#355 黒騎士
オズマと別れた俺は一人、裏路地を進みながら帝都の実状をつぶさに観察していく。
軍事力でもって制覇勝利するには最も不向きな国であるがゆえに、何が付け入りやすいかを探る意味合いもあった。
(──前方暗がりの角に感あり、ってな)
気配を押し殺して待つ小さな吐息が……ハーフエルフの強化感覚に引っかかる。
俺は特に歩幅も速度も変えないまま、悠々と進み続け──飛び出してきた小さな人影との衝突を華麗に躱したのだった。
「あっ──痛っ」
ぶつかるはずだった小さな男の子は勢い余って地べたへとすっ転び──すぐに立ち上がろうとする前に──しゃがみこんだ俺と目が合う。
「大丈夫か、少年? いやぁ、危なかったね」
「えっ……う……ごめんなさい、ぼく急いでて──」
目が泳ぐほどに動揺し、怯えた様子を見せる少年に対し、俺は見透かした笑みを浮かべる。
「身なりはそれなりに整っているが、路地裏をキョロキョロしながら慣れていない様子──迷い込んだ旅行者は絶好の獲物だもんな。狙われた俺が迂闊だ」
「あ……」
ドンピシャリ言い射抜かれてしまった少年の呼吸が一瞬止まる。
ほんのちょっと前に視線を感じた瞬間があったのだが、恐らくはこの少年だったのだろう。
(だが、視線は二つ──)
そう考えた瞬間、新たに少女が走ってくるのが見える。
「あのっお兄さん! ケガはないですか!?」
「……あぁ、俺は問題ないよ」
「それならよかったです!」
「ね……ねぇちゃ……」
「ほら起きて!」
駆け寄ってきた少女は、不安と安堵の両方が瞳に映る少年の言葉を中断させて、勢いよく助け起こす。
「ごめんなさいお兄さん、この子ってばうちの弟なんですけど……ヤンチャが過ぎて──」
「いや、いいよ。わかっているから」
「えっ……その──」
俺が詰問するように姉らしい少女を見据えると、彼女もこういった状況にはあまり慣れていないのか新たに言葉を紡げないでいた。
(まぁ……貧困はどの国・都市でもあるものだな)
それこそ神領のような──魔術で動くゴーレムによって衣食住をまかなわれ、生きるだけなら労働する必要がないシステムが構築されているならともかく。
どこにだって貧富と格差は存在し、大半が日々を生きる為に精一杯なのが世の中である。
「ごめんなさい、ほんとうにごめんなさい……わたしたちをゆるしてください、どうか」
少女の口から出たのは必死の懇願であり、俺の強化感覚はあらゆる生体反応から滲み出る本音を、痛々しいまでに受け取ってしまう。
「いや、いいんだ」
「えっ」
「わ……」
俺は姉弟をグッと引き寄せて抱きしめてやる。
ヤナギを筆頭に他の保護孤児らも育てていた俺にとって、その光景は見るに堪えないものであった。
「弟くん、お姉ちゃんは好きかい」
「……うん」
「お姉ちゃんは、弟くんを大切に想ってるんだね」
「……はい」
ゆっくりと呼吸と鼓動が落ち着いてくのを感じながら、俺は体を引き離して二人をそれぞれ見つめる。
髪と瞳の色からして血の繋がった姉と弟──まだまだ幼くも、しかして掛け替えのない絆。
「今日、君たちは俺と出会った。これは縁であり……幸運だ。今まで耐えてきたことへの見返りだと思っていい」
見知らぬハーフエルフの男が言い出したことに、話半分な表情を浮かべている二人に対し、俺は"小さな紙"を取り出す。
それはシップスクラーク財団の紋章が描かれた"名刺"であり、さらに樹脂ペンでサインを書き加える。
「それじゃぁ、今から言う場所を知っているかな──」
俺は姉弟に言い聞かせるように、小規模ながらも運営している"シップスクラーク財団・帝都支部"の場所を伝えた。
「わかります、その場所」
「よしっ、それならそこへ行きなさい。これと同じ紋章を着けたローブを羽織る人に紙を渡せば、君たち二人が新たな生活が送れるようにしてくれる」
まだ半信半疑といった様子だったが、集合まで時間もあまり無い。
割にしっかりしているようだし、わざわざ同伴せずとも大丈夫だろうと思う。
「お兄さん……?」
「もしも同じような子供たちがいたら誘ってあげてな、決して悪いようにはしない」
「……ありがとうございます、でもなんで──」
「未来とは、煌めくものでなくっちゃならないからさ」
そう力強く言った瞬間、ガチャガチャと鎧が擦れる音が、後方から複数聞こえてきた。
「ちょっとそこの方、よろしいですか」
立ち止まった黒いフルフェイスの内側からくぐもった声でそう言われ、立ち上がった俺は半身だけを向けて新たな人物らを観察する。
