#318 将軍 II
将軍はレドの小さな体を盾代わりに、俺を牽制しつつ相対距離を取る。
「っ──おいコラぁ!! たしかに少ぉ~しばっかし登るの苦戦したけど、だからって引っ張り上げてもらう必要なんてなかったんだが!?」
宙ぶらりんのまま叫び、ジタバタと暴れ出したレドを無視して……将軍は俺へと宣告してくる。
「吸血種の素力をもってすれば、小娘の素っ首一つくらい貴様の魔術よりも早く縊り落とすことができる。甘い貴様は旧友を殺すことはできまい」
「……まったく」
「は? どーゆーこと?」
疑問符が止まらないレドに状況説明などしてられず、俺は将軍へと問い迫る。
「ここでお前を見逃したとして……レドを殺さないという保障はどこにある」
「小娘に恨みはない、私が安全圏へと脱したら解放するのが道理であろう」
俺は右のリボルバーを早抜き撃ちすべく自然体を取るが……一方で人質となってしまったレドは実に暢気な様子で告げる。
「ちょっとちょっと、どういうことかさっぱりわからんないんだけど。ナニ揉めてんのさ?」
「大人しくしていれば小娘、貴様に危害は加えない」
「はあああ!? つーかジジイってばさぁ……わけわからんけどボクを人質ぃだって? それは無謀ってもんだよ」
そう言った次の瞬間、レドが纏う空気が一変する。
それはまだほんの少しでしかなかったが、濃密に凝縮された魔力圧。
何を引いているのかは本人のみぞ知るが、引いた分を魔力へと足して急速に増えていくのがわかる。
「ちょっとでも魔力が戻りさえすれば、ボクはどうとでもなるのさ。ボクが逆にジジイを人質に取ってやんよ」
(誰に対してだよ……)
俺は心中で突っ込みつつ"天眼"から得られた共感覚によって、レドの"存在の足し引き"が魔術に非ず、濃い魔力によって発動させた"魔導"であることも知覚できた。
どのみち魔術で可能な領域を超越していた時点で予想がついていたことだが、今ならば確信をもって言えることだった。
「面白いな小娘、予定変更だ。いただくとしよう」
「えっ──なっ!?」
将軍の日常生活のような一言から次の行動は、レドにとっても俺にとっても予想だにしないことであった。
紅い瞳を見開いたかと思うと、その上下に生えた犬歯をレドの首筋へと突き立て──"吸血"し始めたのだった。
「っぐ……ぅぁ」
それはものの数秒の出来事であり、"天眼"で視ていた俺はもたらされた過程と結果をあまねく理解する。
"存在の足し引き"によって理外に魔力を補充したレドから、血液を通じて魔力をも奪い取ったということを。
「フハッハハハッッハハーーーッハハハハハアァッ!!」
将軍の哄笑が響き渡るのと呼応するかのように、周囲の空間が丸ごと変質していくような錯覚に陥る。
もはや人質など不要になったとばかりに、俺へと向かって投げ捨てられたレドの肉体を、しっかりとその腕で受け止めた。
(よし……辛うじてだが、まだ生きている──)
レドの呼吸はひどく薄いものの、それでも死には瀕していない。将軍に殺すつもりまではなかったのか、あるいはレド本人の生存力か。
しかしこのままでは命の危険も考えられるので、俺はすぐにウエストバッグに入った瓶から"青スライムカプセル"を取り出すと、潰して液状にする。
それを首筋の吸血痕に塗布してから、余った分を空気に包んで口に含ませ、レドの胃腸まで流し込んでやった。
その間も目の前のヴァンパイア──アンブラティ結社の将軍にして、かつて西方魔王であったグリゴリ・ザジリゾフは、さらに魔力を膨れ上がらせていく。
「これで魔力の優位差はなくなったぞ、いや私のほうが上かァ?」
俺は将軍にまとわりつくような黒色の魔力を知覚する。
それは実際に闇黒の瘴気を発生させているわけではないが……かつて黒竜と対峙した時のことを想起させるもの。
