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29.災厄の種

 そうして、アリーシャたちが王宮に滞在し始めた頃。


 王宮の別の一角で、顔を見合わせて笑う一組の男女の姿があった。


「ハロルド様、すごいです! 全部ハロルド様の言う通りでした! ヴィヴ様は王子様で、そして本当にこの王宮にやってきて!」


 頬を赤く染めてはしゃいでいるのは、ノエルだった。その向かいでは、ハロルドが悠然と椅子に腰かけている。


「ヴィヴの身元がどうしても気になったのでな、つてをたどって調べていたのだ」


 上機嫌そのものの笑みを浮かべながら、彼は自慢げに語っていた。


「デンタリオンのルーフェ伯爵家は、そこまで歴史の古い家ではなかった。ならばあの首飾りの出どころはどこなのか。調べているうちに、ルーフェの娘が王に嫁いだことを知った。……ヴィヴがお忍びの王子だと考えれば、全て納得がいく」


 ノエルの尊敬のまなざしを受けて、ハロルドの鼻の下が伸びていく。


「そしてその時に、じきにデンタリオンで王太子が選ばれることになると知った。ならばいずれ、ヴィヴもここに呼び戻されると思ったのだが……予想通りだったな」


 アリーシャの父が再度捕らわれたことをきっかけに、ハロルドとノエルはギャレットの屋敷を逃げ出した。そしてそのまま、国境を越えた。


 まず彼らは、ヴィヴからもらったあの首飾りを手にして、デンタリオンの王宮にもぐり込んだ。自分はヴィヴの友人なのだ、その証としてこれをもらったのだと嘘をついて。


 そこからハロルドは、自分のギフトで言うことを聞かせられそうな相手を吟味し、どんどん王宮の深部へと近づいていったのだ。ノエルのギフトで生み出した黄金色の贈り物を活用しながら。


「お前の生み出す黄金と、俺のギフト。その二つをもって、無事に王子を味方に引き入れた」


 今の彼らは、なんと王子の客人だった。屋敷を出た時は不満たらたらだったノエルも、すっかりこの王宮暮らしが気に入ってしまっていた。


「後は、あのヴィヴが打ちのめされるのを見届けるだけだ」


 ハロルドは、まだヴィヴに執着していた。花森屋敷を買い戻すことを阻止し、ノエルの視線を釘付けにし、アリーシャを庇護下に置いている男。


 ヴィヴといると、自分がちっぽけな男のように思えて仕方がない。あいつさえいなければすっきりするのに。かねてから、彼はそう思っていた。


 そしてノエルはノエルで、ハロルドの言葉を聞いて可愛らしい眉をひそめていた。


「本当に、ヴィヴ様をぶちのめしちゃうんですか? 仲良くしましょうよ」


「仲良く……か。ならばノエル、お前はアリーシャと仲良くできるか?」


 おかしそうな顔でそう問いかけるハロルドに、ノエルは即答した。彼女にしては珍しく、真顔そのものの顔で。


「無理です。そういえばあの女も、この王宮に来てるんですよね。ずうずうしくもヴィヴ様にくっついてきて」


 ノエルも、まだアリーシャを疎ましく思っていた。ハロルドを奪われても平然としていたあの女、屋敷を奪おうとしたら抵抗したあの女、なぜかヴィヴと親しくしているあの女。


 どれ一つとっても、気に食わないことこの上ない。だからノエルは、いつかアリーシャを打ちのめし、その無様な姿を見てやるんだと意気込んでいたのだった。


 そんな彼女の思いを全て知っているハロルドは、甘く優しくささやきかけた。


「だから、まずはあの二人を打ちのめしてやろう。どうしてもヴィヴのことが気になるというのなら、その後で知らぬ顔をして手を差し伸べてやればいい。あいつはきっと感謝して、君の手にすがってくることだろう」


「あっ、それ素敵です! だったら、あの二人を突き落としましょう! 特にアリーシャは、もう立ち上がれないくらいにしっかりと!」


 がぜん生き生きしてきたノエルに、ハロルドは苦笑しながら応える。


「そうだな。ただ見ているだけというのも物足りないし……何か仕掛けてやるとするか。ただし、ばれぬようこっそりと」


「はあーい」


 そうして二人は無言で笑い合う。ごく普通の夫婦の語らいにしか見えないその姿は、しかしその実とても剣呑なものだった。





「王太子の座をかけて争うなんて言うから、もっと恐ろしいものを想像していたのだけど……こう、弁舌を競うとか、あるいは模擬戦の一騎打ちとか……」


「我がデンタリオンは、争いを好まないんです」


 ヴィヴから一通りの説明を受けた私は、ただぽかんとしていた。それがおかしかったのか、ヴィヴがくすりと笑う。


 デンタリオンでの王太子の決め方は、ざっくり言うと二通り。


 まずは普通に、王が王太子を指名する場合。そしてもう一つが、今回のように王子たちが競い合って決める場合。


 ヴィヴたちの父である今のデンタリオンの王は、色々あったとかですっかり落ち込んでやる気をなくしているらしい。とにかく引退したいとしか言わなくなってしまって、自分で王太子を選ぶどころではないのだとか。


