プライド
夢遊病、それは睡眠中にぼんやりと歩き回る行動。睡眠不足やストレス、疲労、生活リズムが乱れることが原因とされていて。子供の頃、夢遊病だったとしても、成長するにつれて自然にしなくなることが多いらしい。
「ケイト、ぼーっとしてどうしたの」
声をかけてきた先輩の顔に見覚えがあった。カトレアと仲良くなるためのアドバイスをわざわざしてくれ、新人には重労働な仕事を割り振ってくれ、風邪をひいた時には、他の先輩たちと一緒に私の身を案じてくれた先輩だ。
「え、いえ。少し考え事をしてました」
「病み上がりなのも分かるけど仕事に復帰したならきちんと取り組んでね」
先輩の言うことももっともである。ケイトは気を引き締めるように制服を正した。
「もちろんです。…あ、そうだ先輩」
「なあに?」
「私、貴族出身ですが、一人前のメイドになれるよう頑張ります。カトレアお嬢様の配膳を希望するのは出過ぎた真似かもしれませんが、決して取り入ろうと行動したわけではありませんのでご安心ください」
先輩の眉がぴくりと動く。
「…急にどうしたの。何かあったの?」
「いえ。やはり、きちんと言葉にしないと伝わらないこともあるだろうなって思ったので。…あと、みんなが使う休憩室で他人の悪口を言う人にだけはなりたくないので」
「……っ!…何のことかは分からないわ。私は仕事だから失礼するわね」
余裕がなくなったのか、声を荒げる先輩。ケイトは深々とお辞儀をした。
「はい、先輩」
先輩が立ち去ったのを確認し、ケイトは今任されている掃除に専念をすることにした。しかし先輩の声があまりに大きかったのか、他の部屋で掃除をしていた同僚が「大丈夫?何かあったの?」と顔を出したため、ケイトはやむを得ず作業を中断した。
「ううん。ただ…ちょっと嫌味な先輩に少し言い返しただけ」
苦笑いをしながら説明すると、同僚は目を丸くしたが「ケイトちゃん、かっこいい!」とケイトを褒めた。
「本当にすごいよ!あの先輩と一部の人は、毎回新人をいびるんだけど、やり返したのはケイトちゃんだけだよ!」
どうやら先輩は元から嫌な人だったらしい。そういう情報は先に言って欲しいとケイトは思ったが、口に出すことはしなかった。目の前の同僚は、ケイトが入るまでは1番の新人だったはずで。袖で隠されてはいるが、ぶたれたような痣があるのを同室のケイトは知っていたからだ。
「……いつ頃から屋敷に仕えてたんだっけ?」
「私?私はね、半年くらい前からだよ~」
ということは、彼女は半年間も…。その先はあまり考えたくない。ケイトは、いたたまれなくなって、彼女の頭を静かに撫でた。
「で、今度はこちらにでしゃばってきたんだ。メイドさん」
夜の庭でケイトの姿を発見したセバスは、何か察知した様に追随に言葉をかけてきた。庭にちょこんとうずくまるケイトは今し方やって来た執事をチラリと横目で見る。
「…知ってたのね。先輩が私を悪く言ってるところを」
「何のことかは知らないが、古株のメイドと君が言い合いになってたのは、もう有名だよ。噂なんか興味のない俺でも知ってる」
今日の先輩メイドとの会話がもう噂になってるなんて。屋敷の皆の口の軽さには驚くばかりだ。
しかし驚くのはそればかりではない。
「みんなが君のことをなんて言ってたか知りたいかい?」
「あなたの言い方でなんとなく予想ができるからいいわ…それより。今日はずいぶんよく話すのね」
セバスの雰囲気がいつもと違う。いつもの誰も寄せ付けない静けさはなく、なんとなく柔らかい印象を受ける。話し方もまるきり違う。
「俺は今日は非番だから。うるさい老執事に何か言われる心配もない。今日の見張り担当も他にいるんだけどね。カトレアお嬢様のためなら非番だろうが関係ないから。君に話しかけたのはカトレアお嬢様の夜の散歩の邪魔になるからさ」
