#201 竜越貴人 I
少し離れたところで俺は遮音の空属魔術を使い、二人きりで話すだけの状況が整った。
俺は五英傑──童女であるが老獪な"竜越貴人"アイトエルの言葉を待つ。
「どこから話したもんかのう」
「ではこちらから質問させて頂いても……?」
「よかろう、ただし全てに答えるわけではないことは留意することじゃ」
俺は口を閉じたままアイトエルの瞳を見据え、首をゆっくりと縦に振った。
「アイトエル殿──」
「二人きりの時はアイトエルでも構わんぞ」
いきなり出鼻を挫かれた思いの俺は、彼女の望むままに呼び方を変えることにする。
なぜだか妙な話しやすさを感じ入る。それは彼女の熟成された気質と包容力なのか。
あるいは幼少時に会っている所為で、よくわからない"刷り込み"か慣れがあるからだろうか。
「……では恐縮で僭越ながら。アイトエル、貴方は何者なのですか?」
「ふーむぅ、まっ言わんとすることはわからんでもない。"五英傑"という情報以外の、素性その他もろもろ全てか……欲張りなことよ」
「まぁはい、そういうことになります。お察しいただけてありがたいです」
今までの会話の端々から鑑みるに、彼女本人の意思であるということは考えにくかった。
"竜越貴人"の二つ名はあくまでラベルに過ぎず、あらゆる疑問がこの「何者か」の一言に集約している。
「どこからどこまで開示すべきか──とりあえず儂は……ぬしらが卒業した"学園の長"じゃ」
俺はわずかに息を吸って吐くだけで、想定内だといった表情をアイトエルへと返した。
入学から卒業までついぞお目にかかることのなかった、学園7不思議の1つ──"幻想の学園長"。
誰もが噂にはしても、その存在はまったくもって不明だった謎の人物。
「驚かんのか?」
「えぇまぁ……シールフは明言を避けていましたが、細かい情報を統合していくと可能性はあったかなと」
連邦内にて独立した自治を認められた、権威ある都市国家のような学園。
学園史においても外部から脅かされたという事態がなく、常に安定して平和な学業が営まれてきた。
それはさながら"無二たる"カエジウスが運営する、帝国特区のワーム街および迷宮とも類似性が見られる。
(各所に多大な影響力を備え、シールフが恩人として慕う長命な権力者──)
ともなれば、世界でも可能性のある人物は非常に限られる。
アイトエルが"竜越貴人"だと判明した時点で、彼女が学園長である可能性は十分過ぎるほどあった。
「シールフか、あやつはさぞ息災なのじゃろうな」
「……? シールフから俺たちの話を聞いていたんじゃ、ないんですか──」
「残念ながら違う。最後に会ったのは何十年前じゃったか、学園地下に引きこもっていたのを連れ出した時じゃ。
その後は儂も少々忙しくなってな。使いツバメで"学園の講師を辞する"、という連絡があったくらいかの」
やたらめったら詳しいのは、俺の記憶を読むシールフと密かに会っていたからという可能性もあったが違うようであった。
もちろん"竜越貴人"であれば独自の情報網を持っているのだろうが、それにしたって知り過ぎている。
(今ここに"読心の魔導"があれば、思惑も一発なんだが……)
「シールフにも儂の記憶は読めんぞ」
「えっ、あ……はい」
俺は思考を先回りされるように釘を刺され、なんとも言えぬ返しをしてしまう。
「シールフの読心が通じない相手を知っておるかの?」
「精神が喪失した魔獣や、ゴーレムなどの意思なき塊。あとは思考なき虫や、本能だけで生きる獣の類ですか」
「正解じゃ。儂の"血"は少々特殊での、あの子でも覗き込むとタダでは済まんのじゃよ」
ぼかされていて核心をついた答えではないが、なんとなくそれ以上突っ込むなという空気を読む。
「ままっ、疑問は多かろうて。儂がなにゆえ知っているのか、どうしてこのような世話を焼いているのか」
「口振りからすると、そこらへんはお答えいただけないようで……?」
「ただ安心せい、おんしにはいずれわかる」
要領を得ない答えに対し、俺は深呼吸するように吐き出した。
「──……力尽くで聞く、という手もアリですか?」