現れた三人は皆一様に漆黒の鎧・兜を身に着け、さらには帯剣もしていた。
(……"黒騎士")
帝国に所属する騎士位の一つであり、帝都を中心として特別な執行権をもって行動する集団戦闘に長けた騎士団。
軍事行動に参加することもあるが、多くは魔物の討伐や犯罪者の取り締まりであり、処刑もその仕事の範疇。
統一された黒の装いは威圧のみならず味方との連携をスムーズにし、顔を見せないことから特定個人への恨み辛みを気にする必要がない。
また自らの心すらも覆い隠すことで、どんな残酷な執行すらも躊躇しないというのが特徴。
騎士位でありながらも汚れ仕事を淡々とこなすその威容は、罪を犯していない一般人からも畏怖される存在である。
ゆえに……黒騎士らを前にした姉弟の心情は、この世の終わりと言っても過言ではなかった。
「職務ご苦労さまです、それで……なんの御用向きでしょうか」
「先日このあたりで窃盗行為があったと届出がされていて、調べている最中です」
(この子らを現行犯で抑えようとでもしていたのか──まっ俺には関係ない)
警団ではなく、わざわざ黒騎士が出張ってきたということは……相応の地位にいる者からの要請なのだろうか。
いずれにせよ被害に遭った者には気の毒ではあるが、基本的に財団の利益が優先される。
「あるいは……たった今、あなたも──」
「窃盗をされたと? 別にそんなことはありません。この二人には帝都を案内してもらっていたんですよ」
いけしゃあしゃあと口にした俺は、取り出した銅貨を数枚握らせ、ポンッと小さい背中を押すように姉弟を送り出す。
「二人ともありがとう、ここまでで十分だからもう行きなさい」
コクリと頷いた姉は、弟の手を引いて走り出す──のを追おうとした黒騎士の一人を、俺は手を伸ばして制した。
「待った」
「……なんのつもりだ、これは職務。邪魔をすれば執行妨害にあたるぞ」
「彼女らはまだ子供です。そんな威圧感たっぷりで捕まって尋問されては、やっていないことまでやったと言ってしまいそうだ。それは忍びない」
するとリーダー格と思しき最初に言葉を発した黒騎士が、矛先をこちらへと向ける。
「庇い立てするというのか」
「そういうわけではないが、あの子らには世話になったからね──なにぶん参集されたはいいが、帝都へ来るのは初めてで」
「……参集?」
俺はかぶっていたフードを取りながら暗がりに顔をさらし、大仰な仕草でもって黒騎士へと一礼する。
「申し送れましたが自分はモーガニト領主、ベイリル・モーガニト伯爵です。これ以上因縁を吹っ掛けるというのであれば、正式な手順に則って願います」
「なっ──」
声だけでなく鎧の内側からでも驚愕の反応が漏れているのが、手に取るように理解できる。
たまにはこうして伯爵位の威光を使うのも……なるほど、確かに悪くない気分だった。
「これが証です。さっさっ、どうぞいくらでもご検分を」
俺はベルトに付けたウエストバッグから、モーガニト領主の印璽指輪と、戦争参陣に関する書類一式と、王城への通行手形を見せる。
「──ベイリル……モーガニト、伯爵……」
(……? なんか動悸がちょっと激しいな、声色も心なしか──)
ベイリル・モーガニトの名と爵位を咀嚼し反芻するようにつぶやいた黒騎士に、俺は訝しげな視線を送る。
しかし相手の表情はヘルムの下でわからない。
「確かに。大変失礼しました、我々の無礼と態度をお詫びいたします」
書類一式を丁重に返却された後、黒騎士三人は揃って軍式の敬礼をした。
執行権を持つ黒騎士と言えど所詮は騎士位に過ぎないので、領地持ちの伯爵位を相手にしての立場はわきまえねばならない。
「理解していただけたのならば結構です。もしも何らかの不都合があれば、然るべき形で応じます」
「はい、では我々はこれにて──」
あっさりと踵を返して戻ろうとする黒騎士──そのリーダー格の男が一人、こちらへともう一度向き直る。
「モーガニト伯、一つだけよろしいですか……あなたは今、幸せですか?」
「はぁ? まぁとても充実していますが」
その質問の意図はさっぱりわからなかったが、俺は反射的にそう答えていた。
苦労も多いものの……退屈はしていない。異世界ライフを存分に謳歌しているのは、決して過言ではなかった。
肝心の謎質問をしてきた黒騎士はその答えに満足したのかはわからないが、一礼をして返すとすぐに路地の角を曲がって行ってしまったのだった。
「なんなんだか……まぁいい」
無用な時間を浪費したものの、これもまた帝都における一つの情報として俺は心に留めておくのであった。




