#237 偉人 I
財団支部のソファーにて、ぐっすりと眠り続けた明くる朝──
俺は近付いてくる気配に上体をすぐに起こしつつ、その後は緩慢とした動作で立ち上がる。
「やっほぉ~!」
「クァァアア!」
「……おはようございます、イシュトさんにアッシュ」
純白の長髪が陽光で煌めくイシュトは、灰竜アッシュを肩に巻き付けこちらを覗き込んでくる。
「あらら、その顔を見るにもしかして寝てた?」
「いえいえ、丁度良く起きたとこなんで大丈夫ですよ」
俺が支部の部屋を勝手に使って寝ていただけだし、ノックを強制する謂れもない。
それに彼女の遠慮のなさは、もはや美徳とも言っていいほどにお互いの距離感を親密に縮めてくる。
「ごめんねぇ、クロアーネちゃんからココにいるって聞いたからさ」
「なるほどそれは……彼女に使われましたね」
「ふっふふ~わたしたちは目覚まし役かぁ。でもアッシュと散歩から帰ってきても、まだ寝てたとは……よっぽとお疲れ?」
俺は覚醒しつつある脳内で、ここ数日間を振り返る。
アーセンを殺してヤナギ達を救ってから、出ずっぱりで動き回っていた。
とはいえ一分の隙くらいで積み上げ続けたハーフエルフの肉体は、無理が利くだけでなく回復だって早い。
「もう十二分に休めたから大丈夫ですよ。陽の位置と体内時計から察するに、昼にはまだ少しありますか」
「そーだね、みんなで朝食を摂ってぇ……リーティアちゃんたちは仕事場に行ったよ」
「熱心だなぁあいつらも。リーティアも暴れたばっかだろうに」
熱意があるのは大変よろしく、問題は存分に注ぐだけの場所を提供できているのだろうかということ。
(せっかくだし助けた子供たちを連れて……)
冷やかし──もとい、財団の最先端を邁進する現場を未来への投資の為の見学にでも行こうかと。
「ところでイシュトさんも改めて、制圧協力ありがとうございました」
「フフンッいいってことよ~」
「本当に助かりました。ああも急激に事態が動いた以上は、他所から応援を呼ぶ暇もなかったんで」
三組織の数だけ、危なげない強者が3人必要だった。クロアーネやティータも弱くはないが、不測に際して不安要素が残る。
「せっかく財団に入れてもらったんだもん。少しくらいお仕事しないと」
(地頭も良いし、なんのかんの何事もそつなくこなす。どんな経緯を歩んできたんだか……謎の多い人だ)
いずれにせよ優秀な人材というものは、いくらいたって構わない。"文明回華"は遠く険しい道のりである。
過去は不明だが少なくとも現時点での彼女の持ち得る資質は善性であり、頼りがいのある強度を備えている。
「しかしまぁ……アッシュもよくよく懐いてますね、イシュトさん」
「ん? そだね~。なんか合うのかもねぇ、ね~?」
「キュゥゥァアアッ!!」
イシュトの言葉にアッシュは元気一杯に嘶いて、その頬を触れさせ合う。
元々好奇心旺盛な灰竜ではあるが、気付けば俺やクロアーネやヤナギとでなく……イシュトと一緒にいることが多い。
「ねっねっベイリルちゃん」
「はい? あーそういえばなんか用事あったから来たんですかね」
「うんうん、ベイリルちゃんってまだしばらく滞在するんだよね?」
「そのつもりですね、ロスタンと組織周りの様子を見ておく必要もありますし」
"血文字"についても、最低限の警戒はしておかなければならない。
「わたしは当分仕事なし?」
「そうですね、特にわずらわせる事案はしばらく無いかと。まぁよろしければですが、クロアーネに料理でも教えてやって頂ければ」
「んー? そっかぁ──うん、料理ねぇなるほどソレもおもしろいかもね」
「……?」
「な~んでも、ないっ、よ!」
なんとなく思わせぶりな違和感に、俺は疑問符を浮かべながら首をかしげる。
しかしてイシュトはどこ吹く風といった様子で部屋から出て行き、アッシュもそれに続くのであった。
◇
「遅い寝起きですね、ベイリル」
「おはよう、クロアーネ」
階下へ降りると、クロアーネが"星典"を片手に……子供達に教育をしている凛々しい姿があった。
それとなく促したことをキッチリやってくれているあたり、実のところ面倒見が非常に良い。
