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魔力なしと虐げられた令嬢は孤高の騎士団総長に甘やかされる  作者: 橋本彩里


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22.揺らぎ


「ミザリア。手伝おう」


 美声とともにディートハンス様の腕が伸び、私は咄嗟に洗濯物が入っていたかごをずらした。それからこっそり反応を窺う。

 ぱちりと瞬きをして驚いた顔をしたディートハンス様の顔を見て、私は小さく笑った。


 ――ふふっ。私もやればできる!


 毎回、構える暇も反応することもできずにさっと持っていかれるので、何度も経験しどのタイミングで手を伸ばしてくるかわかれば私だって防ぐことはできる。

 持ってもらった後では何を言っても相手のペースで、ただ私は横にいて一緒に移動するだけになっていた。


 なので、取られないようにすれば話し合う余地ができる。

 いつまでも甘えてばかりではと私なりに考えたのだけど、うまくいってちょっと嬉しい。


「これは私の仕事なので自分で持ちます。それに少しでも体力をつけたいので」

「そうか。自分で持ちたいのだな」

「はい」


 成功して嬉しかったのが顔に出ていたのか、私の顔を見てディートハンス様は笑う。

 しかも、私はそんなに笑っていないよねというくらい嬉しそうな笑顔だ。


 ――うわぁっ。


 無表情だった美形の笑顔の破壊力を前に、私は感嘆の声を内心で上げ固まってしまった。

 何度見ても見惚れてしまうし、じっと見つめられる視線から逃れることはできない。


 こんな直近で贅沢すぎるのではないのだろうかと思うくらいの甘やかな笑みに、せっかくうまくできたのに負けた気分になる。

 その笑顔を見るたびに、心臓がきゅっとして落ち着かない。


 気を失ってディートハンス様のベッドで一緒に寝てしまったあの日から、ディートハンス様の笑顔は止まらない。

 今まで出し惜しみしていたのではないかと疑ってしまうほどよく笑い、その姿を前にする度に思考が停止してしまう。


 至近距離で見つめ合っていると、どこまでも深く清らかでありながら複雑な色味を帯びた瞳に愛情が浮かび上がる。

 伝えてくる熱は気のせいにするには熱くて、私はなすすべもなくその視線を受け止めた。


 日に日に私を見る眼差しは優しく甘くなっているようで、それに浸かってしまっては、慣れてしまっては抜け出せなくなりそうだ。

 それはぽかぽかと内から暖かくなるような頬が緩んでしまう嬉しさを感じるとともに、引き返せないところまできたときに失うことを考えると怖い。

 それを怖いと思うのはこれだけまっすぐ見つめてくれる相手にも申し訳なくて、なるべく意識しないようにと自戒する。


 これは呪いを解いたからもあるだろうと自分に言い聞かせていないと勘違いしそうなほどで、これ以上は頭も胸もいっぱいいっぱいでおかしな反応をしてしまいそうだ。

 そう思ったところで、ディートハンス様は小さく口の端を緩めるとさっと屈んだ。


「ならこうしよう」

「えっ?」


 戸惑いの声を上げた時には、ひょいっと洗濯かごを持ったまま抱きかかえられた。

 がっしりした腕は安定感があり、私はさらに間近でディートハンス様と顔を合わせることになる。


「これならいいだろう?」

「……えっと」


 何か違う。

 そう思ったけれど、にこっ、と嬉しそうな笑顔を前にすると、善意の行動を否定する気分は起きなくなってしまう。

 できるだけディートハンス様の気持ちに添うように行動したい思いもあるしで、どうすればいいのか正解かわからない。


「どうした?」

「その、歩けます」


 善し悪しを告げることもできず、迷った末告げた言葉にディートハンス様は「そうだな」と頷いた。それから前を向いて歩き出す。

 しばらく待ってみたが頷いたきり他にリアクションもなく、ただ機嫌がよさそうなその表情をじっと私は見つめた。


 ――最近、私のほうがディートハンス様を見ている気がする。


 距離が近くなった分、視線を合わせて話すことも増えたため遠くからじっと観察されることは減ったと思う。

 

