#267 薄暮の難題 I
もうすぐ日も暮れ始めようという頃。俺はインメル市にある、元インメル領主屋敷の廊下を進み行く。
「──それで……いい加減教えてくれないかな、ベイリル。私は一体どこに連れてかれてるのかな?」
「もうすぐだよ、"ジェーン"姉さん」
隣に並び立って歩いているのは、青い髪をポニーテールに結い上げ、銀色の瞳を持つ姉であった。
ちょうどインメル市で"結唱会"と他の子らを教えていたこともあり、相談役として付き添ってもらうことにしたのである。
「もう……ベイリルが私を姉呼びする時って、だいたいロクなことじゃないんだぁ」
「いやいや、それはまっこと心外だ。ちょっと皇国にいた時の、お知恵と経験を拝借したいだけさ」
「そうなの? それなら役に立てるといいんだけど」
俺とジェーンは待ち合わせていた応接室の前に立ち、ノックをしてから扉を開く。
部屋には先んじて待っていたテューレと、かつて伸ばしていた金髪を肩くらいまで短くしたパラスがいた。
俺はピッと右手を上げて、柔和な調子で早々に挨拶する。
「やっ、パラス久しぶり」
「お久し振りです、このたびはわたくしの為にご足労いただき──」
「堅苦しいのはいいよ、知らない仲じゃない。調子狂うし」
「……まったく、ヘリオさんほどではないにせよ。あなたも相変わらずですわね、ベイリルさん」
学園の同季生である以上は、俺としても敬語も遠慮も一切ない。
交渉における公私のメリハリは必要なものの、少なくとも今この場では不要だと判断した。
「ジェーンさんもお久し振りですわ」
「こちらこそお久し振りです、パラスさん。それとテューレさんもこんにちは」
「はーい、どうもですー」
お互いに挨拶が済んだところで、俺はパラスの対面に座る。
その両サイドにジェーンとテューレが座り、雀卓ではないが四人でテーブルを囲う形となった。
「手紙では仔細を隠されていて要領を得なかったが、助けて欲しいってのは……カドマイアに関することでいいんだよな?」
「もしも漏洩などをしたら困りますので、名は伏せておきましたが……読み取っていただけましたか」
「そりゃまぁ……改まったこの場にいないことを考えても、な」
パラスの従者として、学園内でもよくよく付き従っていた青年がいない。
彼女一人では他に頼れるものがなく、助けを求めてきたことは想像に難くなかった。
「ちなみに個人的友人として多少の融通は利かせられるが、事と次第によってはパラスにも財団員になってもらう必要があるが?」
「構いませんわ。もはやわたくしのチンケなプライドにこだわっている状況ではありませんから」
「……よっぽど切羽詰まっているとみえる」
「カドマイアが"神族殺し"の廉で捕まったのです、当然ですわ」
あっさりと言われたその言葉に、俺とジェーンとテューレは揃って顔をしかめる。
「ご存知の通り、皇国において神族という存在は代え難きもの。当然ながら極刑に値する罪です」
「そいつはまた……実際にカドマイアが殺ったのか?」
「そうであれば助けを乞うような真似はいたしませんわ。起こした責任と向き合うのは、貴族として最低限の責務の一つです」
かつて学園生だった頃の世間知らずのお嬢様といった風な表情は、今の彼女には微塵にもなかった。
「冤罪だからこそ、財団を頼ったと。とりあえず身柄を救出して亡命してもらうだけいいのか、それとも潔白であると世間に晴らす必要があるものか?」
「可能であれば晴らしてもらいたいですが……難しいのであれば命を助けてもらえるだけで構いません」
「従者といえど友人であり家族──あるいは、カドマイアに対して色恋の感情もあるか?」
俺の言葉にパラスは一瞬だけキョトンとしてから、ゆっくりと落ち着いた表情で真実を口にする。
「わたくしとカドマイアは"異母姉弟"ですので。そういった浮わついたような関係性はありませんわ」
『えっ──』
学園生時代を知る俺とジェーンだけが、揃って驚愕の声を漏らす。
「わたくしとしたことが失念していましたわ。助けを求めるのですから、まずはすべてをお話しすることが礼儀と誠意ですわね」
「……あぁ、頼む」
俺は多少動揺を隠せないながらも、冷静を努めてお願いする。
妥協点を見出し、折衷案を打ち出す為にも、まずは情報を場に並べなくてはならない。
「わたくしの生まれた家は、皇国貴族の"アーティナ"家。格はそうでもないんですが、"黄昏の姫巫女"を輩出する家柄でしたの」
「黄昏の姫巫女──神領と唯一のパイプを持つ、皇国北端にある"黄昏の都市"の首長だったよな?」
