第5章ー21
まだまだ初陣に近いルイ・モニエール少尉は、アーヘン市街戦において、軽機関銃班と擲弾筒班の組み合わせ、活用に四苦八苦していた。
フリアン軍曹が擲弾筒班の一つの班長として、擲弾筒を巧みに運用して見せるのに大いに助けられている。
「ここまでの接近戦となると、軽迫撃砲ですら扱いにくいですからな」
フリアン軍曹は、そう言って自ら擲弾筒を運用して見せ、部下もそれを見習って、巧みに運用する。
フリアン軍曹以外の下士官も中々優秀で、モニエール少尉は下士官の助言を受けることで、そんなにボロを出さずに戦えていた。
アーヘン市街に突入してから、気が付けば1週間余りが経っていた。
今日も、モニエール少尉は指揮下の歩兵小隊を率いて、アーヘン市街地のある建物に、独軍の歩兵部隊が立てこもって抗戦するのに、擲弾筒による発煙弾の投射により目つぶしをし、軽機関銃による火力支援の下、建物にとりついて白兵戦の末に建物を奪取しようとしていた。
アーヘン市街に突入してから、奪取しようとする幾つ目の建物か、モニエール少尉は、ふと数えようとしたが、その考えをフリアン軍曹は察したらしく、独り言を言った。
「建物を数えるのは止めた方がいいですな。どれだけやったのか、と嫌になりますから。全部終わらせるしかない、と割り切らないと」
その声が聞こえたモニエール少尉は、あらためて想った。
確かにその通りだ、アーヘン市街を速やかに制圧せねば、数える必要は無いと考えよう。
実際、アーヘン市街の制圧戦は、外部からの解囲作戦にも妨げられ、12月初めまで続く死闘となった。
もっとも、日米ポーランドを主力とするアーヘン攻略を目指す軍の首脳部にしてみれば、それこそが罠に独軍が首を突っ込んだ証だった。
ただでさえ、兵器等の生産量ががた減りしつつあるのに、アーヘン等を確保するとともに、連合軍への反攻を試みねばならない。
独軍は補給等の為にライン河の橋を維持せざるを得ず、ライン河の橋を落とすどころではなかった。
「そろそろかな」
北白川宮大将が遣欧総軍司令部において、幕僚に問いかけたのは、11月10日になってのことだった。
「そろそろ、いいでしょう。ライン河の橋を確保しましょう」
石原莞爾中将が真っ先に賛同した。
この1月余り、連合軍の航空部隊の一部は、ライン河に掛かる橋のどれを確保するのがベストか、偵察活動を繰り返していた。
奇襲攻撃により、独軍の防衛線を崩壊させ、速やかにライン河の橋を確保せねばならない。
だが、独軍もライン河の橋の重要性は分かっており、いざという場合は爆破すると考えられていた。
そして、ライン河の橋を渡ったとして、独軍の猛反撃を受けることも覚悟せねばならない。
そう言った観点から、何度も作戦が立案され、終に一つの橋が目標となったのである。
レマーゲンとエルベルを結んでいる鉄道橋、ルーデンドルフ鉄橋、ここの確保を日本海兵隊は目指すことにしていた。
何故に、この橋を日本海兵隊は選んだのか?
その理由は、まずアーヘンから、それなりに離れており、独軍の注目、独軍の集結地点からは、かなり離れていたのが一つ。
また、ライン河の橋のほとんどの橋脚に、爆破作業の為の穴があったのだが、ルーデンドルフ橋の穴は先の世界大戦時に仏軍によって塞がれており、爆破が困難になっていたことが一つである。
こうしたことから、日本海兵隊は急襲によりルーデンドルフ鉄橋を確保して、ライン河の渡河点を確保してしまい、ライン河という天然の独軍の防衛線を崩壊させようと試みることになった。
そして、その攻撃の先鋒には当然のことながら、零式重戦車の全ての部隊、土方勇中尉らが集中して投入されることになった。
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