「腐っても五英傑と呼ばれる儂から聞き出せる、というのならいくらでも試してみるがよいぞ。
たしかに他の五英傑よりは弱いがのう。それとて黄竜や円卓を倒したくらいで勝てると思われるのは──」
彼女は当然のように、俺が王国の円卓の魔術士第二席を殺したことについて知っている。
それどころかカエジウスの口止めにより、基本的に公言していない黄竜のことまで。
「いささか増上慢と言わざるを得ん」
「"折れぬ鋼の"と闘り合っているので身をもって知っています。ですので胸を借りるつもりで……どうでしょう。
こちらの実力を認めてもらって、もう少しばかり開示してもらう。あるいは一発に当てるにつき、一つ答えてもらうとか」
せっかく友好的な"五英傑"と手合わせできる好機があるのなら、これを逃す手もあるまい。
「まっ答えるかはともかくとして、試すくらいは自由じゃの」
"折れぬ鋼の"には惨敗だったが、嘘か真か五英傑の中では弱いと言い放った童女へと──
俺は全身の力を脱いて、魔力の循環・加速に一層の意識を傾ける。
"天眼"──1次元上から空間を俯瞰し掌握する。あらゆる因果を受け入れ、呑み込む。
さながら枝分かれする未来を視て、行動を収束し確定させるようにあらゆる動きを予測する。
識域下に有意識が存在する、相反にして融合。俺だけの世界が如く、あまねく全てを支配する刹那の究極技。
陣地を占領するように空隙へと差し込んで、接近距離から打ち放った"無拍子"の右拳。
最適化された己自身を重ね合わせた、俺の右腕は──
アイトエルの左手に抑えられたばかりか、彼女の右掌底を顎に喰らって宙に浮いていた。
打ち上げられた俺が、天空から観ている俺と重なったところで……蒼白い明滅と共に"天眼"が途切れる。
「いやはや、やりおるのう」
しばらく俺は呼吸を止め、初めての体験に心胆を震わせていた。
俺とアイトエルは、その場から動いていない。一連の流れは実際に起きたことではなかったのだ。
ただカウンターでぶっ飛ばされたという、結果のみを理解らせられていた。
アイトエルに通用しなかったことに、大層なカラクリは無い。
しかして"折れぬ鋼の"のような……理屈なき理不尽というわけでも無い。
(ただ単純に上回られた……!?)
俺は天眼の余韻とも言うべきか、理性と本能の両方で即時に把握していた。
「儂が似たような業前に達したのには、そうさな……三百年は掛かったものよ」
「っ……じ、自分天才ですから」
実際には戦わずしてぐうの音も出ないほど敗けて、はからずも虚勢を乗せつつ俺は口走っていた。
「話には聞いておったが見るのは初めて。そのようなやり方で領域に至るとはおもしろい技術じゃ」
「"天眼"のことも一体誰に聞いたのかは置いておくとして──ただ、アイトエル。貴方のも……いわゆる無念・無想・無我・無心の境地とは違ったような」
それは"天眼"だからこそ察知しえた拭いきれぬ違和感のようなモノだった。
「んむ、儂のはそんな大層なものではない。単に膨大な経験則からくる、"即応能力"といったところよ」
「武術における極致とはまた違う、と」
「思考を途切れさせるようなことはない、ただ単に身体と反射にまで染み付いてしまっとるだけじゃな」
(限りなく似てはいるが非なる技術……それは俺も同じか)
"天眼"は、強化感覚を総動員した空間の視覚化および掌握技術。
もたらされる結果は近いものの、系統としてはまったく別に派生している。
なんにしても"天眼"はそんなところまで見通して、実際に動く前に敗北の幻像を見せられたということか。
完全敗北ではあるものの……それはそれで、"天眼"のハイスペックを喜ぶべき部分なのかも知れない。
「ベイリルおんしのは、理性と本能を同居させたもののようじゃな」
「はい、まだほんの短時間ですし肉体は無防備にもなりますけど」
十全に発揮する為には"風皮膜"を解いて素肌を大気に晒す必要がある。
だからこそ使うべき場面は選ばなければ、己の命まで曝すことになってしまう。
「まあまあ、それでもよぅできとる。今後もソレはしっかり伸ばしておくことじゃな、必ず役に立つからの」




