#277 黄昏の姫巫女 III
「本当に、幸せに暮らせているとお思いですか?」
「疑ってはいけませんよ」
穏やかではあるが真っ直ぐな黄金色の双眸と、俺の碧眼とが交差する。
宗教の是非について問うつもりはない。
歴史を顧みればその功罪は実に多岐に渡り、単純な二元論では語ることは不可能だ。
地球史における文明の発展においても宗教問題は長くついて回り続けているが……、それも大きくは文化・風俗の一態様に過ぎないのである。
しかしながら停滞あるいは衰退といった時代は、事実として確かに存在したし──それはこの世界でも例外ではない。
神王教にせよ魔王崇拝にせよ竜教団にせよその他多様な宗派にせよ。
数ある思想・文化・慣例を乗り越えて、魔術具による利便性を浸透させた"大魔技師"の苦労がいかほどだったのかは……想像するしかなかった。
「それにわたしもお役目を終えれば、神領へと迎えられる身です」
「しかし"初代神王の瞳"は、次代の姫巫女に継承されるんですよね? そうなれば──」
新たに瞳を与えられるのだろうか……? 視覚再建魔術というのも大いにそそられるが、彼女の瞳をそのまま保存しているとでも言うのか。
あるいは死した誰かの瞳を使うのか、それとも生ある者から奪うか……それがしっかりと適合するものなのだろうか。
「もし光が戻らなかったとしても、目に見えるものだけがすべてではないです。そうした苦難の中で生きる、数少なくない方々《かたがた》も巡礼し、わたしもお話をさせていただきました」
"信仰"──黄昏の姫巫女は、その存在自体が信仰の対象となるほどに崇め奉られる。
神族を相手に一番最初に接見し、この上なく歓待し、その恩寵を最も多く授かるとされるのだ。
ゆえに彼女は皇国法でも裁くことは事実上不可能な存在であり、その進退を左右できるのは神族だけであると。
使命と責任感、そして栄光を……常に傍らに置いて生きてきたのだから、彼女の考え方も無理からぬこと。
しかし──である。
「半々といったところですか」
「なにをでしょう……?」
「先ほど申し上げましたが──俺は虚言か真実かおおよそ見抜くことができる、と」
「そういえば……そう、でしたね。わたしのこともお見通しですか」
薄く自嘲的な笑みを浮かべて、フラーナは顔色をにわかに隠すようにうつむく。
「看病してもらった借りもあることですし、俺の前では本音で構わないですよ。誰かに言いふらすようなこともしませんし、益もない。
虚飾はいりません。ありのままの貴方がその胸の内を吐き出すことで、ほんの少しでも楽になるのなら……こちらも決して悪い気はしない」
「調べるだけでなく、お口も達者なようですねえ」
そう言うとかつて最初に瞳を受け継いだ少女だった頃らしい笑みを、フラーナは浮かべるのだった。
「不安がまったくないと言えば……たしかにウソになるかもしれません」
「そうでしょう、それは何恥じることのない普通のことです」
俺は宥めるようにフラーナへと語り掛ける。
(生粋のケイルヴ教徒ではある──が、立場が特殊だからこそ……その信仰心には"余地"が残っているな)
普通の信徒と違って彼女は多くを知るが、同時に真に隠したいことは知らされていないという特別な存在。
なにより彼女自身も信仰の対象であり、黄昏の姫巫女となる前は教育こそあれ一般的な人生を送っていたということ。
イアモン宗道団で長年接してきたような、本物の狂信者達とは明らかに違っていた。
「黄昏の姫巫女であるわたしが"普通"だと、グルシアさんは言い切りますか」
「世界を巡ってきた俺からすれば、少し偉いだけの女性です。だからこそ惜しい」
「……言いますね?」
「世界は広く、未知に満ち充ちている。貴方の想像が及ばないほどに」
「"未知"ですか。たしかにわたしは姫巫女となってより、この街からは出てはいませんが……」
