#346 静謐の狩人 I
私は専用の調理場で料理を作る。
"親愛なるクロアーネへ、明朝に多目的大技場にてオーラム殿に決闘を申し込んだので立会いをお願いしたい。ベイリルより"
(まったく……)
手紙にはそれだけが書かれており、断る余地は与えられていないように思えた。
サイジック領の式典も落ち着いたかと思えば束の間。
「魔導師になったところで、ゲイル様に挑もうなどと……いささか調子に乗りすぎです」
「なぁに、くろー?」
「なんでもないですよ、ヤナギ。それが終わったら次はこっちを切ってください」
「わかった」
素直なヤナギは並べられた野菜を、小さな包丁で切っていく。
既に言葉も流暢に喋り始め、メキメキと成長している実に教育のしがいのある優秀な子であった。
(オーラム様の分はともかく──)
ベイリルの好きな料理も、好みの味付けも、既に熟知してしまっているのが何とも言えない気分にさせられる。
だからせめてヤナギが切った多少なりと不揃いの具材で調理してやろうと、そんな他愛もないことをしたくなる。
(別にお弁当を頼まれたわけではないけれど……)
ゲイル・オーラムがいて、さらにベイリルも揃うのならば用意しないわけにはいかなかった。
揃ってテーブルについてくれたなら手間はないのだが、決闘をする手前そういうわけにもいかないだろう。
よって早めに起き出して来たヤナギと一緒に、手慰みも同然に腕を振るう。
「私は私の仕事をするだけ、ですね」
「くろー、仕事、大事」
ヤナギへと微笑みかけながら、私はいつも通り調理に没頭するのだった。
◇
──サイジック領都郊外・"多目的大技場"──
"ゲアッセブルク凱旋門"をくぐった先。まだ建築されたばかりで大々的に使われたことのない、その場所には──既に二人の男が入場していた。
「おはよう、クロアーネ。来てくれて嬉しいよ、今朝も綺麗だ」
「おはようございます、オーラム様」
「ふあ……あー、おはようクロアーネ」
私は軽薄な灰銀髪のハーフエルフを無視して、主人へと挨拶する。しかしベイリルはそれも慣れたものだと、いつも通り何事もなく話を続ける。
「っていうか、ヤナギも連れてきたんだな」
「後学の為になるでしょう」
「勉強ぉー」
隣に立つヤナギは、グッと小さな握り拳を天へと振り上げる。
「それと弁当も用意してくれてきたようで」
「一応は。……それで、なぜまたこのような決闘など──」
するとぼんやりと空へと眺めていたゲイル・オーラムが、ポケットに手を突っ込んだままスッとベイリルの方を顔を向ける。
「それはボクちんも聞きたいねえェ。たま~の試合じゃなくって、改まった形での"決闘"なんて……もしかして初めてじゃないかァい?」
私はその言葉に思わず眉をひそめる。オーラム様ですらベイリルの真意をまだ聞かされていないということに。
「くっははは、まぁ節目ってやつです。クロアーネとオーラム殿と出会ってから、短くも長い道のり──ここまで大きな形になった」
「そうだねェ……かれこれ、もう七年くらいになるか。精神はともかく、肉体的には幼かった夢想家も随分と大きくなったものだネ」
「恐縮です。それでですね、腕試しはもちろんですが──古来より一人の女性を複数の男が奪い合うのは、こっちでも慣例でしょう」
「……は?」
「んなぁるほど」
私は呆れた声を発してからゆっくりと大きく溜息を吐く。
「帰ってもよろしいでしょうか」
「せっかくだから見て行きなよォ、クロアーネ。アレは覚悟を決めた男の瞳だ、無下に扱うことはないサ」
主人にそう言われてしまっては私としてもこの場に留まるしかなく、確かにベイリルは真剣味を帯びた表情を浮かべている。
「まったく……もうすぐ一児の父にもなろうという男が、無謀なマネをするものです」
「心配ありがとう、クロアーネ。ってか、そこらへんしっかり把握してんのな?」
「私がハルミアの万全な栄養および献立管理しているのですから当然です」
「愚問だった」
軽いやり取りもそこそこに、ゲイル・オーラムが絡みつくような本気の殺意をベイリルに叩き付けるも……彼はどこ吹く風といった様子で飄々と躱す。