手入れのされた庭木の下で体を丸くするケイトの横にセバスは座った。
「俺でよければ話を聞こう。で、用が済んだら自室に早く戻るといい」
つくづく変わった人だ。
しかしケイトが屋敷の中に他に頼れる人がいないのは事実だった。先輩メイドは言うまでもなく、同僚もそれぞれ悩みを抱えており、相談するには忍びない。一番頼れる執事長は忙しく、なかなか会える機会もない。そのような環境で、ケイトに耳を傾けようとしてくれたのは、悔しいことに変わり者のこのセバスだけだ。
辺りも暗く、静けさが2人を包んでいる。もしここで吐露をしても、他に聞いてる人はいないだろう。
「私……メイドに向いてないのかしら」
自然に弱音を吐き出してしまうのは当然の流れだ。
思い出すのは、先輩メイドの言葉。本人を前にした時は、気丈に振る舞ったが、もちろん傷ついてないわけではない。先輩たちの甲高い不快な笑い声が脳裏に蘇るたび、ケイトの心はきゅっと掴まれたように痛かった。
「私なりに頑張ってきたのだけれど。何がダメだったのかしら」
「全部じゃない?」
セバスの答えにケイトは顔を上げた。こちらをまるでつまらないものでも見るようなセバスと目があった。
「自分の実力を見誤ってるところ。自分の力でカトレアお嬢様をどうにかできると思ってるところ。メイドとしての基本的なこともできずに、貴族としてのプライドが捨てきれないところ…全部だよ」
「……」
「貴族としてのプライドが捨てきれずに自滅する奴らなんて執事養成学校で山ほど見てきた。メイドの中にもいるとは思わなかったけどね。どうやら君はまだ自分が周りから大事にされる貴族様だと無意識に思ってるんじゃない?」
手厳しい。けどそれを言えるくらいの実績が彼にはある。所作や振る舞い全てが、彼の今までの人生を語っている。ケイトはそう思った。
そして指摘の内容も的確だ。確かにケイトはメイド生活でのあれこれを無意識に貴族時代の自分と比べていた。風邪をひいた時なんて顕著である。夢にまで出るほど、自分は貴族の地位を忘れられずにいる。
貴族の面倒を嫌って家を飛び出したくせに。とんだお笑いだ。ケイトの心は少しだけ冷えた。
「おまけにこうして、学習もせずに夜に出てくるところもだね。さあ、問題は解決しただろう。早く部屋に戻りなよ」
「…別に帰るなんて私は言ってないわ。相談を聞いてくれたのは感謝してるけど、それとこれは別よ」
ケイトがそう言うと、セバスはあからさまに嫌そうに眉間を寄せた。面倒なメイドとでも思ってるのだろう。
そうだ。自分は面倒なメイドなのだ。でしゃばりだと言われても、やはりカトレアの様子は気になるし、何か力になりたいと思ってる。
ケイトの意思は変わらなかった。
「…あ」
噂のカトレアを見つけた。少し遠いが確かにランプを持ち歩いている。夜中に1人歩く姿は異様だ。しかし
「……なんだかちゃんと意識はある様に見えるけど」
足取りもしっかりしている。顔つきも遠目から横顔しか見えないが、きちんと前を見据えている。服装も寒さ対策で着込んでいた。
「言っただろう。カトレアお嬢様は夢遊病だって」
「…うん。そうなんだけれど。だけど…」
やはりケイトが想像していた夢遊病の姿とは少し違う。
幼い頃すぐに母を病気で亡くしたカトレア。父も仕事で屋敷を留守にして、一人ぼっちで毎日を過ごしている。可哀想なお嬢様。夢遊病になってもおかしくない。
けれど。この違和感は何だろう。
そうこうしてるうちにカトレアは先を進んでる。
ケイトは無意識に追いかけていった。
「おい、カトレアお嬢様の邪魔をするなよ」
「分かってる。…けど」
それでもケイトの足は止まりそうにない。




