#367 神獣 I
前線基地より西の空──固化空気に坐して瞑想していた俺は、気圧の変化を感じ取ったところで"遠視"を試みる。
今いる高度よりもさらに上空には、白地に薄い黄色を塗りたくったような……確かに鯨に見える巨体が瞳の中に収まったのだった。
(黒竜よりは小さいか……それでも大怪獣だな)
いずれも遠目からの目測になるものの、しかしながら黒竜はあくまで翼や尾を含めての大きさであった。
巨鯨は比して小さくとも、さしあたって頭から胴体部まで肉厚な為に、単純な質量体としては黒竜を上回るように思える。
そんなものが悠々と空を飛んでいるのだから、異世界の圧倒的スケール感というのはやはり何度となく感動を覚える。
俺が立ち上がると、帝国空戦部隊長である鳥人族の男が隣までやって来る。
「モーガニト伯、お気付きになりましたか?」
「そういう隊長も……眼が良いようで」
揃って同じ方向を見つめ、神獣と呼ばれるだけの神々しさを感じ入る。
魔獣メキリヴナのような生理的に気色悪い生物様相もなければ、ワームのような災厄の形とも程遠く、黒竜のような禍々しさもない。
ただそこに在りし聖なる獣。そしてその周囲にはチラチラと光を反射する物体も捉える。
「あの"群体"──」
「はい、あれが"小鯨"です。一匹一匹でもそこそこにしぶといのですが、群れとなって襲い掛かってきたり、広範囲に分布したりと恐ろしく厄介な存在です」
何をもって誘導されているのかはわからないが、統率された動きでもって既に展開している。
「まさかとは思いますが、小鯨って成長します?」
「いえ、卵から生まれますが子供というわけではないのでご安心を。ただし単独で何も喰わずとも一週間以上は生きるので、こまめに潰していかないとどんどん膨れ上がっていきます」
「なるほど……そいつは面倒だ」
厄介ではなく、俺はあえて面倒と表現する。
「ちなみに死骸はどうなりますか?」
「消えますね、それがせめてもの救いでしょうか。食えるものでもないようで、あちこちが死体まみれになることはありません」
(むしろ残念だな──)
それはつまるところ小鯨を持って帰って、研究材料や資材にすることはできないということだ。
どういう原理なのかはまったくもって不明ではあるが、構成要素がそもそも物質的なものではないのか。
「有効な攻撃方法は?」
「"凍結"です・動きを鈍らせながら墜落させ、地上部隊に踏み潰してもらうのが一番楽でしょうか。生半可な炎だと、炎上しながら襲ってきます」
「……火竜の吐息であれば?」
「燃え尽きます。だから竜騎士の方々が参陣していないのは非常に痛手となっていまして……」
(だから俺が穴埋めとして余計に、強引に、召集されたわけか──)
神獣への対処によって、戦局は大きく変わってくる。
仮に俺が役立たずと判断されれば、さらにいくつもの強駒が戦線投入されるに違いない。
「ふゥー……──凍結と火力ね、了解」
俺は"六重風皮膜"を纏いて肉体と精神を臨戦態勢へと切り替える。
そして遠き眼前へと集中し、遠心分離させた上澄みの魔力を魔術として発露させていく。
ギュゥッと溜めてからパチンッパチンッと、右手と左手でそれぞれ打ち鳴らす。
"素晴らしき風擲斬"・|枝燕《えだつばめ──放たれた風刃が二羽、四羽、八羽と……左右併せて十六羽の飛燕へと増殖する。
それは肉眼では見えない空気の糸で有線誘導されるが如く枝分かれしていき、次々に小鯨と交差していった。
「おお……!? こりゃスゴい」
右手で放った飛燕は、生成した水素で燃える赤い"焔燕"。
左手で放った飛燕は、液体窒素を封入した白き"雪燕"。
爆燃炎上と瞬間凍結によって、触れた小鯨はボロボロの消し炭となり、あるいは白く砕け散っていくのだった。
