第7話
リアの花。
リアナにとっては思い出深い花である。
リアナの母親、エレナは花を部屋によく飾っていた。
花は季節によって変わっていたのだが、ある時を境に飾られる花はリアの花、ただ1種類だけになった。
それはリアナの誕生。
リアナという名前の由来が大きく関係していた。
フォルス王国に嫁いできたエレナはあることを嘆いていた。
それは故郷によく咲いていたリアの花がフォルス王国ではまったく見られなかったことであった。
フォルス王国とエレナの故郷とは気候が違い、咲かなかったのである。
それでも何とか育て方を工夫し、王城の庭園に咲かせようと奮闘していた。
そんな中、エレナはリアナを身ごもり、やがて出産する。
そのリアナの産声が上がった瞬間。
突然、どうしても咲かなかった庭園のリアの花が咲き誇った。
まるでリアの花が誕生を祝福しているかのように。
何かの縁を感じずにはいられなかったエレナは子供の名前に花の名前をつけることにした。
自分の名前をベースに花の名前を足して――リアナ。
こうした経緯から名付けられたリアナの傍には常にリアの花があった。
白く美しく輝くその花はリアナにとっても大好きな花だった。
アイリから送られたリアの花はリアナの部屋となった客間に飾られた。
あの時から程なくして床に臥せるようになったリアナ。
窓際で陽の光に照らされて輝く花は彼女に元気を与えていた。
「調子はいかがですか」
食事を運んできたイトリがリアナに声をかける。
それを見て、リアナは起き上がった。
「申し訳ありません。お手を煩わせてしまって」
「いえいえ、とんでもない。こういう時は助け合いです」
起き上がることができてもベッドからあまり離れられないリアナには小さなサイドテーブルが用意されている。
イトリはその上に食事を置いた。
「食べられますか?」
「ええ、少しくらいなら何とか」
そう言って食事に手を付ける。
その動作は非常にゆっくりでリアナの衰弱ぶりがよく分かるものだった。
「話に聞いてはいましたがまさかここまでとは」
「わたくしも驚きです。まるで噓のように体が動かないようになったのですから」
「結局、あの子たちに伝えられませんでしたね」
「ええ、まさか子供たちに泣かされるとは思いませんでしたわ」
リアナの視線は花瓶に飾られたリアの花に移る。
イトリもそれにつられて花を見た。
「私も驚きました。かなり懐かれているようでなによりなことなのですが――」
花を見ていたイトリが視線をリアナに戻す。
その顔からは悲痛な感情がにじみ出ている。
「その時間が限られているとは......悔やまずにはいられない」
「そう言っていただけるだけでもわたくしは幸せ者です。本来ならば1人で野垂れ死ぬはずだったのです」
部屋には暗く重たい雰囲気が流れる。
そこからリアナが食事を終えるまでの間、喋る者はいなかった。
「ごちそうさまでした」
イトリが食器を下げていく。
そして部屋を出ていく際、リアナに聞いた。
「今日は子供たちが来ることになっています。おそらく状況を伝えれば子供たちも遠慮するでしょうが、どうしますか?」
「いえ、わたくしのことを聞かれたら、ここに通しても構いません。今日こそ全てを話します」
「わかりました。子供たちが来ましたら知らせます。それまでは休んでいてください」
「ありがとうございます」
イトリはリアナに微笑んで部屋を後にした。
それから少ししてリアナの部屋のドアがノックされた。
「リアナさん、みんながいらっしゃいましたよ」
「どうぞ、入ってください」
リアナの返事を聞いて、イトリを先頭として子供たちが入ってくる。
その顔にはいつもの活気は見られなかった。
「......だいじょうぶなの?」
最初に口を開いたのはトウヤだった。
「今のところは問題ありませんわ」
「ほんとなの? おねえちゃん?」
「ええ、あまり動いたりはできませんけれど」
実際、リアナの身体は疲労に耐え切れないものになってきている。
こうやって喋っていること今のリアナにとってはかなりの疲労を感じているのだ。
このままいけば起き上がることすらままならなくなるのは目に見えている。
