#334 サイジック領 I
──"浮遊城宮イル・グル=リーベ"──
ベイリル・モーガニト、18歳。冬季。
本日のベイリルの予定は、いつもどおり魔力|遠心加速分離によって始動した。
それは備えであり鍛錬。より安定した魔導と魔術の為に、時間の掛かる魔力の固液分離を済ませ、その後は惰性で回しておく。
「っし……今日も一日、がんばるぞっと」
鏡と向き合って身だしなみも整え終えたところで、俺は専用にあてがわれたモーガニト伯爵・執務室の窓から眼下を睥睨する。
そこには山と、川と、ワーム海と、巨大な系統樹のように枝分かれする区画と、大樹と、建物と──なにより、そこに住む人々が見えた。
「あれ~、もう起きてたん? ってかなんのための万端準備ぃ?」
ともすると隣の個室から起き出して来た半人半吸血種のフラウが、正装の俺を見つめる。
「今日はシップスクラーク財団総帥"リーベ・セイラー"としての打ち合わせと、帝国東部総督を迎える予定だ。正式な会合そのものは明日の朝だがな」
「あ~~~そういえば言ってたねぇ、ココでやんの?」
「いやこの宮殿は確かに政務全般も取り仕切られるようになってはいるが、原則として内政も外交も地上の"複合政庁"でだよ」
そう言いながら俺が廊下側の扉へと視線を移すと、フラウもつられて見たところで……ダークエルフのハルミアが入ってくる。
「おはよう、ハルミアさん」
「おは~ハルっち」
「ベイリルくん、フラウちゃん、二人ともおはようございます。朝食もらってきましたよ」
お腹も少し目立ってきたハルミアは、台車から応接用のテーブルへと並べていく。
もちろん俺との子であり、現在30週目くらいにはなろうか。
地球ではついぞ無縁だった俺が、こうして我が子を迎えるまでに至るとは……実に感慨深いものであった。
「ありがと~、ハルっちは休んでればいいのにぃ」
「昨晩もですけど、少しくらいは動いているほうが良いんですよ」
生体自己制御に長じた彼女は、自身と子とを完璧な健康管理下に置きつつ閨でも変わらず尽くしてくれる。
フラウはハルミアのお腹に顔を寄せて耳を当てると、穏やかな表情でさすり始めた。
「早く産まれてきてほしい~。男の子かー、女の子かー」
「俺のエコーで、もう概ねわかってるぞ。名前も候補がいくつか──」
「いぃいぃ~言わなくて! まったくベイリルは無粋だなぁ」
「ふふっ、私も楽しみです。フラウちゃんも早く欲しいんじゃないですか?」
「まっ、ね~。ただやっぱりダークエルフのハルっちと違って、あーしはハーフヴァンパイアだからねぇ」
「俺は諦めたつもりはないぞ」
「わかってるってば~、あーしもやる気満々だし。ただ……今はキャシーたちとまた迷宮に潜るのが控えてるし、少なくともその後かなぁ」
カエジウス特区ワーム迷宮再攻略計画は、諸般の事情で延期を重ねていた。
ハルミアのような卓抜した医療魔術に囚われない、普遍的な回復薬としての"スライムカプセル"開発を待ったのが一つ。
迷宮攻略と制覇に堪えうるだけのメンバーの人選と、各人の都合をつけるのに一つ。
そしてスライムカプセル実用化の目処が立っていた頃に、"別の人間によって迷宮制覇されてしまった"──のがもう一つの理由である。
スライムカプセルの開発期間が終えたところで迷宮の改装期間に突入してしまった為に、スケジュール調整も一から見直すハメになってしまったのだ。
そうして都合をつけていって……ようやく今度こそ、まとまったのである。
「そういえばいつ出立するんだ?」
「式典が終わったら~~~、割と早めに船で向かう予定だよ」
攻略メンバーの一人でもあるワーム海賊"ソディア・ナトゥール"の私掠船を使えば、陸路を直接渡っていくよりは格段に早く、物資も多く運ぶことができる。
