11-1 イヨと散歩
本日もよろしくお願いします。
翌日、学校を終えた命子たちは、その足で病院に向かった。
待ち合わせしていた馬場と合流して、イヨがいる部屋へと入った。
「ん? やあ、みんな」
すると、パソコンに向かい合っていた教授が、軽く手をあげて挨拶した。
イヨは、ベッドで眠っているようだ。
一方、命子たちに向かって、精霊が2人飛んできた。アイとイザナミだ。
『むーっ!』
『なんっ!』
「かわいっ!」
可愛らしい声で、入室した馬場から順番にお出迎え。その姿は来客者にテンションマックスの犬に似ていた。
その姿に思わず感想を言ってしまう馬場と合わせて、偶然にもテンポの良い三拍子が奏でられた。
『思わず感想を言ってしまう』というのも、馬場は極力、アイを可愛いと言わないようにしていた。だって、腐れ縁の友人と同じ姿だから。なんだか負けた気がするのだ。
「おっ、イザナミちゃんはもう大丈夫なの?」
『なんっ!』
ニコニコする命子に、イザナミは元気にご挨拶。
命子のあとにも1人ずつご挨拶しているので、昨日のお礼を言っているのかもしれない。
「もうイザナミちゃんは大丈夫なんですか?」
改めて、命子は教授に問うた。
「ああ、すっかり良くなったようだよ」
実のところ、イザナミは今朝には精霊石から出て、姿を変えられるようになっていた。命子たちは関係者なので、その際には教授から元気になった報告をルインでもらっている。
この質問は挨拶みたいなものだ。
一方、命子たちに挨拶を済ませた精霊2人は、イヨの胸元に降り立ち、イヨを起こそうとし始めた。
そんな様子を眺めつつ、教授が言った。
「イヨ君もお昼ご飯を食べるまで起きていたんだ」
「ほえー。元気になったんですね。今はお昼寝ですか?」
「ああ」
「やっぱり長時間起きていられないんデス?」
「いや、ルル君。この眠りは恐らく、君らで言うところの、春の5限目の古文みたいなものだろう」
「ポカポカ陽気の猫の原理デス!」
「ニャウ。牧羊猫もヘソ天する時間でゴザル」
ルルがクワッとして言い、隣でメリスがうむと頷く。
ちなみに、今日のルルとメリスは5限目の記憶があやふやだ。
「じゃあ、午前にちょっと事情を訊いたんですか?」
「いや、彼女の心情からも、現代のことを軽く話した程度だよ。不安だろうし、こちらの好奇心をギラギラと押し付けるわけにはいかないからね」
教授はわざわざ言わないが、これは研究者会議で決定されたことだった。
なにせ時を越えた人との接触は前例がないので、どういったコンタクトがベストか誰にもわからず、心理学者などを交えて会議で話し合う必要があったのだ。
と、そんなことを話していると、命子の袖が紫蓮にクイクイと引っ張られた。
「起きた」
見れば、精霊2人にイヨは起こされていた。
「なんじゃー……」
イヨは目をクシクシと擦り、起き上がる。
その動きに合わせて、新しく用意されていた乱れ箱に入っていた髪がにゅるんと動く。
そんな姿をジッと見つめる命子たちは、全員が萌えた。
目をしぱしぱさせていたイヨは、来客の存在に気づいた。
しばし、ほえーっとした顔をしたイヨは、すぐにハッとする。
そして次の瞬間、シュババッとベッドの上に正座すると、頭を下げた。
「りゅ、龍神様。昨日はまともにご挨拶できずに申し訳ありませぬ。龍の民が巫女頭、龍の巫女イヨにございますのじゃ」
その自己紹介を受けて、仲間たちがバッと命子を見た。
対する命子はバッと教授を見た。どこまで話しているのかと。
「地球さんがレベルアップする前までしか説明できていない。誤解も解かれていない」
古代人に説明するには、現代社会はあまりに教えることが多い。イヨは、壁を見ただけでも脱線するレベルだった。
命子はコクンと頷くと、とりあえず腕組みをして強者ぶった。
そうして、ブワリと【覚醒:龍脈強化】。
「め、命子さん、勘違いしてしまいますわ」
ささらが命子の悪ふざけを窘めるが、時すでに遅し。
「ふわぁ、凄まじい龍気なのじゃ……」
イヨが目をキラキラさせて命子を見つめていた。
こいつぁやべぇと命子は強者のオーラをひっこめた。
「イヨちゃん、ごめんね。私は龍神様じゃないんだよ」
命子がそう言うと、イヨはコテンと首を傾げた。
「しかし、お力を隠していようとも先代様を上回るその龍気、間違いなく龍神様……むっ、隠して? ……のじゃ!?」
イヨはなにかに気づいたように、むむむっとしながらささらたちを見回した。
そうして、全て理解したとばかりに命子の目を見ながらコクンと頷く。
