30.逃れられない運命
苦しさと抵抗にぐっと眉を寄せるが、そのまま液体が喉を伝った。こくりと嚥下したその時、どおんと地響きが鳴った。
「ネイサン。そこにいるのだろう。襲撃だ。俺を守れ! ここを開けろ!」
しばらくしてバタバタと慌ただしい足音とともにドンドンと扉を叩き、伯爵がわめく。
ネイサンはちっと舌打ち、空になった液体を部屋の隅に放り投げると魔道具のスイッチを切り扉を開けた。
二人の騎士を連れやってきた伯爵が、苦しさでけほけほと咳をしている私を見やり唾を飛ばした。
「やはりここにいたか! ミザリアの魔力はどうだ?」
「魔力を増幅させる薬を飲ませましたので効果次第です。ただ、それが効かなければ死ぬことになりますが」
「ああ。それでいい。使えなければ意味がないしな」
ネイサンは私を殺すために毒を飲ませた。
だが、伯爵には真実を伝えず希望を持たせ報告をした。期待させた分、絶望にたたき込むためだろう。
自分勝手で傲慢な人たち。
私は嚥下した液体に顔をしかめ、それから心配そうに私の周りを飛ぶ精霊たちを見た。
「それよりも襲撃されたとおっしゃいましたね。公爵様が敗れたのですか?」
「そのようだ。それにより我が伯爵家も捜査対象となり騎士団が直々にやってきたが、断れば門を壊しやがった」
「捜査令状もなくですか?」
「緊急事態に伴い、王の代理として第一、第二団長、そして騎士団総長がやってきた。証拠もあるとかで……」
「証拠? 何か残したのですか?」
「わからない」
ネイサンはちっと伯爵に聞こえないように舌打ちした。
「どうすればいい? 万が一捕まってもミザリアの聖力が戻ればこの危機も……」
そわそわと部屋を歩き回り、どこまでも人任せで勝手な伯爵を私は冷めた目で見た。
こんな人のせいで両親が犠牲になったと考えると、姿を見ているだけで不快で臓腑がねじれそうなほど気分が悪くなる。
それとともに先ほど飲まされた薬が熱く這い回るようで、けほけほっと咳が出た。
「大丈夫なんだろうな?」
「わかりません」
死なすのは得策ではないと考え直した伯爵が、己のためだけに私の心配をする。
そして、しらっと返答しているが焦った様子もないネイサンはこんな時なのにとても冷静に見えた。
喧騒が近づき少し離れたところで夫人やベンジャミンの喚く声が聞こえ、それから物音一つせず静かになった。
「あまりにも静かだ。おい、そこのお前見てこい」
「わかりました」
ブレイクリー伯爵に命じられ外に出た騎士が出てすぐに悲鳴を上げた。
「そこま、うわっ、ぐっ」
すべて言い切るまでにやられたのか、呻き声を最後に静かになった。
こくりと伯爵たちが息を呑み、ひとり残った騎士が剣を構えた。ゆっくりとドアへと向かい、扉を開けると同時にその扉ごと吹っ飛んだ。
「くそっ。乱暴だな」
吊り上がった目を扉のほうへと向け、ブレイクリー伯爵は騎士が落とした剣を取った。
「ネイサンはそのままミザリアが逃げないように捕まえておけ。ここの様子がおかしいとすぐに傭兵たちも気づくだろうからな」
どうやら傭兵を雇っていたようだけど、この様子では大半はすでにやられていそうだ。
ぱらぱらと細かな破片が崩れ落ちるが、私のところにはひとかけらも破片はなかった。
漂う空気にぞくりと背を震わせると、ひゅっと風の音とともに現れた人物が伯爵に斬りかかった。
「うわぁぁぁー、やめてくれ」
伯爵の横に斬り込んだ剣の跡があり、そこで下半身を濡らし失神している。
さらに振り上げようとしたところで私は声を上げた。
「ディートハンス様」
私は数刻前の悔しさや恐怖も吹っ飛び、突如現れたこのグリテリア国の最強騎士である騎士団総長の名を呼んだ。
名前を聞いた時から、気配を感じた時から、心が安堵とともに会いたくて打ち震えていた相手が目の前にいる。
彼は一瞬私のほうに視線をやり小さく頷くと、アンバーの瞳で私の腕を掴んだネイサンを見据えた。
漆黒に近い黒髪に通った鼻筋や形のよい唇は薄くも分厚くもなく理想的に収まった美貌は、完璧すぎてその立場とともに畏怖の念を与えるほどのもの。
そして、切れ長の涼しげな瞳と表情は常に一定であり、ひとたび排除すると決めたら鋭い刃のように冷たさを帯びる。
