの今までの貴族としての常識が通じるはずもない。まずまっさらな状態で向き合う必要があると、ケイトは考えた。そのためにも


「カトレア様、私にはわがままを思う存分言ってください。私はメイドとして…カトレアお嬢様のために動きます」


ケイトは彼女に誓うのであった。


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