「うむ、この方は龍神様にあらずなのじゃ。わらわの勘違いだったのじゃ。イザナミもよいな、この方は龍神様にあらずなのじゃ! わかったかの?」
『なんっ!』
イヨの言葉に、イザナミは枝をフリフリした。
「それ、絶対に私が正体を隠してるって思ってるよね?」
「ほらー、命子さんが変なことするから勘違いなさってますわ」
「でもでも、隙あらば強者ムーブしたい年頃なんだもん」
ごちゃごちゃ言う命子の言葉に、紫蓮が「わかる」と同意した。紫蓮もそういう年頃なのだ。
それにしても、と命子はイヨを見た。
イヨからは昨日の神秘性はなく、普通の子供のように思えた。これが素なのかもしれない。
「まあ、君らのこともおいおい教えていけばいいだろう。それよりも、イヨ君も目覚めたことだし、少し外を歩くとしようか」
「大丈夫なんですか?」
「どこにも問題ない以上は、横になってばかりだと逆に体を悪くするからね。なにより、外に出るのは現代社会を知るうえで良い教材になるだろう。イヨ君、この中で好きな服はあるかい?」
教授はそう言って壁にかかったいくつかの服を指さした。
和服や洋服で、全てがダンジョン防具であった。
イヨはうんしょとベッドから降りて、素足なのを気にせずに服の前まで歩いた。
「ふぉおお、素敵な服じゃの。……外に行くと言うたが、お散歩用かの?」
そこには巫女服もあり、イヨはまずそれを気にかけた。
「うん。今から散歩に行くから、これは着ていく服だね」
「それなら、これとこれがいいのじゃ」
イヨが選んだのは、裾が長めのチュニックとロングスカート、サンダルだ。すべてがダンジョン装備なので、端々に多少のコスプレ感が見られる。
最初に巫女服を気にかけたのにこれらを選んだ点から、服の役割が明確なのだと窺えた。
そうして選んだものを、命子たちがキャッキャとしながら着せ替えてあげる。命子たちも女の子なので、こういうのが好きだった。
「こんなに良い服なのに、腰紐がないのじゃ」
イヨは両手でチュニックの腰を締めてみせ、しゅんとした。
「こんなのならある」
「わぁ、素敵なのじゃ。使っていいのかの?」
「うん」
「ありがとうなのじゃ!」
紫蓮がどこからともなく出した綺麗な布を受け取って、イヨは慣れた手つきでチュニックの上から腰に巻いた。そうして長い髪を結い、精霊石の勾玉を首にかける。
「着物じゃないのね」
「私も正確には知らないが、我々が思い浮かべる着物の原型は平安時代くらいに現れたはずだ」
「ほーん」
「しかし、興味深いね。これが弥生人のファッションセンスなのだろう」
可愛い可愛いと命子たちがもてはやす中、馬場と教授がそんなことを言う。
とくに腰紐のあるなしがこだわりポイントだったらしい。
着替えを終えたので、イヨを伴って病室を後にする。
すでに話がついていたのか、医師と女性看護師も同行した。
「馬場さん、カメラ撮影するんですか?」
馬場がハンドカメラを持っているので、命子が聞いた。
「ええ、資料用としてね。一般公開するかは不明だけど、まあ編集もできるしそこまで気にしなくていいわよ」
廊下に出るなり、すぐにイヨは物珍しそうにした。
そうして、命子にこそこそと言った。
「龍神様、やはりここは伝説の龍宮なのですか?」
「え? イヨちゃんは龍宮を知ってるの?」
イヨの言葉に命子が普通の声で返すと、イヨは少し驚いてささらたちを見回した。ささらたちもまた驚いている。
「みなも知っておるのじゃ?」
龍宮は秘密の場所だと考えているようだ。
「うん。みんな龍宮は知ってるよ」
「そうですか。伝説の場所だったのじゃが、時代は変わるものよのう」
そうこうするうちに、チンとエレベーターが到着した。
自動で開く扉に、イヨは興味津々だ。
エレベーターの中で、教授が問うた。
「なぜイヨ君は龍宮を知っているんだい?」
「わらわのジジ様が龍宮に行き、時を越えたからなのじゃ」
「「「えーっ!?」」」
驚愕する命子たちだったが、エレベーターの中なのですぐに気持ちが沈下して、しばしの沈黙が舞い降りる。謎の気持ちのアップダウンだった。
エレベーターから降りると、そこは1階。
イヨは同じ扉を使ったのに、場所が変わっていることにほぇーっとした。
「これが龍宮の不思議な扉なのかえ?」
命子たちが行った龍宮には、転移門が各階層にあった。
命子たちにとってはエレベーターと明確に区別がつくが、『ジジ様』から話を聞いただけであろうイヨにとっては、勘違いするには十分なのだろう。
そこで命子は、勘違いをまだ解いていないことに気づいた。
