#244 白色の輝跡 IV
「案内? ……っとですね、断絶壁街に誘導するんですか? 黒竜を?」
「うん、そりゃぁもちろんねぇ。だって"大地の愛娘"がいるのはココだし」
(オーケィ頭は冷静に、ベイリル)
スーッと深呼吸しつつ、一息で呼吸と脳内を整え終える。そんな様子にイシュトは釘を刺すように言う。
「止めても無駄だよ~、だからこうしてお別れを告げにきたんだから。話が長くなったけど、みんな連れて逃げてってことね!」
「──いえむしろ手伝いますよ」
「えっ? う~ん……ベイリルちゃんたちになんか利益ある? むしろ不利益しかないと思うんだけど」
ここには開発拠点があり、リスクは考えねばならないものの……最も大事なのは"人"であり、そこに関しては退避させればどうとでもなる。
「イシュトさんにはお世話になりましたし、報酬代わりでは不足ですか?」
「わたしに報酬くれるなら、その分はアッシュに使ったげて。正直なところ誘導するだけでも、わたしもそこそこ命懸けになるかもしんないからさ」
それこそがイシュトが浮かべていた決意の瞳の真実。
アッシュと過ごすことよりも、黒竜に安らぎを与えてやることが彼女の望み。
ただ不老という時の中に生きる彼女に対し、俺はどうしても先んじて尋ねておく必要があった。
「ところで……時を急ぐ必要はありますか?」
「ん? それはつまり──アッシュが成長するまで、ってことかな」
「それもあります。やっぱり産みだけでなく、育ての母ともなるべきです」
「そーだねぇ、もう少しっだけ突っ込んだ話をしよっか」
真剣味と郷愁とが渦巻くように交じり合う表情で、イシュトは語り出す。
「まず最初に言っておくと、純血種に"性別は無い"んだ。完全な生命ゆえに繁殖の必要がなかったからね。
今いる飛竜らは、わたしたちに似てるけど実際にはまったく別の種族って言っていいくらいに違うんだよ」
(初めて聞いたな……)
眷属竜には性別があり、実際に赤竜に連なる火竜は繁殖によって増える。
しかし太古の時代に強大な力を持っていた竜種はそうでなかったという。
「そして"人化の秘法"を得たのはね──たった七人だった」
「……それがつまり、"七色竜"」
「そう、この世界に七柱だけ残ったのさ」
俺は竜が忽然と消えた謎について聞こうと思ったが、すんでのところで呑み込む。
今はイシュトの話に差し挟んで、話題を逸らすべきではないと。
「わたしたちは人間に憧れて"人化の秘法"を得た。それで……人に成れたからこそ──試してみたんだ」
「繁殖を……ですか、その相手が黒竜だったんですね」
「それ以前に恋や愛について、わたしが知りたかったのもある。黒とはお互いに認め合っていたし、おあつらえ向きに男女に分かれたからまずは想い合うことからはじめた。
ただそうなると不思議なもので、七柱でわたしたちだけが……身も心も愛することにのめり込むように焦がれちゃってさ。それで子供も欲しくなったというわけ」
灰竜アッシュが人と成った竜同士の……"実験的なもの"でなく。
しっかりと愛し合う両親から生まれたというのは、大いに祝福すべきものであろう。
「結果は知ってのとおり、産まれたけど生まれなかった……。黒が狂いだしたのも、その所為かも」
デリケートな話題に俺は口をつぐんで、イシュトの続く言葉を待つ。
「黒はね、あの日からずっと苦しみ続けてる。だから……救ってあげたいの」
「正気には戻せないのですか? 今はアッシュもいるわけですし」
「ムリ! そういう域はとっくの昔に超えてるの。できるのは安らかに眠らせてあげることだけ」
俺は頭の中で、財団や保有するテクノロジーで取れるべき方策を考えてみる。
「財団には"読心の魔導師"もいますが、それでも?」
「シールフちゃんのこと?」
「ご存知でしたか」
「彼女がアイトエルと一緒にいた頃に少しだけ会ったことあるからねぇ」
ひたすらに魔力を循環貯留したフラウが重力魔術で抑え込み、ゲイルの金糸でさらに縫い付け止める。
纏う闇黒を総出の魔術で強引に打ち払ったところで、シールフが深層心理に働きかける。
パッと思いついた程度の策で、もっと詰めていくのは必須だが……何かしらの策を講じてみるだけの価値はあるように思う。
「途中で現象化の秘法を使われて、"闇黒化"でもされたらシールフちゃんは即死だよ?」
「っ……そればっかりは、対処しようもないですね」
「第一に取り戻せる正気が残ってるかもわからないし、わたしのワガママでみんなを危険に晒せないよ」
(致し方ない、か)
仮にどうにかこうにか打つ手があったとしても、黒竜という準極大災害ともなればあまりにもリスクが大きい。
黒竜を救って得られるリターンよりも、シールフやオーラムを失うほうが遥かに痛手となる。
「でも……ありがと。救おうとしてくれるその気持ちは嬉しいよ」
「いえ、打算的なものですよ。白竜と黒竜が仲間になってくれるなら、と」