 ――あ、また目が合った。


 その分、今みたいに近くで視線が合うことが増え、その瞳の奥に揺らめく優しい色に捕われる。

 視線を外したくても外せず、私は何度か瞬きを繰り返した。


 塑像(そぞう)のように整った顔にそこにいるだけで伝わってくる高貴さ。艶やかな黒髪が波打つだけで、匂い立つような色気とともに存在感が濃くなっていく。

 美貌もさることながらどうしても惹きつけられるものがディートハンス様にはあって、知れば知るほど近くにいればいるほどつい見てしまう。


 そのうえ、ディートハンス様は『魔力』の相性はおまけとばかりに、私の頑張りや歩み寄ったことを嬉しいのだと伝えてくれた。

 『そばにいるだけで幸せだ』とも言われ、それらが偽りのない本音だということはこれまでの態度でわかる。


 そんなことまで告げられて、関係や私自身を大事だと伝える眼差しとともに甘やかな笑顔を浮かべられて、行動までこんなに甘いなんてむずむずが止まらない。

 表情を表に出さず人との距離をあけ孤高さが際立っていた時も、こんなに甘い今も、まっすぐなディートハンス様らしいというか誰よりも強くて優しく魅力ある人だ思う。


 過分な待遇を受けているというか、贅沢すぎるのではと思えるディートハンス様の言葉や笑顔を前に、幸せと戸惑いが混在してしまう。

 そして、私の戸惑いを気づいているのか気づいていないのか、決めたら我が道で今も歩みを止めるつもりもなく、むしろ慣れた手順で洗濯物を配置していく。


「あの、下ろしてほしいのですが」

「なぜ?」

「なぜって」


 運んでいる荷物ごと抱えられて運ばれるのはどう考えてもおかしい。

 しかも、配っているのはディートハンス様で私は持っているだけ。

 ディートハンス様の意思も大事にしたいけれど、さすがにこれは過保護ではないかと声をかけると、ディートハンス様は不思議そうに首を傾げた。


 ――えっ? 本当にこの体勢に疑問を感じてない?


 私が絶句していると、ディートハンス様はふむと考えるようにじっと私を見つめとても真面目な顔になった。


「ミザリアは荷物を持っていたい。私はミザリアと一緒にいたいし怪我をしないかも心配だ。ならこうするのが一番だ」

「そんなに簡単に怪我しません」


 私はすぐさま否定した。

 ディートハンス様のこの表情からして本気でそう思っていそうだったので尚更だ。


 それにここに来て怪我をすることはほとんどなくなった。

 ちょっとぶつけてしまうくらいのことはあるけれど、数分後には痛みを忘れるようなものばかりでそれも怪我とはいえないものばかり。


 伯爵家にいたときは些細なことで打たれ蹴られ物を投げつけられ、怪我は日常茶飯事だった。

 騎士団寮に来て十分な食事と睡眠のおかげで健康的になったし、意図して転ばされるわけでもないので、今後怪我をしたとしても擦りむいたりするくらいでしれている。

 だけど、さすがにそれを言うのは憚られ眉を寄せると、ディートハンス様は困ったように眉間にしわを寄せた。


「私が心配なだけだ」

「心配……」


 どう言えばいいのだろうか。

 心配してくれる気持ちは嬉しいけれど、やっぱり過保護な気がする。

 かといって家政婦だけれどこの寮ではディートハンス様の心を少しでも安らげるようにするためのものでもあるので、家政婦業が優先というわけでもない。

 どこまで彼の意向を尊重すべきか、魔力の件を考えると自分の立ち位置がいまいちわからない。


 生まれた時から魔力が多すぎたせいで、人の温もりを知らなかったディートハンス様が自ら触れるということはどれだけ勇気がいったことだろう。

 過去を知り、魔力過多症の弊害を知り、触れて問題ないということが何も考えずに触れられる存在がディートハンス様にとってどれだけ貴重で嬉しいことなのかを知った。

 