"裏技"を使わない限りはどうしても迷宮攻略は長丁場となるので、自分達で調達できる限りはそれに越したことはない。
「そうか、まぁ俺も暇ができたら追いつくわ。だから焦って攻略しなくてもいいぞ」
「一人で迷宮攻略なんて大丈夫~?」
「今の俺なら中層までは余裕だろうさ。それにフラウたちが先んじるなら露払いもある程度は済んでいるだろうし、最悪の場合は自力でドリルだな」
最下層まで直接──はさすがに魔力が保つまいが、ショートカットにしても脱出にしても有用な魔術である。
「でもベイリルくん、それだとまたカエジウスさんに怒られるんじゃないですか?」
「はっはっは、まっそん時はそん時でしょう。どうせ俺はもう一度は制覇特典をもらえないし、あくまで目当ては資源ですから多少のお目こぼしに期待です」
ワーム迷宮は、"浮遊石"をはじめとして多彩な鉱物・植物。またどこから連れてきてるのやら生物資源の宝庫である。
そして一般攻略者の素材売買のほとんどを一手に引き受けているのが……カエジウス特区街で"永久商業権"を取得して運営されている黄竜の息吹亭。
最も大きく唯一の老舗である取引所を運営する"エルメル・アルトマー"が、いかに先々まで見通して、手練手管に秀でていたことか。
彼が持つ販路は広範かつ緻密さに富んでいて、ダンジョン産の多様な素材を売買するルートが確立されているのだ。
アルトマーはそれ以外にも多くの事業を手掛けて利益をあげており、父子二代だけで世界に名だたるアルトマー商会まで押し上げただけの商才は底が見えない。
財団としても過去討伐された魔獣素材などを含めて、多方面で取引を行ってはいるが……少なくなく共和国の大商人アルトマーの巨影が映る。
ゆえに今はまだ商業面において正面切って争うべき相手ではなく、攻略者達から強引に、より高値で買い取るような真似もしたくない。
また最下層に近い深階層の資源類は早々に売られるものでもないので、迷宮素材が欲しければ自力確保するのが最も望ましい形に落ち着くのである。
「あ~~~んむっ、ぐっ──」
俺はバスケットに積まれたパンを取ると、皿の具材をサクサク挟み、高速でモリモリ咀嚼し、胃腸までガンガン流し込んでいく。
「そんなにがっついて食べて、ベイリルくんは何をそんなに急いでるんですか?」
「リーベの影武者として、東部総督に会う──予定なんです」
「あらあら、そうだったんですか。大事な会合であればしょうがないですね」
食べながら滑舌が追いついてなくとも、ハルミアはきっちりと俺の言葉を理解しているようだった。
「ねぇ、ベイリルはいつまでリーベの影武者やってんの~?」
「もうしばらくだな。さすがに突っ込まれても対応できるように、重要人物と会う時だけは俺が出張らないとダメだ」
シップスクラーク財団総帥にして、フリーマギエンスの偉大なる師──"リーベ・セイラー"。
"未来予知"の魔導師にして、地球の現代知識と産み出されたテクノロジーの総群そのもの。
永劫を生き続ける旗頭。
牽引者にして憎まれ役。防波堤にして……時に生贄の羊ともなる人材。
体面上の頂点に位置しながらも、実在しない為に暗殺などを恐れる必要がない架空の存在。
「時期が時機ですから、みんなで一丸となって頑張っていかなきゃですねぇ」
「えぇ、我らがサイジック領の黎明の刻──積み上げ続けた一つの結実が果たされる、記念すべき日」
言いながら俺は自らの気を引き締める。
曰く──"人間の救済の為には3つのことが必要である。何を信じるべきか、何を欲するべきか、そして何をすべきかを知ることだ"。
すなわち"自由な魔導科学"を信じ、"未知なる未来"を欲し、各人が持ち味を活かして"進化"すること。
今さらご破算になどなりはすまいが……それでも、より優位にスタートが切れるかどうかは懸かっているのだった。




