#499 盤面 III
──共和国、アルトマー商会──
(交渉で安易な嘘をつくような人間ではないとはわかってはいたものの……)
アルトマー商会の長であり、アンブラティ結社の"幇助家"エルメル・アルトマーは──顔色の落ち着いた孫娘イェレナを眺める。
小さな額のやや上から"白冠"が癒着し、装着者の魔力を利用してその肉体を不老不死に保つ魔法具。
(帝都から盗んできたと豪語した"本物"……あっさりと渡してくれるとは、いまだに信じられない思いだが)
それでも現実は目の前にある。
不老不死の夢──長命種にとっては無用の長物かも知れないが、100年も生きられれば上等な定命の者にとっては違う。
各国の王や権力者、貯蓄ある商売敵たちが喉から手が出るほどに欲しがる魔法具。
実際には魔力量に左右されるので、効能は発揮しきれない者が大半であはるが……それでも値段など到底つけられないシロモノ。
(そんな魔法具の使用も、病気を"根本から完全に治療する時間稼ぎ"だと……彼は言ってのけた)
あくまで延命処置に過ぎず、医療技術でもって治すこと。それを確実な未来として、視野に入れているということ。
魔法具でさえも単に便利な──普通では買えない希少な魔術具程度──にしか思っていないような。
ぞんざいな扱いというわけではないが、価値基準がそもそも異なっているのは一種の薄気味悪さすら感じ入る。
ちゃんと理屈によって合理的に判断している、と思われるのだが……大前提として根幹にズレのようなものがあるのだ。
(一体どれほどの展望を、先々に見ているというのか)
はっきり言って底がまったく知れない。
インメル領会戦ではじめて会った時には、将来有望な取引相手になるだろうと──その程度の認識だった。
しかしいつの間にかその情報力と武力によって先手を取られ、莫大な報酬によって協力させられているという事実。
(それ以上に好奇心が湧いてくる。あのゲイル・オーラムが惹かれたワケを……ここにきてようやく実感するとはな)
シップスクラーク財団とフリーマギエンス。
短期間でサイジック領を運営するまでに至り、内戦にも大きく関わる──複合商会にして先鋭思想。
彼が視ている果て、あるいはそのさらに先をこの目でも見てみたいと思い始めている。
「準備はできた、"運び屋"。この子を安全に【諸島】まで運んでほしい、わたしも共に付き添う」
「……わかった」
「とりあえず外の馬車まで頼む」
灰銀の長髪に碧眼を薄布で隠した"運び屋"はコクリとうなずき、丁寧にイェレナを抱きかかえる。
先のことはひとまず置くことにする。何よりも己を縛る鎖を破壊しなければ、未来は暗いままなのだから。
(約束は果たそう、ベイリル・モーガニト──きみの姉は、"仲介人"からの連絡が届かないよう、遠くに連れていく)
同時にアンブラティ結社を潰す為の根回しも並行して始める。
もはや後戻りするつもりも、二の足を踏むこともない──孫娘の為にすべてを清算し、禍根となるものを根こそぎ絶ってくれようと。
◇
──皇国、聖騎士庁・議場──
「もう一度言ってもらえるか、悠遠」
「何度でも提言します。帝国への逆撃は控えるべきです」
「万丈がやられたというのに、聖騎士の名折れとは思わんのか」
長机の奥に座した聖騎士長は、座ったままその巨躯でもって圧を掛けるように口にした。
「ですが生きています。後遺症も残らないと、治癒術士も言っておりました」
「そうだな、迅速にオピテルを救出した貴君の功績はことさら大である。しかし戦火を放置し、誰が聖騎士を支持するというのか」
「既に"戦帝"が死したという報も入っている以上、戦略的にも一度軍を休めるべきです」
ファウスティナの言に、眼鏡を掛けた老聖騎士も挙手し口を開く。
「聖騎士長、私も反転侵攻には同意しかねます」
「至誠……おまえもか」
「反対の意を示している"権勢投資会"を無視するのも憚られ、教皇庁もあまり乗り気ではない──それとこちらの情報では魔領側でもやや動きがあるようだと」
「むぅ……」
ファウスティナはベイリルから。ウルバノはジェーンから。それぞれ状況と推移について聞いていた。
継承戦という混乱の中で様々な思惑や策謀が交錯していて、下手な動きはかえって自らの首を絞めることにもなりかねないことを。
「個別で軍団を持っているのは果断どのと蓋世どのだけですしねぇ……? お二人を前線から呼び出すのも難しいでしょう。なんなら準備が整う頃には内戦は終わってるやも知れませんよ」
「寂滅も反対か──……どうやら勇み足だったようだな」
ちょうど皇都にいて招集されていた"寂滅"の聖騎士は、肩をすくめながら返す。
「まっ焦ることもないでしょう、失地回復の機会は必ずおとずれます。万丈どのも、自身の手で復讐戦をしたいでしょうし」
「あいわかった、帝国侵攻はひとまず内に留めておくこととする」
決して多数決で決められるものではなく、聖騎士にはそれぞれ独立した権利を持っている。
それでもこうして面と向かって話し、意見を聞き、情報を共有することは大切なことだと理解しているからこそ会議の場を設けているのだった。
「もし戦帝が本当に死んでいて、新たな帝王が良識ある者ならば……和平の道もあるだろう」
聖騎士長は血気立った感情を抑制しながら、珍しく他人の死を願うのだった。