「なる以前は?」
「放蕩していた従兄さんと違って、生家にて姫巫女となるべく……あらゆることを修める日々でした」
「では皇国からは出たこともないと」
「そうなります。ですが定期的に帰ってきてくれた従兄さんからのお土産話や、巡礼者の方々からお聞きすることは数多くありましたが……」
「自らの足で巡ってみたいと思いませんでしたか?」
「それは……夢みたいなお話ですけど、立場がそれを許しません」
「なら俺が"魔力色"を自在に観られるようになったら、お役目を少しばかり代わりましょうかね」
「ふふっ、見られるようになってもさすがにそれはムリですよ」
俺の冗談めかした物言いに、自然とこぼれでるフラーナの心からの笑顔。
常に姫巫女の立場として、信徒達へと見せる表情とは明らかに違うであろう素のままの姿。
「黄昏の姫巫女は当代唯一の存在であり、他に代わりなど用意することなどできません」
「なら俺が次代の姫巫女になってしまったらどうです?」
人族であるフラーナが生涯を終えるまで瞳はそのままにできる。そして俺は途中でバックレてしまえば済む。
「お気持ちは嬉しいですけれど……」
「ふむ。やはり家柄がなってないと駄目か──それともハーフエルフだから無理ですかね」
皇国は王国と同程度か、その次に差別が激しい国家であり、種族優位性が法によって定められている。
「えぇ一応は。人族が代々担ってきていますし」
最上位はもちろん"神族"であり、絶対の存在。
次に神族の血を引く種族──すなわち神族の寵愛を受けて交わり、新たに生を受けた半神族の子は生まれながらに祝福される。
「一応は半分は人族なんですが……せめてハイエルフだったら違いましたかね」
「神族が判断することですけれど、適性の問題もあるのだと思います。人族は"枯渇"によって生まれた種族ですから」
そして神族が魔力の枯渇現象に見舞われて分化し、同じ姿を持つ"人族"が人口を含めてヒエラルキー中層から上位の多くを占める。
次いで普通のエルフやドワーフといった"亜人"種がいて、"獣人"種がそれに続く形となる。
現存する神族と神王を崇拝する結果として、自らの姿にも重きを置くという宗教形態。
(枯渇……そして暴走)
魔力の暴走によって異形化した"魔族"は、皇国において最底辺の位置となる。
血を引いているのが明らかなだけでも、皇国内では様々なトラブルを呼び込んでしまうほどに。
それは神族の姿からも遠いだけでなく、過去に神族と大いに争った歴史があるということ。
さらに全盛期の心ない魔族が大陸を席捲した"暗黒時代"と、今なお魔領前線で戦い続けている遺恨が根深いのである。
(魔術を生み出したのが初代魔王という真実も、皇国では"神族が使いやすい形で人族に与えた"と伝えられている──)
国宝とされているであろう"魔法具"も、実はグラーフが魔王に協力を依頼して作られたモノだと知ったら……。
真なる歴史を知る数少ないであろう人間としては、大いに皮肉めいた心地にさせられる。
(ん……?)
ふと近付いてくる気配に、俺の半長耳がピクリと動く。
聴覚へと意識を傾けると……扉を順繰りに開ける音が聞こえてきた。
「どうかしましたか? ベイリルさん」
「いえ……誰かが端から順番に、部屋の中を探しているみたいです」
そう言って俺は扉の方へと目を向けると、フラーナもつられて同じ方向を見つめる。
さしあたって後ろ暗いこともないので、逃げ隠れする必要もなくドッシリと構える。
「あぁ! それはもしかしたら──」
フラーナは何か思い当たったのかその場で立ち上がったところで──ノックなしに開かれたドアから、騎士装束に身を包んだ男が現れる。
「っと……おう、いたいた。すぐに護衛を振り切るんじゃねぇよ、フラーナ──って?」
続いて目が合った男と俺は、互いに同じ疑問符を浮かべるのであった。




