一章 第十二話
キリエの全身を緑色の光に包んだところで、明は体の異変に気付く。
(体が動かない? それに声も出せない……。おまけに全身がだるい……)
そこまで考えて、キリエが『あたしの能力は一日三回が限界』と言っていたのを思い出す。どうやら、明の能力はキリエ以上に制限があるようだ。
「すごい……全身から力があふれてくる……! あんた、すごいじゃない!」
別に俺がすごいわけじゃない、と言いたかったのだが、体がまったく動かないため無理だった。
「ん? どうしたのよ。……あぁ」
返答のない明を不審に思ったキリエだが、思い当たる節があったのか納得したようにうなずく。
「ま、それはあとで説明したげるとして……。今はあたしの雄姿を目に焼き付けなさい!」
(……何か、言ったのか?)
実はすでに虚脱感から視界がかすんでいる明だった。ついでに言うと耳もかなり怪しい。
「今のあたしに――不可能はない!」
そんな明を無視して、キリエはいつもと変わらぬ速度で駆け出した。
(身体能力に変化はない。力があふれてくるとは言ったけど……目に見えての変化はなさそうね)
全身には確かに力がみなぎっている。だが、キリエはそれがどんな力かまで理解しているわけではなかった。
鬼の縦に振り下ろされた剛腕を右に跳ぶ事で難なく回避する。鬼である明ほど身体能力に秀でているわけではないが、彼女には明の持っていないものがある。
それは経験と技術。
キリエは鬼喰らいとなってから鍛え上げた体術があり、さらに鬼との実践を経て積み上げた経験がある。ケンカすらロクにした事のない明には持ちえないものだ。
(それはさておき……。おそらく何かが強化されている。でも、それが何かまでは分からない)
少なくとも目に見えて分かるものではなさそうだ。ならば、考えられるものは一つ。
(あいつの能力はおそらく他人の能力強化――!)
一代限りの能力は特異なものが多いが、明のは輪にかけて不思議な能力だった。
キリエが今まで知った能力で補助に類するものは一応存在する。だが、捕縛や筋力強化などがせいぜいだ。
とことん常識から外れた奴、とキリエは内心で一人ごちてから刀を大きく振りかぶる。
「多重実像――」
まずは小手調べ。体内に溜まった力を全て吐き出すつもりで刀を振り下ろす。
「――斬撃!」
振った回数は一回。されど生み出される刃は無数。まさしく刃の嵐が鬼に殺到する。
「……あれー?」
放ったキリエ自身、これほど強力になるとは思ってなかったため、冷や汗をかいていた。
おかしい。自分が放てる斬撃の範囲は刀身の届く範囲。つまりだいたい70センチ程度だ。
そんな限界知った事ではないと言わんばかりに、斬撃の嵐は鬼の体をやすやすと呑み込んでみせた。量、密度、ともに今までとはケタが違っている。
「これで倒した……?」
あれだけの数の斬撃を当てたのだ。細切れの肉片になっていてもおかしくない。それどころか、肉片すら残さなくても不思議ではない。
しかし、現実はどこまでも残酷である。
「ははは……倒したとは思ってなかったけど、これはショックね……」
そこには、多少の切り傷以外はほぼ無傷の鬼が立っていた。
「まあ、前々から構想だけ練っていた技の実験もできそうだし……。試させてもらうわよ! もう一回お願い!」
キリエは己を鼓舞する事で萎えかけた気力を再び奮い立たせる。だが、
「もう……ダメ……」
力なくその場に倒れ伏した明の声でそれは遮られる。
「ちょ……ええっ!? 何で倒れてんの!?」
キリエはとっさに鬼の方を見るが、鬼はまだ体にできた傷を舐めており、すぐさま襲いかかってくる気配はなかった。安心できるわけではないが、少しは気をそらしてもよさそうだった。
