#293 獄中デビュー
「──新しい囚人が落とされる時ってのは、恒例だが盛り上がるもんだ」
「この監獄での秩序は自然と同じ──弱きは食われ、強きが生き残る。つまり新入りってのは、よっぽどのことがない限りは搾取の対象さ」
「あぁ……あんたが治癒魔術によらない医療技術だとか、貴重な一芸を持っているとかなら別だけどな」
「でもあいにくとあんたの持っている技術ってのは、どうやら監獄では何の役にも立たなかったらしいな」
「底辺に落とされた中で、さらに底辺ってのはキッツイよな? オレっちだってこの"口先"のおかげで少しだけマシってくらいなもんだ」
「だけどよ──あの"半長耳"の旦那は違ってた」
「なぁに、あんたもすぐにでも理解ると思うぜ。だからここは一つ、一緒に夢を見ようや? あんたの技術ってのが別の場所でなら役に立つんだと──」
◇
再び訪れた大監獄──ただし今度は"囚人"として、である。
収監までのプロセスは単純。まずは事前に魔鋼製の拘束具を着けられたまま、"予備階"の留置場へと移される。
魔力を通さなければ……強靭な鉄を、素のまま破るのは非常に難しい。
魔力を通したならば……硬度を増す魔鋼製の枷を、魔術なしで破壊するのもまた至難。
魔術で破壊しようとするならば……これもまた単なる鉄を砕くのとは比較にならない高火力を必要とする。
そんな高威力の魔術を、全身に装着した自分自身にぶち当てるとなると──精緻極まるコントロールがなければ死んでしまう。
だからこそ高品質の魔鋼製の枷は貴重ながらも、実に合理的な拘束装置となりうる。
そうして収監予定の囚人は、予備階にて一度魔力を奪い尽くされるまで待つことになる。
執拗に、念入りに、4日も費やして魔力が空っぽとなるまで俺は拘束され続けた。
その後に簡素な囚人服に着替えさせられ、後ろ手の手錠と足枷へと付け替えられる。
予備階から地下百数十メートル以上の深さを持つ大穴──"一般囚人獄"には、大きめの搬出入口から昇降装置を使用する。
俺は刑務兵士を二人ほど伴うような形で、下へ下へと降ろされていった。
(ワーム迷宮を思い出すな──)
巨大な円筒形だがわずかに上方向へ窄んでいて、直径は数百メートルに及び、深さは200メートル近くはあろうか。
(魔術や魔力強化なしでも登れないことはないが……)
登りきれても待ち受けるのは大勢の皇国兵士。魔力が枯渇した状態で立ち回れる相手ではない。
(試してみたい気持ちもなくはないが、予定通りにいかないとな)
下を覗くと中央は小山のような高台になっていて、周辺は広場のようになっていた。
壁には恐らく囚人が乱雑に空けたのだろう穴倉がいくつも見える。
「覚悟は決まったか?」
刑務官の一人がニヤニヤとした様子でこちらへと告げてくる。
「えぇまぁ……枷は全部外されるんでしたっけ」
「当然だ。手足ごと切断されて、囚人らのオモチャにされては困るからな」
「確かに、切り落とされるのは俺も流石にちょっと困りますねぇ」
俺は刑務官の言葉に納得しつつ地面から数十メートル、中央にある高台の付近にて止まった状態でその五体が自由の身となる。
そして昇降装置の隅に置いてあった"寝具"と、"皮袋に入った壷"を手渡されたのだった。
「しっかりと抱えておけ、短い付き合いだろうがな」
「……もしかして、ここから?」
「落とす。だから寝袋を下敷きに、上手く受け身を取ることだな。運が良ければ骨折くらいで済む」
俺は高台までの距離を目測してから、寝袋を放り投げる。
「お手間は取らせませんよ」
「なっ──おい!!」
突き落とそうとしていた刑務官よりも先んじて、俺はその身を昇降装置から投げ出す。
そうして軽やかに寝袋に着地したところで、刑務官の小さな舌打ちだけが聞こえてきたが……俺は気にせずさらに下方を見つめる。
そこには囚人グループが、さっそく下卑た表情で待ち構えていた。
(はてさてコチラは身ィ一つ……でもそれは連中も基本的に同じ)
俺は高台から降りることなく、寝袋の上に座り込んでそのまま待つことにする。
昇降装置が上がり切り、天井部の搬出入口が閉まる──と、囚人達が5人ほど堰を切ったように登ってくるのだった。
「おうガキィ……って、長耳か?」
