#98 道中一会 II
獣──異世界では魔物以外に動物も、独特の姿へと遂げているケースがある。
それは自然淘汰と進化の末であるのか、魔力の作用であるのか……。
目の前の濃い灰色の"熊"一匹を例にとっても、それは地球のそれを遙かに凌駕している。
毛並みは大層強靭そうで、筋肉も肥大して見て取れる。関節の形も歪で、牙も大きく鋭い。
変わらないのは……腹の底から響かせるようなその唸り声。
前世の記憶からくる、本能的な恐怖が背筋を走った。
(オープンワールドRPGなんかでも──)
魔物・怪物の類より、不意に遭遇する単なる熊の声のほうがビビったりしたものだ。
「まっ実際的な相手にはならないが……」
彼我の戦力差を一目で推し量る。
大きさでは遙かに勝っていても、所詮はただの獣の域を出ない。
質量差を考えれば、オークなどよりは強かろうものの。
トロルのような化物に比べれば、いくらでも御し得る獲物である。
「所詮この世は弱肉強食──悔しいだろうが仕方ないんだ」
直接的に魔術をぶち当てるまでもなかった。
ただ鍛え上げた拳足をもって、打ち抜き、打ち払い、打ち砕く。
巨大灰色熊を一方的に屠り去る連撃。
その血肉は今日の栄養とさせてもらう──
絶命し崩れ落ちた熊を背にして、俺は周辺一帯にこれ以上敵性生物がいないことを把握する。
周囲を見れば──血溜まりの上で、うずくまるように息絶えている白髪交じりの男性。
衝撃痕と共に、木にもたれかかって動かぬ女性の死体。
そして陰に隠れていた……上半身がごっそりなくなっている肉片。
残っていたのは流血と共に膝をつき、大きく呼吸を繰り返している男だけ。
「大丈夫ですか?」
ズタボロの男に近付いた俺は、意識と安否とを確認する。
「うっく……助けてもらってすまねえな、もののついでだが……あんた回復魔術は使えるか?」
「いや他人に対しては──魔術なしの応急処置が精々です」
自己治癒能力を高める魔術は最低限修得しているものの、他人を治すような真似はできない。
「ちっ、じゃあおれもダメか──」
男は朦朧とした意識のまま、死した仲間の方へと順繰りに顔を向けていった。
後悔と惜別の色を宿しながらも、非常に落ち着いた様子で死を受け入れようとする男。
そんな彼の心情を踏みにじるように、俺は一言告げる。
「まぁもうちょっと耐えられるなら、助かりますよ多分」
◇
──世界を放浪するように旅をするのは、簡単なことではない。
地形は険しく、舗装されてる道ばかりでなし。むしろ獣道の方が圧倒的に多い。
自然は平然と猛威を振るい、環境はいつだって敵のようなものと思わねばならない。
野生動物や野盗などだけでなく、凶悪な魔物との遭遇も低い確率ではない。
一般的には野外キャンプ可能な道具一式を、馬車などに積載しておく。
生活していく上で必要な"携帯型魔術具"も、各種取り揃えておくのも基本である。
さらには護衛をつけて、全員分の飲み水や食料を確保し、道中の計画も立てて然るべきだ。
しかしながら異世界の──強力な魔術士にとっては、必ずしも当てはまらない。
生半可な騎乗動物よりも素早く、道なき道も強引に走破する。
迷っても高き場所に陣取って位置を把握し、危険な魔物の索敵も行える。
自然は脅威ではあるが魔術によってある程度は切り抜けられるし、フットワークも軽い。
着火や飲み水程度であれば、火属や水属によらない汎用的な魔術によって生み出せる。
そうした日常的な"汎属魔術"は、魔術士であれば大概の者が最低限扱える。
生活に根付いたものを想像するのは、魔術を最初に覚える際の初歩として珍しくない。
食料も現地調達で済むし、なんなら一日の内に集落から集落まで移動したっていい。
実際に持ち歩く荷物も──精々が金銭と、ハルミアの医療道具が少しあるという程度であった。
それゆえに鍛錬ついでに、身一つで賞金首を狩りながら目的地へ向かう。
道中のトラブルも割かし率先して関わりながら──
「なにからなにまですまねえな……」
助けられた男"ヘッセン"はそう深く頭を下げた。
命を助けられ、治療してもらい、逃げた馬まで見つけてきてくれた若人達。
