8.器の大きさ
伯爵家を追い出されてから一か月が経った。
いつもよりもぱちりと目が覚めた私は、身も心も軽く爽快な気分で、んん、と身体を伸ばしてベッドから降りカーテンを開ける。
騎士団寮で私にあてがわれた部屋はとても広く、ウォールナットの床板に白い壁、必要最低限の机や椅子があるだけだが、窓から日が差し込むなか朝を迎えるだけで贅沢だ。
「王都の騎士団寮にいるって今でも信じられない」
あと、ここに来て次の日にわかったことだけど、フェリクス様は第二騎士団長であった。
フェリクス・オーバン。家名まで紹介されていたら第二騎士団長だと結びついていた。それくらい彼も有名人である。
それだけの実力のある人物だったから、私が騎士団寮で働くことも強引に進めることができたのだろう。
立場のある人なのだとは思っていたけれど、そこまで上の方だとは想像していなかった。
そのフェリクス様をはじめ、騎士団寮、特にこの黒狼寮には立場も力も常人の想像を遙かに超えた人たちばかり集まっている。
「やたらと食べさせようとしてくるのはちょっと困るけれど」
今も朝から次から次へとお菓子を渡されて、紺のメイド服にかけた白いエプロンのポケットはぱんぱんに膨れている。
まるで示し合わせたように働くことが決まった次の日から、美味しいだとか有名だとかでそれぞれの騎士が食べ物を渡してくるのだ。
せっかくなので少しずつ戴いているが、食べきれず部屋にたまってきた。
好意と言えるそれは単純に嬉しくてありがたいのだけど、何せ頻繁すぎる。だけど、嬉しそうに渡されると断りづらくて、どうしたらいいのかと現在思案中である。
本日在中の人数分の朝食、人によっては夜食となる食事を用意しぽつぽつと下りてきた騎士たちに合わせて料理を出し食べ終えた食器を片付け終えると、次は勝手口のドアを開け戻ってきた洗濯物が入っているかごを中へと入れる。
洗濯に関しての私の仕事は、すでに個別に分けられている袋を各部屋に置いていくだけでいい。
よいせっと中に入れこむと、私はきょろきょろと周囲を窺った。
「よし。今のうちに」
重いものを持っているとそれに気づいた騎士たちがすぐに持ってくれる。
騎士道精神なのか、ここの騎士は非常に紳士的であった。私の仕事だといっても手が余っているのだからと譲らない。
どうやらここに来た時に私は痩せすぎていて、ものすごく心配をかけていたらしい。実際に重い物を持つとふらふらしていたし、体力のある騎士からすれば余計に不安を煽ったようだ。
そのことがあって、それなりに肉がついてきた今も何か食べさせなければと常にお菓子を渡されていると思われる。
だけど、今はしっかり食べて健康的に動いて体力はついてきたはずだ。
今日こそは誰にも見つからず運び終えようとやる気に満ちあふれせっせと動いていると、ふと近づいてくる足音に気づき手を止めた。
「精が出るね」
私の姿に気づいたフェリクス様が手を振ってくれる。
「お戻りですか?」
朝食の後、寮を出て行ったはずなのだが総出で戻ってきたようだ。
総長たちもいるのでぺこりと頭を下げて再び顔を上げると、見たことがない人物がいるのに気づいた。
ディートハンス総長を筆頭に、フェリクス様と第二騎士団のブラッドフォード・アガター副団長とアーノルド団長含む第一騎士団の三人、そして初めてお目にかかる第四騎士団の制服の人物。襟や袖の色は紫。
「君がミザリアか。私はユージーン・マクリントック。よろしく」
「ミザリアです。ここで働いております。よろしくお願いします」
初めてお会いする騎士だがこの寮に住まう人物だ。
ユージーン様は第四騎士団所属で、第四騎士団は特殊部隊と言われ特殊な事件に関わることが多くその内情は極秘な任務が多い。そのため事件が起こると現場で調査など王都から離れることも多く、留守をすることも多いと聞いている。
任務明けなのか、寝不足で充血した瞳をしょぼしょぼさせながらずいっと目の悪い人が物をよく見ようとするがとごく私の顔を覗き込む。
「ふぅーん。君、それでよく動いていられるね」
「どういうことだ?」
ユージーン様のその言葉に反応したのはフェリクス様。
他の騎士もディートハンス総長もじっと私を見た。
「んんー、魔力なしと聞いていたけど魔道具は使えているよね?」
「ああ。魔力判定の基準に反応しなかっただけで魔力はある」
私が答える前にフェリクス様が答えたので、私は小さく頷いた。
ユージーン様はさらに観察するように目を眇めた。
「だよね。この寮にある魔道具が使えないと仕事にならないしね。俺の見立てだけど器は大きいのにぎりぎり生活に困らない範囲で薄く残っているんじゃないかな。もともとの器が小さければその少ない魔力でも上手く循環していたはずだけど、大きな器にうっすらと残るそれでは本当に必要最低限でしか使えていない」
