第1話
リアナが馬車から降ろされたのは、どこかの寂れた町であった。
目隠しをされていたので当然どこかは彼女は分からない。
推測するにも馬車に揺られていた時間しかない。
もっとも、今の彼女にそんな気力は残っていなかった。
村の東端に立つリアナの目には光が感じられなかった。
そんな目をして立ち尽くす彼女は町を往く人々の目を集めていた。
「なに? あの人?」
「ヤバい目してるぜ。死んでんじゃねえの?」
周りからはひそひそとした声が上がる。
それでもリアナは微動だにしなかった。
彼女の心は完全に壊れ切っていたのである。
しばらく経って日が落ちた。
ようやくリアナに動きが見られる。
彼女は町の中へとふらふらと歩き始めた。
町の本通りをさまようように歩くリアナ。
時々、人にぶつかりながら歩を進めていく。
そうしてリアナの目に留まったのは一軒のパン屋。
ガラス越しに見える様々な種類のパンは今の彼女にとって輝いて見えた。
いくら気力がないとはいえ生きている以上お腹は空く。
リアナは食べ物に飢えていたのである。
しかし、無一文で放り出されたリアナにそんなものを買うお金はない。
かつては身に着けていた高い衣服もアクセサリーも今はなく、換金することもできない。
この時にとれる手段としてあまり褒められたものではないだろうが、他人の情に訴えることもできた。
だが貴族生まれの彼女にそんな発想は微塵もなかったし、あったとしてもできなかった。
食べ物に目移りしつつも町をさまよっていたリアナはとうとう町を横断しきった。
いつの間にか空には月が高々と輝いている。
今から町を出る意味もなく、リアナは近くの路地に入り、うずくまった。
もう季節は冬に差し掛かっている。
寒さがますます厳しくなってくるこの季節。
罪人として放り出されたリアナはボロボロの服一枚しか着ていない。
町中に吹きすさぶ風は彼女の体温を徐々に奪っていった。
次第に身体の感覚がなくなっていき、瞼に重たさを感じてくる。
食べ物もなく、身体を休める場所はない。
そんな状態でリアナが75日を待たずして力尽きるのは明白であった。
リアナの意識が半分沈みかけていた時、
「そんな恰好でどうかされたのですか?」
と彼女に声をかける老人がいた。
「……」
だがリアナは何も答えない。
実のところ、意識が朦朧とする彼女に老人の声はほぼ届いていなかった。
「とりあえず、私の教会にいらっしゃってください。このままでは死んでしまうやもしれない」
何も言わないリアナをその老人は自らの教会へと半ば強引に担いで連れて行った。
その教会は町の西端から少し行ったところにあった。
老人は教会の客間にあるベッドにリアナを寝かせ、毛布を持ってきて暖を取らせた。
リアナはかなり疲れていたようですぐに眠りにつき、それを見届けると、老人も自分の部屋に戻っていった。
その夜。
リアナは夢を見た。
まだ母親が存命であった頃。
リアナの母、エレナはよく絵本を読み聞かせていた。
幼いリアナが好きだったのは、庶民の女の子が王子様と出会ってプリンセスになっていくお話。
気に入ってからは、毎晩のように読んでもらうようにせがんだ。
「え? またこのお話でいいの?」
「うん! リアね、すっごくこのおはなしがすき!」
無邪気に笑うリアナ。
エレナは多くの絵本を用意していたが、娘の希望に沿って同じ話を何度も読み聞かせた。
この後、程なくしてエレナは亡くなるのだが、彼女はその死の直前までリアナに絵本を読み聞かせることをやめることはなかった。
これがたった一つリアナが覚えている母親の思い出。
ぐっすりと眠るリアナの頬には涙が一筋流れた跡があった。
翌朝。
リアナが起きると、ベッドに横になっていたことに疑問を感じた。
彼女は昨夜、意識が曖昧だった故に教会に運び込まれたことをはっきりとは認識していなかった。
それに知り合いもいないような遠方で、見ず知らずの他人を拾う理由も理解できない。
そんなことを考えている内にドアをノックする音が聞こえた。
「起きてらっしゃいますか? 朝食の準備が出来たのですが」
ドアの向こうから聞こえる声にリアナは答える。
「――ええ」
返事をして、ひと呼吸おいてからドアが開き、老人が顔を見せた。
