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#230 血文字 I


「やっぱついてこなきゃよかった」

「今さら言うなよ、ゼノ」


 交渉にあたってリウ組の構成員の1人に壁内部を案内されながら、俺とゼノとクロアーネはテンポを崩さず狭い通路を歩く。

 一方通行の"遮音風壁"を一枚張っているので、こちらの声はリウ組員には聞こえない。


 結果的に"大地の愛娘"ルルーテの介入によって、いまいち交渉する必要もなくなっているのは事実。

 しかし既にセッティングした交渉の場を無下(むげ)に断っても禍根(かこん)を残す。


 特にアーセン・ネットワークおよび、壁内街のパワーバランスを考えれば話をしておいた(ほう)が良いという判断。



「だっておま……絶対荒れんじゃん」

「最悪の場合、戦闘になることも覚悟する必要はあるでしょうね」


 クロアーネの淡々とした一言に、ゼノの顔色がより一層曇る。


「俺もクロアーネも、ああいった手合(てあい)を相手にすると割と血の気が多い(ほう)なんでな。暴れたらすまん」


 ヤクザもんな上に交渉が失敗しても良くなった。さらに武力で制圧することも可能な前提がある以上、譲歩する必要は一切ないだろう。


「とりあえずは交渉にあたって、冷静なストッパーが欲しいところだし」

「世話を焼かされるのは、うちの問題児二人(リーティアとティータ)だけにしてもらいたいもんなのによぉ」


 直接交渉として俺達3人が出向き、イシュトを迎撃護衛としてリーティア達と保護した子供らには支部にいてもらっている。



「せめておれだけは完全武装をだな……」

「あくまで最初は交渉の場──戦争しにきました、と喧伝(けんでん)するような格好は論外です」

「なぁに、そう案じなくても荒れた時は守ってやるさ。ゼノも、もちろんクロアーネもな」


 特にソーファミリーの"混濁"のマトヴェイと、ケンスゥ会の黒豹兄弟を削ってしまった。

 それらがどう影響していくのか、組織間の均衡が崩れていれば即座に抗争状態にもなりかねない。


「あぁ~くそっ……予定通りにいく、なんてことは人生で少ないが──はっきり言ってどう(ころ)ぶのか読みにくすぎる」

「そういうことは財団に所属している時点で、ゼノも諦めることですね」


 シップスクラーク財団として、いざ(こと)が起こった際にどう動くかということ。

 様々な要素を含め(かんが)みる為にも、交渉の場にて情報を収集しておくべきなのは確かであった。



「くっははは、まぁまぁ俺はお前のそういう常識人的感覚は美徳だと思っているぞ」

「うるせー、ベイリル。皮肉にしか聞こえんって」

「正直天才って皆どこか浮世離れしたのばっかだが、お前は普通で助かるよ」

「おまえだって非常識なんだからな」


「そうか……?」

『そうだって(ですね)


 俺の疑問にゼノにもクロアーネにも間髪入れずにハモられてしまうと、正直ぐうの()も出なかった。

 少なくとも"五英傑"の埒外(らちがい)さに比べれば、俺など茶目っ気で済むレベルだと思っているのだが。



「着いたぞ、粗相がないようにしろ」

「もちろんです」


 話しているといつの間にか到着していたようで、何の変哲も見られない扉の前で俺は"遮音風壁"を解いてそう答えた。

 組員はコンコンッと何度かノックをしている(あいだ)に、クロアーネが眉をひそめているのに気付く。


「どうした?」

「いえ、少し血の匂い(・・・・)が……ただ場所が場所ですから珍しくも──」


 猟犬の嗅覚を持つクロアーネの言葉は途中で止まり、強化感覚を備えた俺のみならず……。

 ゼノでもわかるほどの濃密な血の匂いが、開け放たれた扉から一気に流れ込んできた。


「なっこれは……!? っぅおぉおッ──!」


 俺は驚愕に歪むリウ組員に叫ばれるよりも先に、その首を押さえ込みながら部屋の中に放り込んだ。

 今この状況で他の構成員(なかま)を呼ばれたら厄介極まりない──とかいうレベルの話ですらなくなってしまうと踏んだからだ。


 クロアーネも即座に状況を理解したのか、ゼノを部屋に引っ張り込んで中に入ると、そのまま扉を閉める。



 赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤──

 部屋中が無造作に(あか)く染まり、眩暈(めまい)がするほどの血の匂いがぶち撒けられている。


 中にいる10人ほどの構成員と思われる者達が、全員が血まみれになって死んでいるのはもはや疑いようがない。


「おい、どういうことだ。答えろ」

「わ……わからねぇ……組長……あぁ、そんな……ウーラカさんまで」


 リウ組員は死体を確認しながら現実を受け入れ、絶望の表情を浮かべる。


「終わりだ……オレたちは終わり……ソーファミリーの仕業か? くそっ皆殺しにされる──」


 俺はクロアーネにアイコンタクトをして(うなず)くと、彼女はスッと目をつぶりながら首肯(しゅこう)する。

 すると彼女は組員の(そば)に立って外に聞き耳を立てるよう警戒し始め、俺は以心伝心できたのがちょっとだけ嬉しい一方で部屋内を観察する。



「一部の血は(かわ)き始めてるが、時間としてはまだそう経ってない感じだ……」


 そんな俺よりも先に、ゼノの目が技術者としてのそれになっていて……恐れることなく検分をし始めていた。


「確かに全員死んではいるが、まだわずかに体温が残っているのが散見されるな……」

「触ってないのに体温なんかわかるのかよ」

「強化視力のちょっとした応用だ──それに匂いだけじゃなく空気も濃い(・・・・・)