「朝食は保存棚に入れてあります。昼は各自で」
「んん~さっすが。ありがとう、愛してるよクロアーネ」
「はいはい。食器は自分で洗うこと」
「……了解」
感謝と好意をあっさりとあしらわれた俺は、いそいそと保存庫へと足を運ぶ。
棚の扉を開けると──閉じ込められていた香りが鼻腔の奥まで刺激し、脳内が完全に目覚める。
こちらの疲労を思いやってか、スタミナ料理な気配りが本当にグッとくるというものだった。
(なんか食べる量まで既に把握され、計算されている気がするな……)
そんなことを思いながら食べ終えて、水と風による洗浄・乾燥させて後。
もはや孤児院と化した部屋へと戻ると、ちょうど休憩時間なのかめいめいに子供らは遊び回っている。
星典を読みつつも逐一、鋭い監視と暖かい見守りとが入り混じった眼差しを向けているクロアーネ。
そんな彼女の隣に俺は立って、"親しいと思いたい仲"にもあるべきお礼を述べる。
「ごちそうさま」
「……えぇ、感謝は大切です」
パタンッと小冊子を閉じたクロアーネは、こちらへと視線を合わせてくる。
「──ですから、ベイリルには感謝しています」
「うん?」
「先ほどイシュトさまに調理を教わる約束をしていただきました。口利きをしたのは貴方でしょう」
「あぁ、そのこと。まっ美味しい料理を食べる為ならばってやつよ」
「……そういうことにしておきます」
フッとわずかな笑みを浮かべたクロアーネに、俺の鼓動がわずかに跳ねる。
(モーガニト領主屋敷じゃ、それなりに淫蕩な生活を送っていたというのに……)
なんで今さらこんな純情少年みたいな反応をしてしまうのか、自分でも不思議なものだった。
「ところでヤナギは?」
「リーティアが連れていきました」
「なるほど。新しくできた妹分を可愛がらずにはいられないか」
プラタを見るに、色々な人から教わり、また師匠に持つことは良い影響になるだろう。
「しかしなんだなクロアーネ、随分と教育にも板がついてきてないかね」
「……何事も、慣れと効率化です。それに──」
「それに?」
「その、なんというか……そんなに嫌いではない、と言いますか」
クロアーネの心に芽生えた感情に、戸惑っている様子が声色から感じ取れた。
「保育が? 教師が? いやこの際は子供そのものが、か」
「そう……でしょうね。最初こそ面倒だと思いましたが、自分の中の技術を揮うことができるのが存外──」
「性に合っちゃったかー」
「茶化されるのは嫌いです」
得物こそないものの、射殺すような眼光でもって俺を睨みつけてくるクロアーネ。
「いやいや、気持ちはよくわかるってなもんよ。なにせ俺も経験者だからな、それまでの自分じゃ考えられなかった」
フラウとは幼少期を共に学んでいった印象だが、ジェーンとヘリオとリーティアに対しては間違いなく子育てであった。
カルトであるイアモン宗道団の教義に洗脳されないよう、あの手この手で立ち回った。
(そうしないと新たな人生が終わるって一面もあったが……)
やはり前世から通じて、それまでになかった喜びを見出していたのは間違いない。
裏表のない素直な子供は時に、自らを映し出す鏡合わせのようでいて──
打てば、打った分以上に響いて……そうして返ってくる反応は、予想できないことも少なくなくあった。
「普段の日々と違う新鮮さは大切だし、教えることでまた教わることもある」
「否定はしません。自分を偽ることほど、無為なことはありませんから」
「実感の込められたお言葉で。まぁ場合によっては己自身を騙すことの必要性も、一考の余地アリだと思うがね」
「隠し事が多い人間らしい答えです」
「相変わらず辛辣だな。ところで"俺への想い"を偽ったりは──」
「していませんね」
いつもどおりバッサリと斬られた俺は慣れたように肩をすくめる。もう少し時間は掛かるだろうが、感触は悪くない。
俺は窓の方へ歩いていき、開けて足を掛ける。
「んじゃ俺は"工房"の方へ行ってくる、夕食は楽しみにしていいかな?」
「さぁどうでしょうか、イシュト様次第ですね」
俺はほのかな期待を胸の内にしまって、そのまま窓から空中へと躍り出た。