「いえいえ、お気になさらず」
ハルミアはそう温和な表情を浮かべて言った。
彼女にとっては"こうしたこと"が第一義な為に、心の底から出た言葉。
世界を回って様々な怪我や病気を見ること、治療すること。
悪漢や賞金首を相手に、色々と試すのも含めて……。
自身の可能・不可能を都度確認しながら、地力を上げていく段階。
「ところでヘッセンさん、仲間の亡骸はこの場に埋めるだけでよろしかったんですか?」
故郷の土に埋葬してやりたい、というのは誰もが思うことだったろう。
しかし男はハルミアの心遣いを否定する。
「ああ構わないさ……こういう稼業じゃ別に珍しいことじゃあない。運ぶほどの余裕もないしな。
それにしっかり弔ってやれるだけ、まだマシってもんだ。タグプレートごと喰われることもある」
焚き火で焼かれた熊肉を頬張りながら、キャシーはあけすけ尋ねる。
「なんでこんな無謀なことしたんだ?」
「えっ、キャシーがそれ言っちゃうんだ?」
その隣でスープをすすりながら、フラウが思わず突っ込む。
「最近のアタシはそこまで無茶しねえよ。で、どうなんだよ?」
「見た感じ、あんたらは"挑戦組"だろう?」
「あぁ──俺たちは一応、"制覇"まで視野に入れている」
男の問いに対して率直に答える。
「はははっ言うねえ。まっおれらは敗残者さ、上層でもそこそこ稼げると聞いたんだが甘かった」
「それがどうして、こんな離れたところで?」
「ここら一帯は言うなれば"宝庫"なんだ。最初っから攻略じゃなくこっち目的の狩猟者も少なくない。
攻略失敗しちまった代わりとして、せめて何かしら成果を挙げようと……またも甘く見ちまった結果さ」
男は煮込まれている野菜を食べながら自嘲した。
「皇国からわざわざ渡ってきたってのに……、悪いが治療費どころかこの食事代も払えやしねえ」
「別にお代は結構ですよ。これも"フリーマギエンス"の導きです」
ハルミアはにっこりと笑いながらそう答えた。
彼の他にも今まで助けた者に対して、共通して述べる口上。
「フリーマギエンス……?」
「俺たち同志集団の信条です。未知を欲し進化を求む──全てのものを自身への糧としようというね」
情けは人の為ならず──巡り廻って自分へと還ってくると信じたい。
"文明回華"という超事業は、世界規模で文化を循環させることにある。
撒いた種がどこかで芽吹いてくれれば……それでいいのだ。
それぞれ複雑に絡み合い、互いに影響し合って、人類全てが前へ進むことに意義がある。
「そりゃあご立派な心意気なことで」
「恩を売るのもその一環。何か報いたいと思ったら、"シップスクラーク商会"へどうぞ」
行き過ぎた善意は、時に不信感をもたらす。
ハルミアには悪いが、彼女の笑顔も見る者によってはその裏や含みを感じることだろう。
だからこの程度が具合が良い。フリーマギエンスとシップスクラーク商会。
どちらもやんわりと流布させながら、繋がりの輪を構築していく。
「なんだあんたら雇われか?」
「厳密には違いますが、認識としてはそれでいいです」
「そうか……まあなんでもいいか、おれみたいなのにはありがたい。覚えとくよ」
ゆったりと会話と食事を終えて、諸々の片付けが済んでから早々に別れを告げる。
余った肉に毛皮や骨類は重く加工も時間が掛かるので、必要分だけ分配して残りは埋める。
「それじゃ、俺たちは日が暮れる前に着きたいんで……一人でも問題ないですか?」
「あぁ馬も見つけてもらったし、街道まで出られれば危険も少ないからな」
「完治したわけではないですから、無理はしないでくださいね」
男は馬へまたがり手を挙げると、4人の若者はあっという間に消え去った。
馬を走らせながら思いを馳せる──
己の足のみでここまで来た強者。
空より飛来し巨熊を一蹴した魔術戦士。致命傷に思えた傷も治すほどの治癒魔術士。
残る2人も相当な使い手のようだし、なにやら白昼夢でも見たような不思議な感覚も残る。
所詮は一般冒険者の域を出ない己と違って……。
「あいつらならいいトコまで行けるだろうよ」