「"半長耳"だよ、そういうあんたらはただの人族か」
「ハーフエルフか──なんにせよ生意気な態度だな。自分の立場ぁわかってんのか?」
(くっははは、学園生時代を思い出すな)
俺はチンピラめいたその態度に思わず心中で笑ってしまう。こいつらは言わば落伍者である。それも腐ったカボチャ。
「立場か……まぁこれから状況把握には努めるつもりだが──」
「あ~あ、せめて亜人連中のトコだったらまだマシだったろうによォ……おれらの順番だからな、テメエは奴隷確定だぞ」
「ふむ……順番なんて決めているんだ?」
「当たり前だろうが。新入りごときで無駄に争ってもしょうがねえんだからよ」
「なるほど、なるほど──」
俺はゆっくりと立ち上がりながら、指をポキポキと鳴らす。
「意外と秩序が成り立っているんだな、これなら楽そうだ」
「あんだって?」
──瞬間、人族の男の一人が宙を舞っていた。そうして高台から地面まで一直線に落ちて呻き声を一つ。
「なっ──テメエ!!」
筋肉は鍛えているのだろうが、所詮は魔力のない人族。一部の例外を除けば、総じて脆弱そのもの。
さらには新入りを回収しにきた使いっ走りを相手に、遅れを取ることなどありえなかった。
「さて──っと」
即座に残る4人ほどをぶちのめしてその場に打ち捨てた俺は、寝袋を肩に悠々と高台を降りていく。
「おう、兄ちゃん……随分と威勢がいいようだなァ?」
「待て犬ッコロ、コイツは我らが預かる」
次に声を掛けてきたのは犬人族の男で、それに突っかかったのが鬼人族の男。
("順番待ち"とやらは高台の上までの話か……)
やはり派閥を作る場合、種族ごとに固まるのがよくよくわかる。
そういう意味で俺が真っ当についていくとするならば、同じ亜人主としての同属意識が期待できそうな鬼人族になるのだが……。
「イキがンなよ鬼野郎、少しばかり闘れそうな奴を取り込みたい気持ちはわかるがな」
「巣に戻って大人しくしてろ犬。これ以上キサマが喋っていいのは、遠吠えだけだ」
先ほどの集団と違って単独で来ているあたり、かなりの実力者なのがうかがえる。
「ほざいたな、もう吐いた言葉は飲み込めねえぞ」
「遠吠えだけだと言っただろう、所詮はケダモノが」
一触即発な空気の中で──俺はゆっくりと間に割って入った。
「まぁまぁ、俺の為に争わないで。ここはどうだろうか、勝った者が総取りするというのは」
「はあ?」
「こっちはそのつもりだ、新入りは黙ってればいい」
俺の言葉の意味を噛み砕ききれていない二人に対し、俺はさらにわかりやすく、争気を漲らせて告げる。
「負けたら軍門に下れっ言ってんだよ、この俺のな」
犬人族の男も鬼人族の男も、瞬間的な俺の威に対して反射的に攻撃してきたのは及第点と言ったところだが、同時に迂闊とも言える。
それぞれ繰り出される瞬発の拳と、膂力の拳。俺の実力を試すにはおあつらえ向きの相手。
(──"天眼")
魔力強化がない分、不完全ではあるものの……それでも基本は変わらない。全感覚を傾けて場を掌握する。
まずは左方から迫る犬人族の右ナックルを、左手でパシッとパリィングして逸らす。
続いて右方から振りかぶって殴りかかる鬼人族のパンチを、右手で真っ直ぐ受け止めて衝撃を分散させた。
(速度にも力にも、俺の素は十分通用するようだな)
『はっ──?』
犬人族と鬼人族の驚愕の声が重なったところで、俺はそれぞれ無防備な水月と、顎に一撃ずつ入れてやった。
悶絶して膝をつく犬人族と、脳震盪で尻餅をつく鬼人族よりも、俺は頭の位置を高くする。
「俺の下につく件、考えておいてくれよ」
そう言い残した俺は悠々と背を向けて歩き出す。
さすがに猛者と思しき二人を瞬殺しただけあって、それ以上絡まれることもなく遠巻きに様子を見られる。
("天眼"も疲労少なく、むしろ丁度いい按配で通用する。あとの問題は──時間か)
ある程度は余裕を持たせているが、予備階で4日も過ごすハメになるとは思っていなかった。
多少は織り込んでいたものの……猶予はそれほどあるわけではない。
「事は可及的速やかに──」
時限と外との連係を決して違えることなく、準備を万端整えて計画を実行に移すのだ。




