#389 三度目
あっという間に"折れぬ鋼の"が走って消え失せた後、俺は気絶している三騎士をそれぞれ担いで回る。
義理はないが短いながらも付き合った人情がそうさせるし、"折れぬ鋼の"に言ったことを反故にするのもバツが悪い。
さらには神器イオセフの遺体を液体窒素で急速冷凍させてから布でくるんで、俺は最後に聖騎士の遺体へと近付いてゆっくりと見つめた。
(ウルバノ殿……)
これもまた巡り廻った因果であって、今までと同様に俺自身が受け入れて進むしかない。
善悪が明快ならば、悩むことなどないのかも知れない。
しかし戦争はそう簡単には割り切れるものではなく。
大きく国家という総体で見れば帝国は悪という見方もできるが、それを一兵卒に波及するとなると物議は免れない。
(本人にとってはある種の本望で、本懐だったとしても……殺さない選択肢──そもそも戦場に引っ張りだすことのない未来もあったんだろうな)
子供らに囲まれて心穏やかに往生することもまた、ウルバノにとっては紛れも無い幸福だったはずだ。
それはわずかながらも実際に会って、話して、ジェーンからいくつも聞いていた話の中からでも容易に確信できる。
人は常にあらゆる場面で選択し続けるし、時に相反する感情に折り合いをつけ、排他の結末に懊悩する。
だから結果論で語るのは詮無いことだったとしても、そうした葛藤を俺自身が否定する気持ちはなかった。
(遺体は……置いておくしかないか)
まさか持ち帰る、というわけにもいかない。
丁重に埋葬してやりたい気持ちがあるが、それは身勝手な感傷にも思える。
このまま撤退すれば皇国側が遺体を回収するだろうし、適切な形で埋葬されることだろうと。
ストッ……と、軽やかに砂地を踏む音に俺は振り返ると──まったく気配を感じさせずに立つ──女性の姿があった。
俺はその見覚えに対し、今度は特に驚くことなく冷静に対応する。
「──"運び屋"さん」
「……また、会った」
スレンダーな肉体に薄布で口より上を隠し、腰ほどまでに伸ばした灰色の髪をわずかに風に揺らす彼女。
かつてはエルメル・アルトマーの護衛の際に顔を合わせ、将軍との死闘に割り込んでその首を回収されたのは記憶に新しい。
「覚えていてくれましたか」
「うん。暇、なくて連絡とれない」
「いいえ、お気になさらず。運び屋さん、貴方がこの場に現れたということは……お目当てはコレですか」
三度会った彼女へ向けて、俺は足下にある冷凍した神器イオセフの遺体を指差した。
仲介人が神器イオセフの所在について図った上で、俺を試したことはタイミングが良すぎることから明白──
であれば神器イオセフの回収役として、運び屋がこのタイミングでやって来たことも不思議ではない。
「つめたい。これが死体?」
「そうです、保存の為に凍結させました。やはり貴方はアンブラティ結社の人間だったわけですね」
「私が……そうなの?」
「えっ違うんですか? 仲介人に言われて、将軍の時のように回収しに来たのでは?」
「昔からよく雇われてる、という意味ならそう」
(自覚がないのか、結社としてもビジネス関係に留めているのか──いずれまた仲介人に聞いてみるか)
「まぁ俺もアンブラティ結社の一員になったので、今後ともよろしくお近付きをば」
「なんてなまえ?」
「"殺し屋"です」
「……殺すのが得意なの?」
「不得手とは言いませんが、どちらかというと単純に武力担当としての仕事が──」
刹那、俺の懐深く踏み込んできた運び屋と、お互いの吐息の音がはっきりと聞こえるほどにスレスレに近付く。
身長は俺よりも10cmほど低く170cmほどはあるだろうか、ふわりとどこか懐かしい香りが鼻腔をくすぐる。
「ッ──なんなんでしょう?」
「お近付いた」
「いやいや、さっきのはそういう意味で言ったのではなくてですね──」
「わかってる。ただなんとなく……きみの顔を近くで見たくなった」
薄布越しだがわずかに合った碧眼、顔はそれなりに整っていて十二分に美人な容姿と言えよう。
不意を打たれて接近距離で相対したのにもかかわらず、しかして特に動悸が高鳴るようなことはなかった。
(むしろどこか落ち着く──なんだ、この女性)
これが"運び屋"が持つ特性なのだろうかと、俺は頭の片隅で考えていた。
誰にとっても必要以上に意識させず、迅速かつ確実に運搬を完遂させる能力とでも言えようか。
またその武力においても、俺と同等かあるいはそれ以上の実力者という可能性もありえる。
「……ねぇ?」
「なんでしょう」
「私と最初に会ったとき、いつ?」
俺は"運び屋"と見つめ合ったまま、少しだけ考えて答える。
「インメル領会戦の前、エルメル・アルトマー殿の護衛役として来ていた折に。顔を合わせた程度ですが」
「……そう、ならいい」
「──??」
彼女はなにやら腑に落ちないといった様子が見て取れ、口数が少なくどこか掴みにくいながらも貴重な感情が垣間見れる。
会話に興じていると、遠方から爆音が響き、すぐにも爆風を伴う衝撃波が襲い掛かった。
俺は"一枚風"で三騎士らと、ウルバノと神器イオセフの遺体を保護しつつ目を細める。
(もう戦帝は追いつかれたのか、"折れぬ鋼の"……本当に言葉もなくなるな)
そこそこに時間は稼いだはずだが、戦帝の身体能力をもってしても逃げ切ることはできないのか。
もしくは罠として爆発仕掛けを残しておいて、それに"折れぬ鋼の"が引っ掛かったのか。
(……いや戦帝のことだ、迎え撃った可能性もあるか)
気性を考えるのであれば逃げた振りも戦術の一環として、誘い込んだ上で雌雄を決することも十二分に考えられた。
ただいずれにしても"折れぬ鋼の"が中途で断念することは考えにくく、衝突すれば敗北は必至。
「ところで運び屋さんは、お強いんですよね?」
「さぁ? でも負けたこと、ない」
純粋。なんというか余計な雑味が一切ない、透明度が高すぎて存在するかもあやふやな直刃のようで。
「なぜこのお仕事を?」
「昔からずっと、覚えてない」
端的。言の葉は必要最小限に、くだらない思惑も駆け引きも斬って捨てるような潔さ。
「もしよろしければ、シップスクラーク財団という就職先を斡旋できるのですが」
「不満は別にない」
一貫。迷いが見られず、交渉するにも骨が折れそうである。是非とも財団に引き抜きたいところではあるが……今はまだそう焦ることもない。
「──ですか。気が向いたらいつでも歓迎しますので、覚えていていただければ幸いです」
「覚えとく」
幾度目かわからぬ爆発が治まったところで、"運び屋"は──片足で軽く小突くように──遺体をふわりと浮かせてキャッチする。
「じゃ、また」
「次はいつ会えますか?」
「アンブラティの依頼は、なるべく優先」
「なるほど、それなら遠くない内にお願いすることがあるかもです」
「んっ」
運び屋はステップを一つ二つ三つ──と、どこか後ろ髪を残すような様子で速度を上げていく。
いつだったかのように地平線の彼方に消えるまで、俺は目を離せないのであった。