そう言って俺は、三人の内の誰であっても補足してくれないかと疑問符を付けて話の続きを振る。
「権威だけなら、教皇と同位とも見られるくらい偉い人ね。今は"フラーナ"さんって方が重責を担っていたかな」
「さすがにジェーンでも会ったことはないか」
「巡礼者ならお姿を見るくらいはできるけど……私はないよ」
「外界からのアクセスを完全遮断してる神領から、人領へ往来する際は必ず通るようになっている都市ですねー。
交易なんかもすべて黄昏の都市内だけで済まされていて、神領との交渉事は漏れなく"黄昏の姫巫女"を介さないと成り立たないそうですー」
テューレの説明を聞き、俺はカルト教団にいた頃に習った記憶を徐々に思い出していく。
セイマールの教育と教団の洗礼を終えた暁には、俺達はディアマ派の急先鋒として皇国に潜入する予定だった。
それだけに皇国に関する知識は、他の国のことよりも重点的に教え込まれていた。
「一般的な皇国人にとって、神族も崇拝対象なので当然ですわね。それゆえに"黄昏の姫巫女"本人も信仰の対象となるのですわ」
「へぇ~……」
──と、俺はパラスで姫巫女姿を想像をしてみるも、いまいちピンときてないことを見抜かれる。
「えぇえぇ、わたくしには向いてませんでしたわ。ですからカドマイアが候補だったんですの」
「姫巫女なのに男でもなれるのか?」
「なれますわ。たしかに当代のフラーナさまも含めて、歴代でも女性が多いですが……男の方も過去に何人かいらっしゃいます。
あくまで一番最初の姫巫女さまへの、敬意による名称が受け継がれているだけのもの。性別よりも重要視されるのは、能力なのですわ」
「能力……ねぇ、具体的に何かあるのか?」
「あらゆるものが審査されます。顔の美醜・頭脳・肉体・健康・声・社交性・立ち居振る舞い・そして──魔力に関してはあまり恵まれませんでしたので、最終的な候補はカドマイアになりましたわ」
「カドマイアが従者を装って、血縁であることを隠していたのはつまり……」
「念には念を──ということです。それに学園生でいる間は、せめて自由に生きてもらいたいと……わたくしから提案しました」
「つまり可能性は低くとも、狙われる立場にあったわけか」
「おかげさまで、学園では平穏無事に充実した生活を送ることができましたわ」
フリーマギエンスの活動が生徒全員の学園生活に、多大な影響を及ぼした事は言うまでもなく。
カドマイアはリードギターとして、ヘリオらとロックバンドを演ってエンジョイしていた一面もある。
「あのーパラスさん、ちょーっといいです?」
「なんでしょうか、テューレさんでしたわね」
「アーティナ家って断絶したと聞いてたんですけどー?」
「えぇ、57年ほど前に没落しましたが……一族総出で尽力し続けました。そしてこのたび、お家復興を認められたんですのよ」
「なるほどー、情報を更新しておきますー」
「……更新する必要ないかも知れんがな」
「ちょっ──ベイリル」
反射的に発した、場を和ますにはあまりに無体な言葉をジェーンに突っ込まれてしまう。
「いえいえー、今回のことでまた没落したとしても、一度復興してすぐ没落したという過程も大事ですからー」
冷静にそう言い切ったテューレはピッピッと、小気味よくメモ帳に書き記していく。
「っ──ま、まぁ事実ですし? 助けてもらう立場ですので、甘んじて受け入れますわ。ただしジェーンさんだけが気を遣ってくれたことだけは忘れません」
「いえ、私はそんな……」
「くっはは、ポロっと出ちゃってすまんスマン。あるいは容疑も晴らせるかも知れんから、話の続きを頼む」
「えぇ、それでは。"黄昏の姫巫女"の任期はおよそ20年ほど。代々輩出するのは合計で5つの家のいずれかからでして、特別な爵位を与えられた貴族なんですの」
「名実共に家名を名乗れるようになった……矢先に候補が捕まった、と。他の対抗貴族に陥れられたとか?」
「可能性が一番高いのは、そうなりますわね。わたくしたちも他家を警戒して、連邦の学園まで通っていたくらいですので」
候補者潰しと考えれば、動機には十分だろう。
最初の没落にしても……同じ理由で追い落とされたのだとしたらなおさらである。
「復興したばかりで既に廃絶の危機……しかも今回ばかりは、もう二度と貴族には戻れぬほどの罪となりますわ」
ゆっくりと目を瞑り、今度は自分自身で噛み締めるように吐き出したパラス。
カドマイアと共に幼少期から育てられてきただろう、その無念を俺は慮ることはできなかった。