(とりあえず有効なようだが、数が多すぎるな)
消費対効果は悪くないが、飛燕に付与した効果は瞬く間に消え失せてしまっていた。
とりあえず軽く100体以上は無力化できたものの、無尽蔵とも思えるほどに周囲を飛び回る小鯨の群れには誤差の範囲だろう。
「もっとド派手に、景気良くいくっか──討ち漏らしに関しては任せてもいいだろうか?」
「もちろんです、モーガニト伯。存分に拝見させていただきます」
俺は首を回してコキコキと全身を鳴らし、ゆっくりと移動しているように見える巨鯨の方向と到達地点を予測する。
そして両手の親指・人差し指・中指をそれぞれ三本ずつを触れ合わせ、結合するイメージを形作っていく。
──その途中であった。わずかばかり届いてきた神獣の唸るような声の後に、部隊長を含める空戦部隊が揃って両耳を必死に抑える。
部隊長は必死に叫んでいるようではあるが、"謎の音"に潰されてしまっているようで俺まで聞こえてこない。
(んん……広域の"超音波"か。俺には"六重風皮膜"があるから効かないが、案外クジラっぽい攻撃もしてくるんだな)
ビリビリと大気が震え、苦悶の中にある部隊がこのままでは墜落してしまうのは時間の問題と見える。
恐らく人族にはさほどの効果も無いのだろうが、聴力に優れた獣人族には恐ろしいほど効果的なのであろう。
「神獣さん、音波攻撃は専売特許じゃないんだぜ。ぁぁあああああァァァアアアア──」
俺は魔術によって声にならない声を極大化させ、調律しながら丁度逆位相となる形で広域超音波と衝突させた。
すると凪のように周囲一帯が静止して、超音波は完全に掻き消える。
「……!? ……???」
突如として静止したような状況に、鳥人部隊長は狼狽したようにキョロキョロと首を動かす。
「モーガニト伯……? 一体何を??」
「っはーはーあ~あ~、ゴホン。説明すると長いんで割愛」
俺は少しばかり痛めた喉を自己回復させつつ、両掌中の空間に周辺の大気を圧縮させていった。
(大気を掻き乱されたな……不安定な中じゃ"ポリ窒素爆轟"はしばらくは使えない。なら──)
「お返しだ、"音"ってもんはこう使うもんだ」
俺はパンッと手の平を打ち合わせて圧縮空気を爆発させ、両の掌を引き伸ばすように共振を繰り返し、指向性を持たせて撃ち出す。
"音空槍"──魔獣メキリヴナに使った"音空共振波"を、スケールダウンさせつつ間接攻撃として昇華させた魔術。
目には見えない共振を伴う音速の槍は、爆発的な衝撃力を肉体の奥深くまで貫通し浸透する。
分子レベルで粉微塵に自壊させるまでには至らないものの……それに近いだけの、圧倒的な破壊を対象にもたらす。
そうして命中した神獣はまるで踊るように何度か巨体をくねらせていた。
はたして痛覚が有るのか無いのか、のたうっているのか否か。
(さて……一番銛は達成したものの、この後はどうするか)
さすがに神獣と呼ばれるだけあって、やはり魔獣メキリヴナとは生命体としての格が違う。
あの巨体を殺し切るには……今の俺では困難であると分析する。
仮に殺せたとしても皇国の憎悪を一身に受けることになるし、墜落でもしたら地上にどんな被害が及ぶかわからない。
「何事も試してみるもの、か──なぁ隊長さん、小さい方の処理を一時的に頼んでいいか?」
「あぁ……さっきの"神獣の歌"さえなけりゃやれないことはないが」
「それじゃあ頼んだ。俺はデカブツの方をどうにかしてみよう」
そう言って俺は固化空気の足場を踏み込んで破壊しながら、爆発的な"暴風加速"でもって飛ぶ。
纏った風にさらなる風を織り込みながら、音速を超え──巨鯨の口内目掛けて──俺は突っ込んだのだった。