「ああ、良かった。あちらに朝食を用意しています。お粗末なものですがよければどうぞ」
老人はドアの向こうを手で示し、リアナに移動を促す。
しかし、リアナは動かない。
どうしましたか? と首を傾げる老人。
部屋にしばしの沈黙が流れた。
「どうしてですか」
沈黙を破ったのはリアナだった。
返ってきたのが予想外の言葉で老人は目を丸くしている。
「どうして、とは?」
「どうして見ず知らずのわたくしを助けたのですか、と聞いているのです」
煮え切らない態度の老人にリアナの語調が強まる。
そんなリアナとは裏腹に老人は何を聞いているのか、という顔をしている。
「どうしてと聞かれても困ってしまいますね。私は昨夜、偶然、寒さに凍えるあなたを見つけた。見るからに困っている方をそのまま放っておく理由があるでしょうか?」
この答えにリアナは困惑した。
彼女はこの老人の行動原理が理解できなかったのである。
だがそれも当然と言えるだろう。
何せこの2人では人としての在り方があまりに違いすぎた。
片やリアナ。
彼女は渦巻く悪意の中で生きてきた。
弱みを見せれば即座に揚げ足を取られる世界に身を置いてきた彼女にとって無償の善意など信じられないものであろう。
片や老人。
この男は名をイトリ・クリディウスといい、この教会に神父として身を置く者である。
彼は聖職者として他人に貢献してきた。
故に目の前に困っている人がいればそれが何人であろうと助ける以外の選択肢はない。
この在り方の相違は、お互いの困惑を招いた。
「ではあなたは何の下心もなく、わたくしを助けたということですか?」
「下心などとんでもない。私は聖職者ですから」
当然かのように答えるイトリにリアナはただただ驚くばかりだった。
グゥーー。
部屋にお腹が鳴る音が響く。
誤魔化してはいるが、もちろん音の主はリアナだ。
何分、昨日から何も口にしていない。
もっとも、ここには2人しかいないので誤魔化しようもないのだが。
「ふふっ、どうやらお腹が空いていらっしゃる様子。朝食にいたしましょうか」
いろいろ問答はあったが、目の前の食事にリアナは勝てなかった。
用意されていた食事はパンと野菜のスープという簡素なものだった。
リアナがかつて食べていた食事には味も見た目も大きく劣るものなのは間違いない。
それでも今の彼女にとっては骨身に染みるものであった。
分量も然程なく、リアナはものの10分ほどで食べ終わる。
リアナが食べ終わったのを確認すると、それまで黙っていたイトリは口を開いた。
「行く当てはおありですか?」
「いえ......」
「そうですか。ならあの客間を当分の間使ってくれて構いませんよ。何分、長いことこの教会には客など来ていませんから」
そういってイトリは微笑む。
リアナにとっては渡りに船。
しかし彼女はもはや自分のこれからに希望など持っていない。
ここで施しを受け、生き永らえたところで結末は変わらない。
心を砕かれたリアナはそういう考えに至ってしまっていた。
「――わたくしに構わないでください」
そうぽつりと漏らした。
「ですが、そういう訳にもいかないのですよ。当てがない貴方を放り出すことは私の教えに反します」
突き放すリアナにもイトリは一歩も引かなかった。
意外に引き下がらないイトリにリアナはすこし驚いた。
かつての彼女の周りの人間は突き放せばそれ以上関わってこなかったから。
リアナにとってイトリは初めて見る人種だった。
「とにかく、貴女が真っ当な行先を確立するまではここにいてください。ここならベッドもあるし食事も出せる」
「わたくしに真っ当な行先など......ありません」
「それならそれでずっとここにいてくださってもいい」
「――やはり、わたくしには貴方が分かりません」
「分からないのなら、考えてみるのはどうでしょう?ここは教会です。考え事をするならうってつけとも言えますよ」
結果的にリアナはイトリに押し切られる形で教会での滞在を承諾した。
未だ、絶望は彼女の心を覆っている。
しかし、リアナが初めて経験するイトリのような人間に興味が湧いたのも事実であった。
残り74日。
こうしてリアナの思いがけない教会生活が始まった。
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