 ……それって、王太子を選ぶより先に王の治療をしたほうがいいんじゃないかなあという気もする。こう、メンタル的なあれやこれとか。私は部外者だから、口を挟まないでおくけれど。


 そして王子たちが競い合う方法は、これまたざっくり言うと、王宮全員による人気投票だった。なにそれ、と言いそうになるのをこらえるのが大変だった。


 重臣たちからメイドたちまで、王宮で働く者全てに一票ずつが与えられる。見極めのための審査期間が終わったら、全員が無記名で投票する。その結果で、王太子が決まる。


 中学生の生徒会長決めみたいというか、意外と民主的というか。


 もちろん、買収行為が認められればその王子は即失格になるなど、不正防止のルールは細かく決められているのだそうだ。


「できるだけありのままの姿を、王宮中の人に見てもらうこと。審査期間の王子に課せられる義務はそれだけです」


 だから、当事者である王子も割と気楽に構えていられるらしい。というか、変に身構えてぎこちなくなってしまったら、そのほうが不利なのだとか。


「ですので、これからは折を見て王宮の中を歩き回ろうと思います。……人の多いところは不慣れなので、少し緊張しますが」


 そう言ってヴィヴは、私の手を取った。とても優雅な仕草で。


「そういうことですので、アリーシャ。これから、僕に付き合ってくれませんか。一人では憂鬱なお役目も、あなたと一緒なら乗り切れます」


「ええ、喜んで」


 考えてみれば、ヴィヴがずっとよそ者の私と一緒にふらふらしていれば、彼は王太子にふさわしくないぞと考えてくれる者が増えるかもしれない。なんなら、そのまま二人ではしゃいでみるのもいいかも。


 よし、頑張ろう。……付き合って、と言われてちょっとどきりとしてしまったのは内緒だけれど。


「それでは、散歩にでも行きましょうか。この城の案内を兼ねて」


 二人手を取り合って、ゆったりと歩き出す。花森屋敷の庭を散歩している時と同じような、気軽な足取りで。




 そうやってデンタリオンの王宮で過ごすようになってから、私は時々こっそりと裏庭に向かっていた。その一角の、特に人気のないところに。


 ヴィヴに教えてもらったここで、陽光草を生やすための練習を続けていたのだ。


「どうにも、うまくいかないのよね……でも、この特訓をさぼりたくはないし。ええと、お日様みたいな花で……」


 そんなことをつぶやきながら、そっとギフトを使う。ひょろひょろとした茎が地面から伸びてきて、やがてヒマワリのような花を咲かせる。


 でもそれは、あっという間にしおれて枯れて、ただの黒い塊になってしまった。探ってみたけれど、種は残っていない。


「ミラちゃんの闇熱の特効薬になるのは、種なのよね……」


 やっぱり、見たことのない草を生やすのは難しい、というか無理だ。今までに色々試してはみたけれど、結局私のギフトはイメージ力勝負のところがある。


 その植物の姿、香り、触り心地、性質。そういったものをまとめあげて、一株の植物として具現させる、そんな感じなのだ。


 さて、めげずにもうちょっと頑張ろう。そう思った時、背後で何か物音が聞こえたような気がした。


 ヴィヴが様子を見にきたのかな。しかしその予想は、思いっきり外れた。


「……アリーシャとか言ったな。このようなところで何をしている」


 そこに立っていたのは、オリヴィエだった。氷点下の目でこちらを見つめ、淡々と問いかけてくる。


「あ、いえ、その、ちょっとお庭を見ていたんです……私の屋敷の庭造りの参考になるかと思って」


 やっぱり、私のギフトについては伏せておきたい。なので用意しておいたそんな言い訳を口にする。オリヴィエの気迫に圧倒されて、ちょっとしどろもどろになってしまったけれど。


「あ、そうだ、これ!! お渡ししておきたいと思ったんです! その、ごあいさつも兼ねて!」


 もののついでとばかりに、ポケットに入れっぱなしになっていた匂い袋をオリヴィエに差し出した。もしかしたら、こちらに話をそらせられないかな、無理だろうななどと思いつつ。


「……そうか」


 そしてまた、私の予想は裏切られた。オリヴィエは匂い袋を受け取ると、すぐにこちらに背を向けて立ち去ってしまったのだ。


 ギフトについて問い詰められなくて助かった。ほっとすると同時に、ほんの少し不安も残っていた。去り際のオリヴィエの目は、今までで一番鋭く、冷ややかだったから。

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