#434 Blick Winkel
(囁く者、"Blue Whisper"──)
いつだったか、モーガニト領ではじめてアイトエルと会って話した時に、断片的に語られた話。
脚本家を殺し、俺に接触を図ってきたアイトエルは、BlueWhisperに頼まれたからだと言っていた。
地球の英語の綴りと発音であり、何らかの形で転生者が関わっているに違いない情報源。
「もっとも詳しく説明するつもりはない。おんしには一言で理解できるはずじゃからな」
「……?」
「B・Wとは仮称に過ぎん、本当の呼び名は"B・W"──」
早まった動悸がドクンッと大きく跳ねて、そのまま心臓が停止したような心地だった。
俺は……その言葉──BlickWinkel──を知識として知っている。
「ブリック・ヴィンケル……その意味は、"第三視点"」
「うむ、当然知っていよう。なにせおんしから聞いたのじゃからな」
ドイツ語で"別の視点"を意味するBlickWinkel──しかし俺の知るそれは、"四次元の視点"を意味する。
0次元とは"点"、すなわち座標である。
仮にその点自身に人格があったとして、自分自身を見ることはできない。
そこで座標をもう1つ追加するとどうだろう、点と点を繋ぐことで"線"ができる。
すると"一次元"の線からは、己の上に連続している点という存在を確認できる。
次に線を認識するなら? 線を連続させた"面"にすればいい、つまりは"二次元"の世界である。
さらに平面を自由に観測する為には面を連続させ、"三次元"の視点である"立体"となれば可能となる。
それこそが今いる空間である。
絵や本を鑑賞する自分──であれば簡単に想像がつくだろう。
そして本の中の登場人物は、自分が本の世界の住人であることを自覚することはない。
しかし三次元にいる人間が読むという形で観測すれば、二次元である本の世界の住民が実は平面であることは当たり前の事実として見ることができる。
一方で二次元世界の人間は、三次元世界へと脱出して見下ろさない限り、自身を含めた全体像を把握することはできない。
では仮に、三次元──現実の人間と世界を、俯瞰するように観測するには何が必要になるだろう。
点が連続したものが線の一次元。
線が連続したものが平面の二次元。
平面が連続したものが空間の三次元。
そして長さと幅と高さを持った空間を、新たに"時間軸"によって連続させる──
それが"四次元"の視点という考え方の基本となる。
(人は一つの瞳だと空間把握能力を損なってしまう──)
実際に片目を閉じて日常生活をしてみればわかりやすい。
厳密には色味や明るさなどの要素が関係してくるものの、片目だけだと距離感がわかりにくくなって、物がスムーズに取れなかったり体をぶつけてしまったりするだろう。
人は2つの目玉でモノを見るからこそ、三次元をより正確に認識できるようになるのだ。
ならば3つの眼──すなわち"三つ目の視点"があったなら?
人は立体を超えた四次元へと到れることになるのではないだろうか。
それは単に物理的に目玉を増やせばいい話では当然なく、連続させた時間軸を認識する別の視点ということ。
超常的な瞳の存在──その"第三視点"という概念こそがBlickWinkelである。
「英傑となれ、ベイリル。儂にとっての……世界にとっての──何よりもおんし自身にとっての第三視点に」
「まさか、俺が……?」
アイトエルの言っていることを頭では理解しているのだが、思考が追いつかない。
時間移動的矛盾だとか並列多元世界といった懸念材料はひとまず置くとして。
(つまり俺が──俺こそが"第三視点"? 情報提供者BlueWhisper、その本人だったってのか)
だから情報提供されたアイトエルは、俺のことを俺以上に知っていた。
当然だ"未来の自分"から、過去の自分のことを教えていたのだから。
俺は第三視点として過去のアイトエルと会い、今の時代の俺の為に未来の知識を受け渡していたということ。
それが真実であるのなら、俺の考えた通りであるのなら……世界を、皆を、俺自身を──
「やり直して、救えるのか──?」
「理解できてきたか? 先刻、少しだけ語ったが……ある魔法使は物理的障害を無視して見通す瞳を体現した。アスタートは魔空へ到達し情報生命体として高次存在となった」
「つまり魔法なら──」
第三視点を開眼し、四次元存在へと成ることも……魔法であるならば可能。
「そうじゃ、振り返る必要はない。おんしはおんしだけの世界をただ往くのだ、ベイリル」
第三視点を手に入れるということは、三次元に対して知覚を獲得するということ。
時の流れという連続した世界を自由に俯瞰し把握できるということは、時間軸を自由に移動できることを意味する。
("時間遡行"──過去へ戻って、歴史を修正することができる。それが第三視点の精髄)
「もっとも実際にやるなら、何万年か何十万年かわからぬが桁違いの魔力を貯め込む必要があろうな」
「えっ──」
「同一時間軸を一方通行ではなく行き来したいなら、何百万年分かは貯め込まなくちゃかのう?」
「あの……」
「さらに言えば肉体を持っていくこともできぬじゃろう」
「いやちょっとッ!」
躊躇も容赦もなく現実を叩きつけてくるアイトエルに、俺は手の平を突き出して「待った」をかける。
今から何万年と溜めるなんて気が遠すぎるし、そもそも貯留する器が存在しない。
暴走と枯渇で世界の魔力源も怪しく、さらに肉体なしの精神だけで時間を旅するというのか。
「ぬっはっっはははは、なぁに安心せい。その為に儂がおる」
「それは……つまり協力してくれる、と?」
「無論。ベイリルが過去の儂に貸しを作ってもらわねば、とっくに野垂れ死んで今の儂は存在しておらんし」
とにかく方法はわからないが、少なくともアイトエルには算段があるようだった。
それもそうだろう、第三視点が本当に存在していたのなら──
「第三視点はこういう時の為に、"保険"として儂に知恵を授けておいてくれたんでな」
(──ッ、それはすなわち失敗も視野に入れていたということ。つまり今この未来も織り込み済みでの話か)
「さしあたって仮に魔力を100万年かけて貯め込んだとして、その魔力で戻れるのは同等の100万年分くらいかも知れん」
いかに第三視点と言えど、魔法を発動・維持するのには魔力の限界がある。
魔法は全能に近くとも、決して全能ではなく。エネルギーによってその出力の限界が決められてしまう。
「……それだと起点とした時間に戻るだけですね。あるいはそれをさらに何千何万回とループを繰り返して、少しずつ戻るとか、あるいはコツを掴んでいくというのはさすがに……」
心が保つとは、とてもじゃないが思えない。
この400年弱だけでもかなり参っているというのに、万年単位を何度も繰り返すなどそれはもう人間の精神状態ではない。
「じゃから短期間で集める必要があろうな」
第三視点の魔法が可能だとして、それには必要な前提条件を揃える必要がある。
莫大な魔力を貯留する器。絶対的な源となる魔力そのもの。貯留した魔力を、魔法として利用し扱う方法。
「俺にはそもそも貯留する器がありません……」
魔力容量に恵まれている方ではあるものの、俺は神器のような魔力量を保有することはできない。
半人半吸血種だからこそ修得しえたフラウの"魔力並列循環"も使えない。
「おんし自身に器はなくとも、可能とするモノは知っておろう」
アイトエルはそう言いながらコツコツと爪先で地面を叩いたのを見て、俺はすぐにピンッとくるのだった。
この物語を書き始めた時から考えてやりたかったネタの一つ、実に長い旅路でした。