「空気?」

「蒸発分だとか、あとはまぁ色々……俺の感覚的なもんだが。しかしなんだな、荒らされた様子がほとんどない。

 多少の抵抗の後は見られるが、ほとんどすぐに()られている。一体どんな方法を使ったら──ん?」



「どうした、ベイリル」


 俺は組長と思しきもたれかかった死体の横に"血の紋様"を見つけて、ゼノも同様に覗き込む。

 それは死に際の書き残し(ダイイングメッセージ)ではなく、殺した人物が書き残したものと見られた。


 ともすると記憶の中に収納していた情報が、俺の中で浮かび上がってくる。


「たしか国を問わず出没する……あらゆる(ちまた)で噂の殺人鬼──"血文字(ブラッドサイン)"か」


 その人物は老若男女……有象無象の区別なく人を殺し、解読不能な文字を残して去るという。

 犯人像は動機を含めて一切(いっさい)の不明であり、ただ風聞のみが先行する恐るべきシリアルキラー。


 一体何の為に──あるいは理由などないのかも知れないが、リウ組の幹部10人をほぼほぼ無抵抗で殺しているっぽいヤバさは極めつけである。



「"渇きは血によって教えられる"」

「……ゼノ?」

「"平和は殺されることにより"」

「おい、読めるのか?」


 そう俺が(たず)ねると、ゼノの動悸(どうき)が少しばかり早まるのを感じる。


「えっ──あぁ、まあその……つい」


 煮え切らない態度に俺はもう一度、ゼノが読んだ血文字を見つめる。

 噂では残した血文字は意味不明という話だったが、ゼノはあっさりと読んでみせたのだ。


(もちろん共通語じゃない……いや、これは──)


 よくよく見れば、また記憶の中から新たに……そして懐かしい閃きのようにピンッときてしまった。

 血の(したた)りで字そのものが崩れてはいるが……しかして見覚えのある筆記体(・・・)、"アルファベット"(つづ)り。



「"Thirst is taught by blood"」


 俺は自然とネイティブ(それ)っぽく音読してしまっていた。異世界の言語ではなく"地球"──英語(・・)の発音で。


「"Peace, by its kills told"」

「……ベイリル?」



 俺の中で一挙に疑問が、あれもこれもと湧き上がってくる。

 "血文字(ブラッドサイン)"は英語を知って、書き残している。しかしまず冷静に、真に迫ってゼノへと問い掛けた。


「なぁゼノ、なんでお前これ読めたんだ?」

「えっ、いやそれは……待て待て、ベイリルおまえこそ今の──」


 (まぎ)れもなく英語の筆記体によって綴られた血文字であり、ゼノが異世界の共通語で喋ったのはつまるところ意訳である。


「ゼノ、転生者だったのか」

「転生……? それってグラーフ派のいう魂の循環か?」


(あれ? 嘘をついていない……?)


 心臓の鼓動を含めてゼノは興奮状態にはあるものの、嘘をついている反応には何一つ該当しなかった。


(つまり英語は読めても、ゼノは地球からの転生者ではない……? んん!? どういうこと)


「というかベイリルは、今血文字(コレ)なんて読んだ(・・・・・・)んだ? おまえこそ読めるのか?」

「あー……いや、う~ん。ちょっと待ってくれ、頭の中を整理する」


 ゼノは少なくとも俺が言う、"転生"の意味を理解していない。肉体の反応も真実を述べている。

 しかしながら英語で書かれた血文字を読んでいた。そして同じように読んだ俺に対し、疑問を(いだ)いている。



「ベイリル、ゼノ、誰かが近付いてきてるようです」


 頭を回していると、クロアーネが鋭い目つきで報告してくる。


「んーっと……すまん、積もる話は後でいいか? ゼノ」 

「ああ、たった今おれも少しばかり話したいと思ったところだ。ベイリル」


 俺は立ち上がって扉へと歩きながら、ゆっくりと息吹と共に"六重(むつえ)風皮膜"を(まと)う。


「ふゥ……──それじゃ二人は俺の後ろで付かず離れず頼む」


 そう言って扉を開けて臨戦状態に入ると、つい先日見知った顔がそこにあった。


「てめぇ……ベイリル」

「──ロスタンか」


 昨日の闘争の後遺症をわずかに引きずり、目を細めたソーファミリーの暴れ者がそこには立っていたのだった。



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