かつてイアモン宗道団の本拠屋敷で、射竦められ慄いていた少年の姿はもはや無かった。
いけ好かないのは相変わらずな部分も残るが、既に立派な一人の男として大成しているのだ。
私は弁当を片手にヤナギを抱きかかえて観客席の方へと跳躍すると、ベイリルは声量いっぱいに叫ぶ。
「オーラム殿! 貴方の娘さんを俺にください!!」
「ワタシより弱い者に娘を守ることなどできはしない! 欲しければ越えてゆけ!! 奪い取れ!!」
オーラム様は私のことを娘などと思ったことは一度もないはずだが……ノリノリの掛け合いをしつつ闘争が始まる──
「顕現せよ、我が守護天──果てなき空想に誓いを込めて」
ベイリルの詠唱と空撃ちされたトリガーが戦闘開始の合図。
同時にポケットから両の手を抜いたゲイル・オーラムは、両腕を高速で繰って金糸を展開する。
そして直後には鈍い鋼色の鎧を纏いし──幻星影霊"ユークレイス"が、ベイリルの背後へと寄り添うように立っていた。
「ほっほーーー……そいつがキミの魔導か。あの時は上からチラっとだったけどようやくまともに見せてくれたネぇ、ベイリルぅ。てっきり出し惜しみするものかと思ってたヨ」
『誰であっても興だけで安易には見せませんが、本気の闘争となれば別ですから。これはオーラム殿の強さへの敬意でもあります』
そんなベイリルの言葉に対して獰猛な獣のような笑みを浮かべたゲイルは、腕を一振り──金糸群が空間を裂く。
既に逃げ場は消失し、決して避けられない。全方位を埋め尽くす金色の輝きが、ベイリルと影霊とをまとめて包み込んだ。
──しかし、生きている。ベイリルはまだ打ち倒されることなく。傷一つなく立っていた。
『空華夢想流・合戦礼法──併せ四刀』
ベイリル自身が両手に二刀、背後の影霊が両手に二刀──合わせて四本の"太刀風"が金糸を斬断していたのだった。
「やるねェ……」
『"音圧振動"は標準搭載。さらに水素・液体窒素・電離気体・光熱をそれぞれ内包した"爆燃剣"、"雪風太刀"、"雷斬"、"輝光刃"でのお届けです』
長大な刀身を振り回して見栄を切るように構えたベイリルに、ゲイルはくつくつと笑う。
「んなぁ~らぁ~……束ねたらどうなるかぁなあ!!」
一瞬にして収束された金糸群が奔流となって叩き付けられるも、ベイリルは自ら安全地帯を斬り拓いて躱す──
だけでは終わらない。まるで詰め将棋のように最適な位置へと己を移動させ、最適の攻撃を最適の好機で繰り出す。
それは予め段取りが決められていた流れと錯覚するほど、意識できないカウンターとして差し込んでいたのだった。
しかしゲイルもさることながら、いつの間にか多重に編み込まれた金糸盾によって四撃を同時に全て防御しきっていた。
『無拍子も難なく防ぎ切る、と……本当にもう、今までオーラム殿と敵対してきた連中には同情しますよって』
「ほとんどの奴らは、こうして会話に興じられるほど強かったわけもないけどネ」
輝く雷光によって張り巡らされた金糸が煌めき、炎と雪が風によって舞い散る闘技場は、なにやら幻想的な雰囲気すら感じさせた。
「さってっと、お次はナニを魅せてくれるのかな」
四刀を防がれたベイリルは手元より掻き消しながら、ステップを踏みつつ距離を取ってから両腕を大きく広げた。
『──これは扱いが至難と言っていい魔術でした。なにせ知識としては知っていても、理屈でもイメージでも馴染みがなかったもので』
ベイリルはゆっくりとした動作で、手の平を空間へと向けるように両手を突き出す。
『ある種においてγ線以上にコントロールができなかった……でも今は違う。俺ができないのなら──背後のユークレイスにやらせればいい」
発せられたその言葉こそ、ベイリルが使う魔導の真骨頂。
ただ自分を二人にして手数を増やすのみならず、己には不可能な役割を分担した上で強制することにある。
『此は揺蕩い、流転する水底にて燃ゆる相体也。空六柱改法──"空水之焔"」
「なッ──んと、こいつはァ……?」
次の瞬間、眼前に広がったのは──展開していた金糸がみるみる内に腐食してく光景なのであった。