ウルフアイとも言われるその瞳に囚われるともう逃れられない。
そこで運命が決まる。
「お前が、執事長のネイサンだな。ミザリアからその汚い手を離せ」
私が瞬きをする一瞬で、彼は跳躍すると私の腕を掴んでいたネイサンの腕と足を切りつけた。
くぅっと苦しげな声を上げ痛みでのたうち回るネイサンを私から離すように放り投げると、騒ぎを聞きつけてやってきた者たちに鋭く目を配りながら私の前にハンカチを差し出した。
「ここから動くな。辛かったら目をつぶっていろ」
戦う場でもハンカチを持参する几帳面さと気遣い。
そこに私の知っているディートハンス総長を見出しほっとし、私はこくりと頷いた。
黒い騎士服の上からでもわかる筋肉のついた均整の取れたスタイルの良さは、彼が動くたびにそれが見てくれだけではないことを証明していた。
左肩の白いペリースは彼が剣を振るうたびに瞬き、人間離れした動きとともに軽やかに舞うそれの白い線だけが残像のように見える。
そして、目をつぶる暇もないくらいあっという間にこの場を制圧した彼は剣をしまうと、私のもとへと再びやってきた。
距離が近づくたびに視線が上がる。不思議なことにあれだけの動きのなか白いペリースは全く汚れておらず息も切らしていない。
彫刻のように整った美貌には少しの瑕疵すら見当たらないが、切りつけたときについた血が一滴だけ飛び散っている。
やけに目立つそれに、私は先ほど渡されたばかりのハンカチを差し出した。
「ディートハンス様。頬が汚れております。お借りしたものですがこれを」
「ああ」
拭う姿を見ながら、周囲に倒れている人たちに視線を走らせた。先ほどまで感じていた感情がとても凪いでいる。
あまりにも圧倒的な美しくも強い剣技に魅入られてしまったのか、その絶対的存在のそばにいることで安心を覚えるようだ。
伯爵たちが逃げないのであればそれでいいと、それ以外の何も思わなかった。
「助けていただきありがとうございます」
「当然のことだ」
ぐっと腰を引き寄せられ抱きしめられる。
誰よりも騎士らしい騎士。
多くの国民の命が彼に、そして彼に従う者たちによって助けられてきた。そして、私もそのひとり。
「本当に助かりました。あともう少し遅ければ……けほっ」
本当にどうなっていたかわからなかった。
この短期間にここまでたどり着くことは容易ではなかったはずだ。
公爵の国を巻き込む卑劣な企みを阻止し人々を助け、すぐさま駆けつけてきてくれた。
ディートハンス様に好意を向けられているからといって私のことを優先してほしいなんて思っていない。むしろそうされていたらずっと罪悪感を抱いていただろう。
だから、全てを片付けてそれでいてこうして助けにきてくれたことに感謝しかなかった。全力で守るとの誓い通りに、こうして全力で駆けつけて来てくれた。
それだけで十分だった。
理屈が通らない二人を前に力のない私にどれだけ抵抗できるか、耐えきれるか、時間との勝負だった。
最後まで諦めなかったから、自分の持てる術をもって精一杯の抵抗をした。知りたかったこともこの機を逃せば二度と知ることができないと思い踏ん張れた。
それができたのも必ず助けに来てくれると信じられたから。
孤高で孤独と戦ってきた優しい人に、返事をしないまま逝くことは許されないと思ったから。
「ありがとう、ございます……、ごほっ」
「ミザリア!」
喉に血が絡んで嫌な咳が出て、口の中が血の味で広がる。
――ああ、心配かけるつもりはなかったのに。
咄嗟に押さえた手が血に濡れるのを見て、あまりにも泣きそうなディートハンス様の頬を血で汚れていないほうの手で触れた。
私の手を掴んだディートハンス様の手はとても震えていた。
「大丈夫です……。ちょっと疲れただけです。それよりも伯爵を。母と、そして本当の父の敵なんです。必ず罪を白日のもとに……」
「ああ。必ず報いは受けさせる。そしてミザリアも死なせない。治癒士を!」
これできっと両親も報われる。そして私のつらかった日々も。
安堵に包まれた。
胸を裂くほどの悲痛な声とともに抱きしめられ、これ以上話すこともできずふぅっと最後の息を吐き出し、目を開けていることもできなくてゆっくりと瞼を閉じた。