「ディートハンス様……」


 だから、温もりを感じ心安らぐのなら拒むことはしたくなくて、この笑顔を見ていたくもあって、だけど甘やかされることが怖くて、でもそんなのはお構いなしに突き進めるディートハンス様にいつも流されてしまう。

 結局、今回も甘やかされてしまうのだろうなと半ば諦めながら小さく息をつくと、すぐそばにあるディートハンス様が思慮深い目で見下ろし、わずかに表情を歪ませた。


「ミザリア。昨日はしっかり寝たか?」

「はい」

「本当に? 少し目の下にくまができている。眠れないほど怖い夢でも見たか?」


 私は目を見開いてディートハンス様を見た。

 些細な変化も見破られ、確信めいた声に私は苦笑した。


 ――そうだ。ディートハンス様は傷つけないために、守るために、周囲をよく見ている人だった。


 じっと見るのも癖になるほど、まっすぐで優しい人。

 これは誤魔化せないだろうと、もう一度ディートハンス様を見つめる。

 すると、両手が使えないディートハンス様はこつんと私のおでこをつけるように顔を覗き込んできた。


「ミザリア。不調があれば言うように」


 近い距離に真摯な声。

 心配してくれているのはわかるのだけど、最近までベッドから出られなかった人に言われてもとちょっと拗ねた気持ちになる。


 本当に心配したのだ。しかも呪いの類いかもしれないと教えられ、もしあの時に私の魔力が戻っていなかったら今も苦しんでいたかもしれないと思うと怖気が走る。

 戦場では命の危険と隣り合わせな上に、呪いまでと思うとやるせない。


「それを言うならディートハンス様のほうでは?」

「ああ。そうだな」

「でしたら」

「だからこそ、少しの不調も軽んじてはならないと思えるようになった」


 考えを改めてくれたことは嬉しい。

 ディートハンス様を心配する人はたくさんいて、騎士団の総長という立場もある彼の体調はあらゆることに影響する。


 もし自身の不調で何か事がまずいほうに進んだらディートハンス様は気に病むはずだし、やはり自身のことを今以上に大切に考えてくれたらいいと思う。

 問題ないと信じていることが厄介だと思ったばかりだから、本人が意識してくれるのは非常に好ましい傾向だ。


「そうですか」


 それが嬉しくてつい笑うと、ディートハンス様は私を抱え直すように腕を動かし目を細めた。


「それでどうなんだ?」

「伯爵家での生活の、あまり楽しくない夢でしたので。少し寝不足ではあります」


 嘘をついたところで仕方がないと正直に話すと、ディートハンス様は眉をひそめた。


 昨夜の夢は母が亡くなったところから延々と伯爵家で日々虐げられ働いて抜け出せない、逃げようと思っても捕まえられる夢を見た。

 寝苦しくて夢から覚めてからはまた同じ夢を見るのではないかと怖くて寝つけなかった。


 精霊のことを思い出し、どうして記憶がなかったのかと、過去を、伯爵家で過ごしたことをここ最近考えずにはいられず夢にまで見るようになった。

 思い出したいのに夢と同じでろくなことは思い出せず、いつまでこの平穏が続くのだろうと心配にもなった。


 だから、甘やかされるのが怖い。

 優しくされればされるほど、伯爵家でのことを思い出し、彼らとは違うとわかっているのに騎士たちがどんなことでどんなきっかけでいつ態度や考えが変わり冷たくされるかもしれないと怖くなる。


 だけど、信じたい気持ちのほうが強くて、精一杯ここで役に立ちたい気持ちも本物で。

 騎士たちの、ディートハンス様のためにできることがあるのなら頑張りたくて、少しでもできることを見つけて、少しでも長くここに居させてほしいと願ってしまう。

 気持ちは揺らぎ、落ちたり上がったりと不安定な自覚はあった。


「ですが、今日はしっかり寝るつもりなので大丈夫です」

「そうか……」


 これ以上心配かけたくなくて言い切ると、ディートハンス様の表情は何か言いたそうなものはあったが、結局それには触れず、私を下ろすこともせずディートハンス様が洗濯かごを空にした。




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