「これ……一回使うとすっげー力が抜ける……。無理、体、動かない……」
「片言になるな! あと一回! あと一回だけやらないと二人ともお陀仏よ!」
「なんかぬるま湯浸かってるみたいに気持ちいい……。寝ていい?」
明の顔が今までになく安らかなものになっており、ここで寝たらまず間違いなく二度と起きない事がありありと分かった。
「寝るな! 寝たら死ぬわよ!」
当然寒さではなく、鬼に喰われて死んでしまうの意味だ。キリエも明の能力さえあれば勝ち目があると分かっているため、割と必死になっている。
「言っておくが……これが正真正銘最後だからな……えい」
気の抜ける声とともに明の手から淡い光が生み出され、キリエの体を優しく包み込む。
「……まあ、一般人だったあんたには無茶かけてるわね」
神妙な声をピクリとも動かない明にかける。明からの返事はなく、指一つ動かさない。
「これが終わったら、何かおごってあげるわ」
返事がなくとも、明の答えは分かっていた。短い付き合いだが、彼の好きそうな事はだいぶ分かっているのだ。
キリエはその場から動かず、手に持っていた刀も捨てて鬼と相対する。
「これで――」
己の全能力を注ぎ込み、さらに明からのブーストで能力が強化され、今まで振るった事のない莫大な力がキリエの体内で渦巻く。
心地よいと感じられる体内の熱をキリエは声に乗せて、放つ。
「――終わり」
たった一言。それだけで鬼の体はこの世から消失した。
余韻も何もない、実にあっけない最後だった。
それもそのはず。キリエの行った事は斬撃とか銃撃などとはまったく違う種類の攻撃だからだ。
キリエは並行世界のあり得たかも知れない事実を一部分だけ自らの世界に引っ張ってこれる。属性に表せば『世界』となるのだろう。
キリエ自身も自分の命を預ける能力なのだから、思いつく限りの検証を繰り返して自分の能力がどのようなものであるかは再三調べ尽くしてある。
そして属性が『世界』である事を知った上でこう考えたのだ。
今は他の世界からの事実を一部顕現させる事しかできない……。だが、いずれは他の世界の事実を今いる世界に『上書き』できないだろうか?
例えば、目の前の鬼がいる空間を鬼の『いない』空間に上書きしてしまうとか。
考えただけでキリエには実行不可能な事だった。そこに至るまではどれだけの鬼を喰らえばいいのか、想像すらできない。
だが、明の能力があればそれも解消する。そして今回の攻撃でキリエは明の能力にある程度のあたりを付けていた。
(あいつの能力は……おそらく『潜在能力』に関係している)
単純に能力のブーストだけなら、さっきの攻撃は不可能だった。攻撃力がいくら高まったところで技のバリエーションが増えるはずなどなく、それに先ほどの攻撃はどう考えてもレベルが違っていた。
そう、例えるなら自分という才能を限界まで磨き上げた時のように。
そこまで考えてから、キリエはようやく現実に目を向ける。
絶対の壁としてそびえていた鬼は存在せず、ただ生ぬるい風がキリエの髪を撫でていた。
「終わった……わね」
明の方を向くと、かろうじて親指を上げているのが分かる。キリエも苦笑で返し、その場にへたり込む。
色々と限界だった。わき腹の傷だって完治したわけじゃないし、むしろ今までの激しい動きで傷は開いている。それに能力もこちらに注意を引くための銃撃で一回、さっきの斬撃で一回、今回ので計三回使用している。明ほどではないが虚脱感が全身を襲っている。
「もう……寝ていいか?」