「フフンッ、じゃあそういうことにしといてあげる」
イシュトはにっこりと笑ったまま、軽い調子で本音を吐露する。
「本当はね、たしかにもうちょっとだけ財団で謳歌しても良かったんだ……わたしたちの寿命からすれば、大した時間じゃない。
ただ、ねぇ……大した時間じゃないってことは、逆に言うとすぐに過ぎ去っちゃうってことでもあるんだ。
人の一生は短いし、どんな人も死んじゃう時はあっけなく死んじゃう。例外は──アイトエルだけだったね」
光陰矢の如し──この地上でもっとも長く生きた7柱の一人からすれば、振り返るに……本当にあっという間に思えるのかも知れない。
「"大地の愛娘"が生きている間でないと、ってことですか」
「"あれ"を殺せるのは誰にも不可能だろうけどね。それでも"この世に絶対はない"ってことは、わたし自身よくよく経験済みだもの。
機会が目の前にあるなら、後回しにしてこれ以上苦しめたくない。わたしだけがアッシュと財団で楽しく過ごすのも心苦しいしね」
「察して余りあります、イシュトさん」
「ありがと、ベイリルちゃん。まっ他の誰でもなくわたしが選んだ竜、誰よりもわたしが愛した竜だから……さ」
(懸ける想いは重々理解した。たとえ己の命を賭してでもという感情も──)
死をもって救済することも、また……十分に理解できる。
死ぬこともできずに苦痛を味わわされることなど、まったくもって想像したくない。
だからこそイシュトが身命を擲つ覚悟でもって、黒竜を"大地の愛娘"の前まで誘導しようという気持ちも尊重したい。
(ただそれを"必要な犠牲"にする必要はない)
排他でないのだから片一方を捨てる意味はない、両方選べば済むことなのだ。
「イシュトさん──これでも少し前に、財団で魔獣"メキリヴナ"を討伐しています」
ほとんどゲイル・オーラムの仕事ではあるが、建前上はそうなっている。
「んっんーつまり?」
「俺を含めて、戦力になる人間は多い。黒竜の死は免れないとしても、手伝えることはあるかと思います」
「さっきも言ったけど、そんなことをしても財団に利益はないよ?」
「他ならぬイシュトさんを死なせずに済みます。それに直接手を下すのは"大地の愛娘"となっても、支援したという事実は財団の宣伝になる」
「ふ~ん……ベイリルちゃんもイロイロ考えてるんだねぇ、抜け目ない。……でもオススメはしないかなぁ」
「その心は?」
「黒竜はそこらの魔獣とは比較にもならないし、瘴気にあてられれば同士討ちになるよ」
「ぬ、むぅ……──」
「後に神族と名乗ったヒトらも、当時はかなーり苦しめられてたし。黒はあの時代よりもヤバくなってる」
「……そんなことを聞いたら余計に、イシュトさん一人にやらせるのは憚られるのですが」
「大丈夫だよ。わたしだって同じ竜だもん、本気出せばなんとか、ね」
(声色からすると……いまいち分が悪そうな感じだな)
「ちなみに、黒竜が大空隙から出てきた場合、皇国への影響はいかほどに?」
「知らない」
「っえぇ……」
「瘴気漏れも多少は仕方ないよ、どうせ遅かれ早かれだもん。それに周辺は誰もいないから、少しくらいなら大丈夫だいじょーぶ」
皇国がどうなろうとも知ったことではないといった楽観視に、俺は覚悟を決めて申し出る。
「了解しました、それなら俺だけでも手伝いますよ」
「ベイリルちゃん、諦めないねぇ。でもそもそも魔術が効かないよ? 近付いて正気を失ったら責任持てないよ?」
「まぁまぁやり方は色々とあるので。それに精神に作用するものとは言っても、物理的な接触しなければいいんですよね?」
「そうだねぇ、触れたり吸い込んだり。でも常人なら見てるだけでも危ないって聞くよ」
「であれば問題ないです。今や常人には程遠く、離れたところから火力支援するのも得意分野ですんで」
俺の"六重風皮膜"は多少の放射線すら受け流すし、呼吸も固化空気層をボンベ代わりにできる。
単純な火力に関しても、既に世界でも有数クラスであるという自負がある。
「それに万が一の時に、"大地の愛娘"を呼べるのは俺だけですよ」
「……うん?」
イシュトは首を傾け、純粋な疑問符をぶつけてくる。
「彼女があの時、あの場に、姿を見せたのは──俺が"とある音"を出してうるさくしたからなので」
超音波によるソナーについて説明しだすと長くなるので、とりあえず割愛して俺は話す。
「そうだったんだ?」
「えぇ、まぁ同じことをもう一回やったら……平謝りしなくちゃいけないですけどね」
さすがに二度目だからって問答無用で攻撃されて殺されることはないと信じたい。
「まぁまぁ任せてくださいよ、イシュトさん。何かしらの役には立つ男ですよ、俺は」
「しょうがないなぁもう、そこまで食い下がるなら協力してもらおっか。もう吐いた言葉を飲み込めないぜ、ベイリルちゃん」
ニッと笑うイシュトに、俺も不敵な表情で返すのだった。




