メイドの始まり
中途半端な身分の貴族ほど、窮屈なものはない。おまけに女に生まれたからには窮屈さに拍車をかけたような人生を送ることが決まったようなものだ。
生まれた瞬間から、嫁ぎ先の話が飛び交い、政治的な利用価値があると判断されれば、花嫁修行と称して様々な習い事を強制される。その努力も虚しく、結婚相手に恵まれなければ、家に居場所はないとばかりに奉公人として外に出される。
ああ、なんて世知辛い。そして不幸なことに今回の語り部であるケイトは、その中途半端な身分の貴族出身の娘であった。
「…この家とももうさようならか…」
生まれてから自分が使っていた部屋に1人たたずむケイト。貴族という身分のため、最低限の体裁を整えるように煌びやかな家具が並んでいるが、自分にはどうにもしっくりこなかった。そんな部屋とも今日でおさらばだ。
「ケイトお嬢様、お迎えの馬車が来ています」
「今行きます」
婆やに声をかけられ、ケイトは外へ向かう。お嬢様、なんて響きはどうにも自分には不相応に思う。何故ならお嬢様らしいことをケイトは経験した覚えがないからだ。
そんな自分は、今から住み慣れた屋敷を離れ、奉公人としてある屋敷へ向かうことになってる。つまりメイドとして貴族に仕えるのだ。
「さようなら、お父様とお母様にもよろしく言っておいて」
特に寂しさはなかった。もう堅苦しい花嫁修行をする必要がないのだ。むしろケイトにとって喜ぶべきことである。
「お嬢様…どうかお元気で」
あっさりと馬車に乗り、出発する姿を見送りの婆やは寂しそうに見つめていた。
下級貴族の娘が行儀見習いとして、他所の貴族にメイド仕えするのは珍しいことではない。ケイトも親同士の縁で奉公先が決まっていた。タンザナイト家である。
歴史や地理の勉強を教わっているケイトはもちろんタンザナイト家のことも知っていた。貿易業に精通しており、当主は王宮への出入りも許されている。自分の家とは比較にならないレベルの上級貴族だ。
そして予想通り、ケイトの前にそびえ立つ豪邸は、上級貴族の名に相応しい建物であった。
「今日からお勤めの方ですね。どうぞ、こちらへ」
門番の1人が礼儀正しく、ケイトの乗る馬車に一礼する。馬車の窓腰に門番と目が合い、ケイトは内心ドギマギしながらもお辞儀をした。
広い庭を馬車で通り抜け、ついた先は屋敷の前。自分が住んでいた屋敷と見比べ、ケイトは呆気に取られ息をついた。ケイトが思い描いていた本物の貴族の屋敷そのものだ。
御者に促され、馬車から降りたケイト。迎えに来たのであろう、背広姿の老人の姿があった。
「お初にお目にかかります。ケイトです。今日からメイドとして精進しますので何卒よろしくお願いします」
服の裾はあえて持たずに、一礼をして挨拶をする。自分はもう貴族ではないのだ。少なくともここでは新人の使用人でしかない。貴族としての挨拶は不要だと、ケイトは判断した。
「ご丁寧にこれはどうも。お話は伺っております。私が執事長として屋敷の責任を任されています。何かあったら私に言うように」
老人ながらも精錬された動きは、さすがといったところか。執事長を名乗る背広姿の老人は、新人の使用人であるケイトを労いの言葉をかけてくれた。
「移動で疲れたでしょう。今日は、簡単な屋敷の説明をした後、休んでください。仕事は明日から教えます」
どうやら執事長自ら案内をしてくれるらしい。その配慮は、自分が貴族出身だからなのか。貴族の扱いなんてケイトにとっては煩わしいことだ。しかしその考えは、案内された応接間にて杞憂であることを知った。
「実はあなたと同じく今日からお勤めになる子がいるのですよ。つまりあなたと同僚です。彼は執事見習いですがね。仲良くしてください」
応接間のソファに座るのは背の高い青年。かけてある銀縁メガネ越しと目が合う。一瞬どきりとしたが、青年はケイトの姿を確認した後、つまらなさそうにその目を逸らした。
「……」
挨拶しようと差し出した手を無言で引っ込めることにしたケイト。同い年ぐらいだろうか。貴族以外の同年代と話すのは初めてだ。仲良くなれるだろうか。そう一瞬だけ期待した気持ちは風船のように萎んでどこかへ消えてしまった。
「彼の名前は、ウィリアム。ウィリアム、彼女も今日から屋敷で働くケイトだ。仲良くやりなさいよ」
執事長は老眼で今の気まずい瞬間を見てなかったのか。ほのぼのとした様子で2人の同年代を引き合わせたのであった。