能力使用を終え、体が動くようになった明がのろのろと体を起こす。どうやら鬼の再生力があるおかげでキリエよりも虚脱感は少ないようだ。
……その代わり、鬼としての身体能力を存分に発揮したため、全身の筋肉がひきつれるような激痛が襲っているのだが。
「ダメ。ここで寝たら明日苦労するわよ。……それはそうとあんた、鬼の方は大丈夫なの?」
キリエもわき腹の痛みに顔をしかめながら、ゆっくりと立ち上がる。明よりも虚脱感は強いが、鬼喰らいとして経験した事があるため、何とか耐え切れていた。
「ん……? ああ、今は落ち着いてるし、自分の意志でコントロールできる。……へへ、喰われてやる事はできなくなったな」
「みたいね。あんたが完全な鬼ならよかったんだけど」
キリエのあけすけな言葉に明は思わず苦笑してしまう。キリエも何かがおかしかったのか、クスリと笑う。
そんな風に和やかな空気であったのだが――
「そこまでです魑魅魍魎! 退魔師である七海神楽が来たからにはもう好きにはさせません!」
静かな空気に無粋な闖入者が入ってきた。それも巫女服姿で。
『……………………』
明とキリエは膝に手をついた疲労困憊っぽい姿のまま固まる。そして口元だけが微弱に動いて会話を始める。
(おい、誰だあのイタイ服の人は)
神社で見かけるならむしろ正装なのだが、それ以外の場所で見てしまうとコスプレにしか見えない。しかも本人は大真面目にやっているみたいだからリアクションに困る。
(会った事はないけど……たぶん、あたしの連絡した鬼喰らいだと思う)
キリエも額に冷や汗を浮かべながら自分の考えを言う。ただ、個人的にはアレが自分と同じ存在であることを認めたくない気持ちがある。
(あいつ、自分を退魔師って言ってたぞ。鬼喰らいとは微妙に違うんじゃないか?)
(……まず確認を取る、でどう?)
明も了承し、そこで方針が定まる。
「あー……七海さん?」
「はい! 連絡をくださったマルトリッツさんですね?」
キリエと神楽が会話を始め、暇になった明はマジマジと神楽の方を見る。
薄暗い夜の中でもさらに闇を溶かしたような艶のある黒髪をポニーテールにまとめ、肌は生粋の外国人であるキリエほどではないが、十二分に白い。
おっとりと優しげな、しかし断固とした決意の光を乗せている左目。右目はデザイン性のない黒一色の眼帯で覆われており、聞くのがはばかられる雰囲気がした。
極めつけはその小柄な体躯を包む巫女服。しかし、明は巫女服にリビドーを感じる性癖はない。
総合してしまえば――キリエとは別ベクトルの美少女である事は疑いようがなかった。
(……なんか、裏の世界に生きる人間ってのは美女美少女が多いのかね?)
まだ二人しか見ていないが、明がそう思うのも無理はない。この世に生まれ落ちて十七年。絶世の美女と称するに相応しい美少女とあの日以来、立て続けに出会っているのだ。
「――つまり、わたしたちは鬼を喰らう事なく倒す事を目的としており、平たく言ってしまえば鬼喰らいの派生版のようなものです」
「にわかには信じがたいけど……。分かったわ。あなたが退魔師とやらである事は認める。で、本題に入るけどあいつはどう見える?」
うだうだと考えていた明をキリエが指差し、神楽もそれを見ようとして――
「うっ……! また右目が暴れて……!」
急に眼帯を押さえて苦しみ始めた。
『…………………………』
いきなりフォローできない行動を取り始めた神楽に対し、二人は脂汗をダラダラと流して停止する。
(どうすんだよ!? こんな見た目も行動もイタイ人なんて初めて見たぞ!)
(あたしに聞かないでよ! あたしだってこんな人種に会ったの初めてなんだから!)
