第4話
その日、教会の礼拝堂にはカリカリとペンを動かす音、そして子供たちの唸る声が響いていた。
即席で置いた机には、1人につき1枚の紙。
そこにはリアナの字で、それぞれ子供たちの名前が書かれている。
そしてその下に子供たちは自分の名前を書いている。
「書けましたか?」
リアナが子供たちに尋ねる。
「一応書けたけど、うまくいかないよー」
そう言って、リアナに紙を差し出すのはアイリ。
リアナは受け取って目を通す。
字のバランスは少し悪いが、一応は字として成り立っている。
バランスを意識して練習を重ねていけば、きれいに書けるようになるだろう。
「最初はこんなものです。むしろ良く書けてましてよ」
「えー、ほんとぉー?」と分かりやすく照れるアイリ。
微笑みで返しつつ、リアナの視線はアイリからその横にいる男子2人に移る。
「ヨウ、トウヤ。あなたたちはどうですか?」
リアナに声をかけられて、2人は紙をリアナの方へ突き出した。
トウヤはすごく上手だった。
少し独特の癖のようなものは見られるが、しっかりバランスが整っている。
反対にヨウはすごく下手。
もはや文字とは判別できぬようなものがそこには並んでいた。
「2人ともすごく驚かされましたわ」
紙から顔を上げたリアナ。
するとリアナをキラキラした目で見つめるヨウと目が合う。
「だろー? 俺は天才だからな!」
すごく自信満々。
確かにこれはこれで才能のようではある。
「ええ、初めてとはいえどうすればこんなに下手にかけるのですか」
「えっ」
ヨウはリアナに返された紙を見て唸る。
その横でちらっとヨウの紙を見たアイリが何とも言えない顔をしていた。
「......僕はどうだった」
顔色を窺うように訪ねてきたのはトウヤだ。
「トウヤはすごく上手でしたよ。最初とは思えないくらいです」
「......そう」
素っ気ない返事ではあるが、顔はややほころんでいるように見える。
リアナは皆に紙を返したあと、数回の練習をするように言い、それで初回の勉強会は終了となった。
「むずかしいもんだなー、文字ってさ」
ヨウが机に突っ伏して呟いた。
「慣れたら簡単ですわよ。それまで練習あるのみです」
うへぇー、という顔をするヨウをリアナがたしなめていると、奥からイトリが顔を見せた。
「おや、文字の勉強は終わりですか?」
「ええ、あまり根を詰めるものではないでしょうから」
「確かにそうですね。あちらにお茶を入れましたので一息入れましょうか」
イトリの手が指す方は、小さなダイニングルーム。
リアナたち4人はイトリに促されるまま、部屋に入っていった。
そこに用意されていたのは、人数分の紅茶と少しばかりの焼き菓子。
目を輝かせる子供たちはすぐに焼き菓子が置かれたテーブルを囲む。
子供たちに遅れて、イトリとリアナも席に着いた。
「同業者の方から少し分けてもらいまして。お口に合うか分かりませんが、良ければ是非」
その言葉を待っていたかのように子供たちは歓喜の声を上げる。
焼き菓子に夢中になる子供たちを見てイトリとリアナは穏やかな表情を浮かべた。
「随分、柔らかい表情をするようになりましたね」
表情に優しさを滲ませるリアナにイトリが声をかけた。
「そ、そんなことは」
やや顔を赤らめ、それを誤魔化すかのようにカップに口を付ける。
「はははっ。隠すことはないですよ。喜ばしい事です」
「か、からかわないでくださいまし」
「すいません。そういうつもりではなかったのですが」
他愛ない会話を挟みながら、穏やかな時間は過ぎていく。
そしてヨウのひとことをきっかけに話題はリアナの出身に移っていった。
「そういや、ねえちゃんってどこからきたんだ?」
「ここらへんじゃ見かけたことないかおだよね」
無邪気に話すヨウとアイリにリアナは話すべきか迷う。
この穏やかな空気に包まれていると忘れそうになるが、自分は罪人である。
この町はかなりフォルス王国と離れたところにあるが、隣国の王国のことは少なからず新聞に掲載される。
リアナはここ数日で新聞を読み、ノーヴァス家の没落が掲載されていたことを知っていた。
ここでの生活に彼女は安らぎを感じている。
不用意に情報を与えて、この生活を失いたくはない。
しかし、こんな自分に好意的に接してくれる彼らに素性を隠すのもまた心苦しいものであった。
「わたくしは――」
迷いが晴れぬまま口を開いたとき。
「遠くからいらっしゃたんですよね」
イトリがリアナの言葉に被せるように声を出した。
イトリの言葉を聞いて、子供たちは「やっぱりー」と盛り上がっている。
リアナがイトリを見ると、微笑みを崩さぬままゆっくりと小さくうなずいた。
茶会は、焼き菓子や紅茶がなくなっても続き、結局子供たちの迎えが来てからお開きとなった。
イトリとリアナは子供たちとその親を見送り、カップや皿を片付けにかかる。
「先ほどは、ありがとうございました」
陶器がぶつかる音だけだった部屋にリアナの声が響く。
「いえいえ、お気になさらず。誰しも詮索されたくないことはあるでしょう。......それにしても――」
「??」
「第一声が”どうして”ではなく”ありがとう”とは。貴女もかなり変わられたものですね」
「それなりに貴方の人となりは理解したつもりですから。もう”どうして”などと聞くことはないでしょう」
リアナはこの教会に来た時のことを思い出す。
全てを失い、何もかもを見失っていた自分。
そんな自分を救ってくれたのは1人の老神父の善意だった。
教会に身を置き、時は過ぎてゆく。
悪意に飲まれ、悪意に染まっていた自分が子供たちと笑い合えるまでになった。
きっともっと早くにこんな笑顔を持てていたなら――
そう考えようとして止めた。
もはや時が戻ることはないのだから。
自分は一度失い、そして全く別のものを得たのだ。
過去に未練を抱くような真似は彼らに対して失礼にあたるだろう。
「なんにしても、こちらからは何も聞きません。でも貴女が話したい、話すべきだと感じたならばその時は私は耳を傾けます。貴女の思うままに決めてくれて構いませんから」
「わかりました。決心がついたら必ず話しますわ」
ただイトリはうなずいて、止めていた手を動かし始める。
皿とカップをまとめ、そのまま洗いにかかる。
リアナも手伝い、最後の皿を拭き終わるまで10分とかからなかった。
片付けを終えた後は、それぞれ自室に戻った。
リアナは部屋に入ってすぐにベッドに倒れこんだ。
貴女が話したい、話すべきだと感じたならば――
さっきのイトリの言葉がリアナの頭の中で反芻されていた。
いつまでも隠すべきことじゃないのは分かっている。
そして後へと回すほど、打ち明けることが困難になることも。
忘れそうになるが、自分には期限があるのだ。
いずれ呪いが本格的に影響してくれば確実に露呈する。
そのタイミングで知られることだけは避けたかった。
目を閉じると、子供たちの顔が浮かんでくる。
あの子たちが自分が罪人だと知れば、どう思うのだろうか。
軽蔑? それとも変わらずに接してくれる?
いずれにせよ伝えなければならない。
その気持ちが彼女に重くのしかかっていた。
呪いの期日まで62日。
リアナは真実を伝えることができるのだろうか。
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