またスライムカプセルの過剰摂取により、魔物と成り果てた神族の男──オルロク・イルラガリッサの時とも酷似していた。
(吸血による魔力簒奪──そうか、そういうことだったのか……)
魔力という多くの謎が残る未知の物質あるいは現象の一端と、吸血種と呼ばれた由縁にして背景を俺は識る。
(他人の魔力はそのままじゃ扱えない。だから自らをわざと"暴走"状態に置くことで、自家中毒による黒い魔力で塗り潰した──)
発想としては、俺が魔力を充填した"黒スライムカプセル"と近いもの。
俺の場合は自分の血液と魔力だからこそ適合させられたが、将軍が行ったそれは他人の血と魔力でも可能ということだ。
魔力色の違いは己の魔力を暴走させ、"黒色の魔力"として置き換えることで強引に染め上げる。
純吸血種のみが可能な窮極の魔力操法。
それまでの落ち着き払っていた態度と打って変わって、精神汚染によるものか──口調すら変化しているのも納得できる。
「あれは──古にあったとされる禁術法ですね」
いつの間にか穴から出てきて隣に立つエイル・ゴウンが、至って冷静な口調で告げる。
「えぇ……つい先刻、俺も理解したところです。あれがかつて吸血種と呼ばれた──真の姿」
「加勢したいところですが、今の魔力のない私にはどうしようもないのが……あな口惜しや、です」
「──ここだけの話ですけど、実は魔力を回復する手段はあるんです」
「本当ですか? であれば私も少しくらい体を動かせればと思います」
「ただ試作段階な上に、肉体と精神に負担を掛けることになりますが──」
「あの、お言葉ですけれど……私はとうの昔に死した身ですが?」
「……そうでした、臨床データが取れないのが残念です」
極々普通に動いて会話をするエイルの姿に、俺は既に死んでいるということを失念してしまっていた。
(不滅とまではいかずとも不死か……なら少しくらい甘えてもいいか)
血生臭い闘争になど巻き込むまいとも思っていたが、本人がやる気であるのならばと俺は決断する。
レドの体を抱きかかえたまま俺は、瓶の中にある通常の"黒スライムカプセル"を片手で取り出し、潰して周囲に振り撒いた。
「これがそうなのですか……?」
「はい、思いっきり吸ってもらえますか」
エイルは周囲に薄っすらと漂う黒い霧を少し見つめたかと思うと、躊躇いなく吸い込む。
本来の黒色スライムカプセルの用途──気化させて周囲の魔力ごと、肺から血流へと強制的に溶け込ませる。
俺は遠心分離させた魔力が、新たな流入によって攪拌されないよう呼吸を止め、エイルは何度も深呼吸を繰り返す。
さすがに"神器"と謳われるだけあり、吸収した分をそのまま高効率で魔力を充填しているようだった。
将軍とエイルによって周囲一帯の──"無色の濃度"とでも言おうか──魔力が急速に減じていくような知覚の中で……。
俺は魔力の遠心加速を高めながら、"黄スライムカプセル"を咀嚼し、"赤スライムカプセル"を液状で胃へと流し込んだ。
黄色は無類の吸収性を持つ即効栄養食であり、収監されていて不足していた栄養素とカロリーを補う。
赤色は一時的に肉体や感覚器官を活性化させ、身体能力や神経系を上昇させるドーピング効果を持ち、気化ではなく液状摂取ならばさらに効果が高い。
今まで眠っていた心身が一気に覚醒していくような状態を掌握しつつ……──
突如として黒霧が一瞬にして消え失せた。
同時にそれはさながら、魔力という見えないエネルギーが完全に枯渇したと錯覚してしまうほどであった。
「──っっっぁぁあああアアアアア"ア"ア"ア"ッッ!!」
俺の腕の中で、少女が咆哮える。
鬱屈した感情を思いっきり発散させながら、魔力を解放するかのような雄叫びであった。