「す、すみません……お見苦しいところをお見せしました」
明とキリエが小声で焦りまくっていると、何やら眼帯を取り外した神楽が恥ずかしそうに謝っていた。ただ、言葉以上の意味はなさそうで、先ほどの行動は天然である事がうかがえた。
「ちょ、ちょっと説明しますと……わたしは鬼を視覚で判断して、視覚で戦うんです。魔を浄化する眼――浄眼で」
そう言う神楽の右目は青く輝いていた。明は痛々しさを通り越して、もはや感心すら抱いていた。ここまで痛々しいと思う要素があるのは、ある種の才能に近いものがある。
「え、えっと……草木明さん、ですよね?」
「え!? あ、はい」
昔の妄想をリアルに見せられるって心が痛いなー、と明は自分の黒歴史に悶絶していたため、神楽の呼び掛けに対する反応が遅れてしまう。
「……マルトリッツさんの話では、あなたは一度鬼の姿になったそうですね。相違ありませんか?」
「はい、その通りです」
明は質問の意図が読めないながらも律儀に答える。神楽はそれを聞いて、何かを確信したように何度もうなずき、
「では――死んでください」
右目から青い光線を発射し、明の胸に迫った。
「――っ!」
それを避けられたのは単純に運が良かったからだと明は自己分析をする。
体はまともに動かず、ぶっちゃけてしまうと体のバランスを崩して尻もちをついただけだった。
(それにしても目からビームとは……)
ある意味で男の憧れだった。ちょっとだけうらやましいと思ってしまう。
「あんた、いきなり何を!?」
キリエが神楽に理由を問い詰める。神楽はそれに不思議そうな顔をした。
「何でって……。鬼がいるんですよ。危険要素は排除する。わたしたちの常識じゃありませんか?」
「それは……そうだけど!」
キリエは言いたい事が上手く伝えられなくてもどかしい、といった表情をして明の方を指差す。
「こいつはあたしが喰うって決めてるの! だからあんたに殺させてあげるわけにはいかない!」
「な……本気で言ってるんですか!? その人は理性があるとはいえ、鬼なんですよ!」
「鬼だから生かすのよ! 理性ある鬼。つまり、こいつは強くなる。強くなったところであたしが喰えば、あたしはもっと強くなれる!」
ここで言われている事はどう考えても神楽が正論だった。だが、キリエに引く気はない。
「……じゃあ、この人が理性のない鬼になったらどうするんですか!? 何人の犠牲が出るか分かりませんよ!」
「あたしが責任持って喰うわ。それがなくても、こいつはいつか喰う。そう――」
キリエがいったん言葉を切り、瞑目する。そして口を開き、
「――アキラはあたしのモノだから。誰にもあげない」
爆弾発言をした。
「………………」
明はキリエの言った内容に純粋に驚いているようだが、神楽は顔を真っ赤にしていた。初心な人にはちょっと刺激の強過ぎる発言だったのだろう。
「……そ、そこまで言うなら! 今回は特別に監視だけで済ませてあげます! ……決して、マルトリッツさんの熱意に押されたわけじゃありませんのであしからず」
神楽は顔を赤くしたまま撤退した。……逃げた理由をほぼ全部暴露して。
まあ、あんな風に言われりゃ誰だって照れるだろうな、と当事者である明はのんきに考えていた。
「それでアキラ? とっとと帰るわよ」
「あ……、そういや、名前で呼ぶんだな」
「まあね。あんたをこれから鍛えるって分かった以上、いつまでもあんたとかじゃ悪いし」
どうやら自分はお菓子の家に迷い込んだ子供のように丸々と肥え太った(鍛え抜かれた)ところを喰われるらしい、と明は苦笑しながら思う。
「……まあ、いいさ。付き合ってやるよ。キリエ」
明としては自殺志願者みたいな気分がして乗り気にはなれないのだが、サボりまくって愛想を尽かされても喰われる未来が目に見えているため、ある程度は真面目にやらざるを得ない。
……それにさっきの神楽が退散する際につぶやいたセリフといい、どう考えてもこれから厄介な事になる未来予想図しか見えないのだ。力はあって困るものではない。
「なら、約束よ。あんたはあたしに喰われるまで死なないって」
キリエが小指を出してくる。明は子供っぽいな、と思いながらもそれに応える。
「ああ、約束してやる。お前が俺を喰え。いつか必ず」
――その日まで、全力で生きてやる。
――この日、鬼となった少年は鬼喰らいの少女に喰われる事を約束した。
次話で一章は終了です。やっぱり駆け足で来てしまった……。
そして登場した邪気眼もどきの巫女さん。彼女は割と重要なキーパーソンです。でも突発的に右目を押さえて苦しみ始めますので、扱いに苦労してます。
…………春に近づいているというのに、寒い日と暖かい日が交互に来るのはやめてほしいと思う今日この頃。体調を崩しそうで怖いです。




