#330 幼馴染
「今もどこかで元気にしてるかなあ……──"スミレ"ちゃん」
ティータから発せられた一言に、俺は表情だけでなく肺からも抜けた声が漏れる。
「へっ──!?」
「……? どしたっすか、ベイリっさん」
「今、名前……なんて?」
幼少期より鍛えたハーフエルフの半長耳が、よもや聞き逃すわけもなかったのだが……俺の脳内が確認する問いにティータは答える。
「スミレちゃんっす。年もおんなじくらいで」
「茶色の髪の……?」
「ツインテールで」
「黒翼の鳥人族で……?」
「はい、お父さんが極東から渡ってきたカラスの獣人で──」
「ティータが"仕込み番傘"を作ってあげた……?」
「そうそう! って、ベイリっさんにそこまで話しましたっけ?」」
(さすがに同名のよく似た別人ってことはなくなったな……)
首を傾げるティータに、俺は一度だけ深呼吸してからゆったりと言葉を紡ぐ。
「──いや、話してもらったことはない。そしてリーティアやゼノから聞いたわけでもない」
「……? それじゃあ? もしかして会ったことあるんすか!?」
「あぁ、会ったことがある──」
それもつい最近。収監される少し前。皇都で。
「実は皇都でオルゴールを配っていた時に、少しだけ話した」
「はあ? おいベイリルそれって直近じゃんかよ!」
ゼノのツッコミに俺は黙って頷く。完全なニアミスである。こ
の話をもう少し早く聞いていたならば、あるいは今ここに一緒に立っていたかも知れないと。
「そっかぁスミレちゃん、会いたいなあ。とりあえず今も元気にしてるようで良かったっす」
「それと言いにくいんだが、彼女と……闘った」
「ベイリル兄ぃ、まさか……」
リーティアが目を細めたところで言わんとするところを察し、先んじて俺は弁明する。
「いやいや、そこはさすがに大丈夫だ! 怪我だってさせてない。絡まれたから少し相手にして、聖騎士長の横槍が入ってそのまま彼女は逃げたから──」
「絡まれって、なんでまたそんなことになったんすか?」
「あぁ……なにやらシップスクラーク財団を悪の組織かなんかだと勘違いしていてな。完っ全に誤解から生まれた諍いだ」
「ぷっあっはははは! いやぁ~スミレちゃんらしい。思い込みが強くて猪突なところは変わってないっぽいっすねぇ」
確かに不明瞭な風聞ばかりを繋ぎ合わせれば、シップスクラーク財団は世間の裏側で暗躍するヤバい組織か何かに見えるかも知れない。
(まっ実際に不法行為も上等! で、やっている部分は無きにしも非ず……)
綺麗事や理想論ばかりでは世の中を動かすことができないのはわかりきっている。
清濁併呑。表も裏も、酸いも甘いも、陰と陽と、慈善と必要悪と、平和と戦争を──
悪名もまた方向性の異なった名声には違いなく、あらゆることを糧にするのがシップスクラーク財団の信条であるがゆえn。
「ついでにだが──"世直しの旅"とか、わけわからん使命を帯びてやっているみたいだった」
「世直しっすかぁ……昔っから正義感が強くて、自分らをからかってこようものなら年上の集団相手でも食って掛かってたんでちょっと納得っす」
「改めて財団でも勧誘対象として指名手配しておくつもりだが、俺が個人的にまた会うことがあればティータの名前を出しても構わないか?」
「もちろんっすよ、スミレちゃんにまた会える為なら、自分も協力を惜しまないっす」
もっともオルゴールという布石を打ってあるので、いずれ向こうから興味を持って近付いてきてくれるだろうとは思っている。
「……とりあえずスミレに俺がティータの友だと証明する為に、何かこう……"二人だけの思い出"とかあるか?」
「なるほど、自分らしか知らない秘密とか──それじゃあ、スミレちゃんの本当の名前は"ベロニカ"っす」
「んん? 本当の名前……?」
「スミレという名はお父さんに付けてもらったもので、生まれる前から真名を持ってるんだって」
ティータ自身は何気なく発した思いでなのかも知れないが、俺は思わずゼノと顔を見合わせてしまう。
「あとはそっすねえ……スミレちゃんが洗濯桶をいきなり赤く塗り始めて、水をなみなみ注いだと思ったら頭の上にのせて──」
「ちょっと待て、ティータ」
「なんすか、ゼノ。まだ続きがあるんすけど」
「スミレって子は知ってたが……ベロニカってのそれ、初耳だぞ?」
「そりゃ二人だけの秘密っすし? 今言っちゃってるっすけど」
当然ティータにはわからない、リーティアもピンッとこないだろう。それは事情を知っている俺とゼノだけが引っ掛かる話。
(生まれる前からだと……?)
「ベイリル兄ぃ、どうしたの? なんか真剣な顔しちゃって」
こちらを覗き込んで来るリーティアの頭をポンポンと撫でながら、俺はさらに思考を回す。
すなわち転生する前の名前なのか否か──
(可能性は……低くない)
もちろん大魔技師が残した記録、そのコピーを手にしたゼノのように、過去の転生者の連なる何かが継承されているだけということもありえる。
しかしティータがリーティアとゼノに肩を並べるだけの技術者となりえたのは、幼少期に異世界の知識という影響を受けていたからと思えば得心もいく。
論理的な思考力と柔軟な発想力が養われ、学園時代に競い協力し培ったことで、テクノロジートリオとして大成するに至ったのだと。
(スミレ……本当の名をベロニカ、か──)
俺や"血文字"と同じ、地球からの転生者であったなら……雇用優先度は跳ね上がる。
アジア圏の名前ではないが欧州かどこかの女性名だ。
半端な俺が持ち得る現代知識とはまた別の地球の知識は、シップスクラーク財団とフリーマギエンスをさらなる躍進へと繋がるに違いない。
(さしあたって指名手配レベルは最大だな)
たとえ転生者でなかったとしても、ティータの幼馴染であり、何らかの知識保有者であり、俺と闘り合えるほどの強度持ち。
そして血文字と違って人格破綻者というわけではなく、少しばかり思い込みが激しいだけで根は善人。
引き入れる以外の選択肢はなく、どこかに所属していようとも是が非でも引き抜かねばなるまい。
「なるほどな──それで、ティータ。水をたっぷりにした赤い洗濯桶を頭の上に乗せてどうしたんだ?」
「おっ続きが気になるっすか?」
「ちょっと待ったベイリル」
ティータが喋り出すよりも先にゼノは手を広げて制すると、俺の元まで近付いてきて耳打ちしてくる。
「おいおい、詳しく聞かなくていいのか? "転生者"の可能性があるのに」
「構わないさ。どのみち勧誘すればわかることだし、現状では交渉材料が増える程度のものさ」
「あー……それもそう、なのか? いやそうか、ティータにもっと昔話させてりゃ、自然と確信を得られるかも知れんという算段か」
「それもある」
ティータとリーティアは俺達の秘密の会話に要領を得ないまま、抗議するように口を開く。
「ゼノもベイリっさんも、なんなんっすか? ちょっと気持ち悪いっすよ」
「なんかぁ~、男二人でわかった感じになっててズルい!」
『気にするな』
そうして俺とゼノは声を合わせて、煙に巻くのだった。