「それって枯渇状態ということか? だとしたらずっとその状態はありえない」
「だから、よく動けているよねって話。聞けば十一年前に魔力なしと判定されたんでしょ? うーん。よく見たいけど今は頭が回らないなぁ」
ぱしぱしと瞬きをし大きなあくびをするユージーン様。
それからユージーン様は後ろにいる総長に視線をやって、ふむっと頷く。
私をじっと見ていた総長がその視線に気づき、わずかに眉を上げる。
「どうした?」
「ううーん。ディートハンス総長とかなり近づけているって話を聞いていたからどんな人物か会うのを楽しみにしていたけど、もしかしたら器が大きいから総長の魔力に反発しない可能性もあるんじゃないかな」
「おい!」
そこで反応したのはアーノルド団長。険しい顔でユージーン様を咎めた。
――あっ、やっぱり聞いてはならなかったんだ。
魔力の反発とやらが、総長の事情とやらに関係しているのだろう。
でも聞いてしまったし、不可抗力であるしと困って眉尻を下げていると、ユージーン様はくわぁっとあくびをし金茶の瞳に涙を溜めながら気怠げに私の顎を掴み瞳を覗き込んできた。
「ユージーン」
「ふはっ、ふふぁ~。ホント、難儀だねぇ」
それに反応したのはディートハンス総長だった。
ユージーン様の行動を咎めるように低く彼の名を呼ぶと、ユージーン様はあくびと笑いを混ぜたような声を上げ、すぐに私の顎にかけていた手を離した。
それでも私を覗くのをやめない。探るように見られて、私は今にもくっつきそうな瞼の奥に見える金茶の瞳を見返した。
「ユージーン」と今度はフェリクス様に咎められて、はいはいとユージーン様は元の位置に戻った。
「君たちの忠誠も難儀だねぇ。もうここに一か月も置いている時点で彼女のことは認めているんでしょ? ディートハンス総長自身も受け入れているから一定の距離を置いていたとしても反発を起こしていないわけだし。慎重なのはいいけれど、彼女の魔力の在り方は特殊だから少し試してみてもいいとは思うけど。ああー、もう眠い。何しゃべってんのかわかんなくなってきた」
「彼女は大丈夫だと?」
あくびを連発するユージーン様に、ディートハンス総長がじっと私を見ながら尋ねる。
「今まで大丈夫だったんですよね? 五メートルを徹底していたとして、一か月も同じ空間にいて影響出ていないのが答えだと思うけどその先のことは俺もよくわからない。魔力の相性は悪くないからもう一歩踏み出してみてもいいのではと……ふあぁ~、ねむ」
そこでまたあくびをするユージーン様。
ディートハンス総長は無表情ながらもわずかに眉を寄せ、今までにないほど私をじっと見つめてきた。
顔に穴が空くのではないかというほどのそれは感情がやはりよく見えず、私は困って小さく笑みを浮かべるだけしかできない。
周囲も総長の言動に注視し耳が痛くなるほどの沈黙が流れ、総長がふっと息をついた。アンバーの瞳をユージーン様へと向ける。
「睡眠を取った後は、彼女の魔力の状態をしっかり調べてくれ」
「わかりました。俺としても彼女の状態は興味深い。ただ、相性やどうたらはあまり興味がない。俺としては中途半端などっちつかずの気遣いが蔓延してここが過ごしにくいのが嫌なだけなので、試すなら俺が寝ている時にしてくれるとありがたいです。何かあれば起こしてくれたら。まあ、問題ないとは思うけど。では」
話すだけ話し、ユージーン様は爆弾発言だけを残してふらふらと自室へと引きこもっていった。
全く無関係ではない私はどうしたらいいのだろうかと、助けを求めるようにフェリクス様を見た。
魔力枯渇とか器とか気にもしなかったことばかり。何より、総長の事情に関わる魔力反発という単語を聞いてしまってこのまま立ち去るとかできない。
ディートハンス総長は考えるように視線を伏せておられるし、ここで頼れるのはここを紹介してくれたフェリクス様だけだ。
考え伏せる総長をこれまた考えるように見ていたフェリクス様は、私の視線に気づくと小さく頷きにっこりと笑った。
静寂と困惑した空気を一掃するようにフェリクス様はパンと手を叩くと、いやに明るくさっぱりとした声を上げた。
「俺もさ、もどかしいというかそういうのは感じていたんだよね。ということで、ディース様、ミザリア。ユージーンの目は確かだ。試してみようか」
私では判断できないからどうにかしてほしいと思ったけれど、まさかならばとフェリクス様が言い出すとは思わなかった。
フェリクス様の意見に他の騎士たちも賛同し、私はあれよあれよとディートハンス総長と一か月ぶりにまともに相対することになった。