「つーかさ、いきなりそんなに弱ってどうしたんだよ。ちょっと前までは俺たちを助けたりしてめちゃくちゃ元気だったじゃねーか」
ヨウが不思議そうに尋ねる。
もっともヨウがそう思うのも不思議ではない。
つい最近まではリアナは健康そのものだった。
ヨウは教会にこそ行かなかったが、町の中でリアナを見かけている。
それが今は起き上がるのがやっと。
このように突然影響が出てくることが呪いの一般的な特徴であるが8歳の子供がそんなことは知る由もない。
「ヨウがそう思うのも無理はありません。だから皆に聞いていただきたい。今、わたくしの身に何が起きているのか」
子供たちの顔をそれぞれ見た後、リアナは話し始める。
遠く離れたフォルス王国の貴族たるノーヴァス家の令嬢であること。
王国で大きな騒動を起こしたこと。
それが原因で国外追放され、この町に捨てられたこと。
そして追放された際にかけられた呪いで今、床に臥し、やがて死に至ること。
全てを話し終え、誰もが口をつぐんだ。
リアナは子供たちに罪人だと軽蔑されることを恐れた。
子供たちは、このままではリアナが死んでいくことに衝撃を受けた。
イトリは双方の気持ちを汲み取り、あえて口を挟まなかった。
様々な思いが個々人の中で巡る。
真剣に受け止めたが故に、それを口に出すことが憚られる。
状況は完全に膠着状態になっていた。
その状態にいたたまれず、声を上げたのはリアナだった。
「いろいろと言いたいことがあるのは分かります。
ですがこれだけは言わせてください。決してあなたたちを欺くつもりはなかった!
わたくしはただ心地良いここでの時間を失いたくなかっただけなのです。
ここまで黙っていたこと......本当に申し訳なく思っていますわ」
弱った身体を何とか動かし、頭を下げる。
その姿に子供たちは反応するように、それぞれの思いを語り始めた。
「ねえ、おねえちゃん......しんじゃうの? そんなのいやだよ......」
ぽつりと漏らしたのはアイリ。
「なんかさー、俺らが知ってるねえちゃんは今のねえちゃんだけだし、悪い人だっていわれてもよくわかんねえよ......」
リアナに笑いかけたのはヨウ。
「......あそんでくれたり、文字をおしえてくれたのはうれしかった。ちょっとすなおじゃないけど悪い人だとはおもわなかったな」
おずおずと話しかけたのはトウヤ。
皆、戸惑い悲しみこそすれ、リアナを糾弾することはなかった。
「リアナさん、心配はいらなかったようですね」
イトリが優しく声をかけた。
「ええ、本当にごめんなさい。そしてありがとう」
リアナの顔にはもう涙が流れていた。
ようやく話せたという安堵。運命に対しての悲観。
様々な思いが彼女の中を駆け巡る。
そして、かつてないほどの後悔を念を抱くのだった。
王国での事件を起こしていなかったら――
自分にかけられた呪いがなかったら――
この子たちともっと一緒に過ごし、その成長を見届けることが出来たのだろうか。
リアナはそう思わずにはいられない。
事実、このように思うことは何度かあった。
その度に悲しみにくれていたものである。
しかし。
呪いの影響を実感してからは自身の結末が具体的に想像できてしまう。
――ああ、このまま死んでしまうのか。
そう認識してしまってから感じる悲しみは今までの比にならないものであった。
自業自得。
言ってしまえばそういうことだ。
王国での彼女は紛れもなく悪女だったのだから。
それでも――。
あえて言うのならば。
今の彼女は子供たちを優しく見守る良きお姉さんであった。
彼女を慕う子供たちも同じ認識であろう。
リアナは変わった。
周囲からの評価が一変するほどに。
でもそれは環境によるものだったのかもしれない。
悪女であるリアナと良きお姉さんであるリアナ。
どちらも最初から彼女が持つ側面で周囲の環境がそれらを引き出した。
論じても詮無きもしもの話ではあるが。
巡り合わせが違ったなら、悪女として断罪されることもなかったのだろう。
運命は非情にも回りゆく。
子供たちの思慕も、リアナの後悔もその流れを止めることはできない。
残りの時間は少ない。
奇跡などなく、ただ事実のみがある世界で、リアナは終わりを迎えるのである。




