チョウに憧れたクモの話
ある日、クモは自分が張った巣に一匹のアゲハチョウがかかっているのを見つけた。
いつもなら、クモは捕まえた虫をさっさと餌にしてしまう。だが、このときばかりは違った。
(なんて綺麗なんだろう……!)
クモはチョウに見とれた。
黄色い羽に黒い筋が伸びやかに流れ、裾のほうには青い斑点が規則正しく並んでいる。頭には優美な触覚がクルンと丸まって生えており、脚はとても華奢だった。
(こんなに美しい方は見たことがない!)
クモが感激してぼうっとなっていると、チョウがしくしくと泣き出した。
「ああ、アタシもここまでね。もうすぐクモのご飯にされてしまうんだわ」
「そんなことはありません!」
クモはチョウを絡め取る糸を切った。
「さあ、お逃げください」
「どうして助けてくれるの?」
「あなたのことが好きになってしまったからです」
クモが恥ずかしげに告白すると、チョウは「おかしな方ねえ」と笑った。
「普通、クモはチョウを好きになったりしないものよ」
「では、私は普通のクモではないのでしょう」
クモは自分の体を恥じらいながら眺め回した。
「私には美しい羽も優雅な触角もありません。それなのに、みっともない脚は八本もあるのです。私は醜い。それでも、あなたとお友だちになりたいのです」
「おほほほほ。ますますおかしな方!」
チョウは笑いながら遠くへ飛び去っていく。その後ろ姿を、クモは憧れのこもった眼差しで眺めていた。
****
「クモさん、昨日はありがとうね」
翌日。クモの元へチョウがお礼を言いにやってきた。
「来てくださったのですね、チョウさん!」
クモが興奮しながら脚を振り回した。
「ご覧ください! 再びあなた会えたら見ていただこうと思って、巣を新調したのです!」
クモは新しく張り直した巣を自慢げに指し示した。けれど、チョウは触覚をしゅんと下げる。
「クモの巣はチョウを捕まえる罠よ。そんなものをアタシに見せるなんて……」
チョウはひらひらと上品に羽を動かして向こうへ行ってしまう。クモはポツンと巣の上に取り残されてしまった。
次の日も、チョウはクモのところへやって来た。
「あら嫌だ。何があったのかしら」
異変に気づいたチョウは顔をしかめる。地面に何匹ものクモが転がっていたのだ。
「チョウさん、また会えて嬉しいです」
チョウの姿を認めたクモが巣を這ってやってくる。
「あなたは無事だったのね。凶暴な鳥でもいたの?」
「いいえ、これは私がやったのです」
クモは仲間の亡骸を誇らしい気持ちで指した。
「すべてはあなたを守るため。仲間があなたを食べてしまわないように、あらかじめ手を打ったのです」
クモはチョウが喜んでくれるだろうと思った。けれど、チョウはほっそりした脚をきゅっと丸める。
「まあ、あなたって野蛮なのね。お仲間を殺すなんて! やっぱりクモはクモだわ」
チョウはそのままどこかへ飛んでいこうとした。クモは「待ってください!」と必死にチョウを呼び止める。
「私はただ、あなたと仲良くしたいだけなのです! 一体どうすれば、あなたは私を好きになってくれるのですか?」
「あなたじゃ無理よ」
チョウは「おほほほ」と笑った。
「だって、あなたはアタシに追いつけもしない。アタシは空を飛べるけれど、あなたは地を這うことしかできないじゃない」
「いいえ、そんなことはありません!」
クモはきっぱりと言い切った。
「チョウに憧れたクモは、空だって飛べるのです!」
クモは勢いよく糸を吐いた。
「あなたへの気持ちを証明いたしましょう!」
クモが巣から身を投げた。吐き出した糸につかまり、空中を漂う。
「あら、まあ……!」
チョウの顔に感心したような表情がよぎる。クモは文字通り天にも昇る心地となった。
糸が日の光に反射し、キラキラと光り輝いている。これほど体が軽いと思ったことはない。チョウと出会ってから初めて、クモは自分が醜い存在だということを忘れることができた。
「うわっ、クモだ!」
近くを通りかかった人間の男の子が叫んだ。手のひらで打ち据えられ、クモは地に落ちる。
そして、道を走っていた自動車がその体を踏み潰した。
「まったく、何でクモが空なんか飛んでるんだよ!」
少年が頬を膨らませる。一緒にいた友だちが「ビックリしたよねえ」と相槌を打った。
「あっ、あそこにチョウが飛んでる! きっと、チョウの真似をしようとしたんじゃない?」
「何それ! クモがチョウになれるわけないじゃん!」
二人は他愛もないお喋りを続けながら、何事もなかったかのように歩いていく。
事の成り行きを見守っていたチョウが笑い声を上げた。
「おほほ! クモって本当に変な生き物なんだから!」
チョウは美しい羽をはためかせて、青空に消えていった。