「あー、ごめん。ここは龍宮じゃないんだ。笹笠小夜が生み出したクレイジーな町、風見町だよ」
「ちょっと命子さん!? 今の風見町の姿は明らかに命子さんの影響ですわよ!?」
冗談を言った命子は、ささらにもちゃもちゃと制裁された。
「龍宮ではない……やはりずいぶん遠くに来たのじゃのう。不思議なものばかりなのじゃ。ジジ様もこんな気持ちだったのじゃろうかの」
一方のイヨは、遠い目でガラスの向こうの景色を眺めた。
もちゃもちゃ女子高生とセンチメンタル神秘っ子。あまりに温度差が激しかった。
外に出た一行。
車や電線、家など、イヨは見るもの全てに珍しそうにしていた。
そんな中でそれぞれが自己紹介をして、イヨはとくにルルとメリスにびっくりしていた。しかし、海の向こうから来たと言うと、簡単に納得した。
「遠く時を越えてしまったが、山は変わらぬか。あそこは龍神池がある山じゃな?」
「そうだよ。今は風見山と呼ばれている」
イヨが指さすのを見て、教授が答えた。
「今では見る影もないが、この辺りは草原と森ばかりだったのじゃ。でも、山だけはあまり変わらぬ姿なのじゃな」
あっ、こういうの知ってる、と命子たちは思った。
青空修行道場は年寄りが多いので、ちょいちょい昔話が語られるのだ。それによれば、この辺りは畑ばっかりだったという。これは田舎だけでなく都会でもよくある話だ。
しかし、古代の歴史ロマンとお年寄りの昔話とでは、引かれる興味の度合いも違う。
「お主らは巫女衆なのかえ?」
イヨが命子の仲間たちに問うた。
土地の話からいきなり変化した質問なので少し面喰いつつ、代表して教授が言う。
「いや、私たちは巫女とかではないね」
「でも、みなが先代様を超えるほどの龍気を持っているのじゃ。それに……」
イヨは命子をチラリと見た。
命子の近くにいるので、イヨの目にはささらたちは巫女衆だと推測できたのだろう。命子=龍神という根本の部分で間違えているわけだが。
また、その口ぶりから、さきほどまでは命子だけが龍気を放っているのだと思えたが、どうやら違うらしい。つまり、イヨは魔力のことを龍気と言っているようだ。
「今の世の中は、この程度の力なら努力次第で多くの人が手に入れられるんだ」
教授が言う。
「な、なんと! 普通の村人もかえ?」
「ああ、そうさ。君だって同じだ。まだまだ強くなる。そのためにも、なぜこんな世界になったのか、君はこれから学んでいかなければならないね」
「わかったのじゃ。よろしく頼むのじゃ」
龍気を高められるのはイヨ的に魅力的なのか、ふんすとやる気を出した様子だ。
それから少し歩き、カメラマンの馬場が問うた。せっかく撮影しているので、ちょっと良い情報が欲しいと思ったのだ。
「イヨちゃん。卑弥呼が統治していたという邪馬台国はどこにあったの?」
「先代様が女王をしていた国はたしかにあるが、ヤマタイコクなどという名ではないのじゃ。それは海の向こうの者らが勝手につけた名前なのじゃ」
「そ、そうなの。知らなかったわ、ごめんね」
「よいよ。わらわたちの国は、偉大なるジジ様の名前から取り、ヤマトと呼んでいたのじゃ。場所はもう少し海の方じゃの。ここは巫女衆の修行の地だったのじゃ」
「やっぱり風見町は修行の聖地だったのか……」
「ですわね」
2人で修行を始めた命子とささらは、うむとした。
同時に、先ほど土地の話の際に、いきなり巫女の話になった理由がなんとなく理解できた。ここが巫女の修行の場だと知っていたイヨの中では、巫女の話を出すのに唐突さはなかったのだろう。
このように古代人イヨとの対話は、常識や持っている情報量の違いで話が逸れることがよくあった。
話の流れを見つつ、教授もせっかくなので質問した。
「君のジジ様は、どうして龍宮に行ったんだい?」
「浜辺で緑色の不思議な獣を助けたそうじゃの。その獣としばらくともに過ごしたそうだが、ある日、オオカミに襲われて、ジジ様は大ケガを負ったそうなのじゃ」
「カーバンクルだ」
命子の呟きに、仲間たちも頷く。そして、ケガを負ったジジ様のその後の展開が大体予測できた。
「ジジ様がもうダメだと思った時、緑色の獣に海の底にあるという不思議な場所・龍宮に導かれたらしいの。そこは透き通るような氷でできた木が並んだ場所で、その木の中には見たこともない獣たちが浮かんでいたそうな。そうして気づいた時には、ジジ様もその木の中に入り、眠りに落ちたそうじゃ」
「氷の木って、カプセルのことかな?」
命子が龍宮の様子を思い出して言った。
「おそらくそうだろう。昔の人からすれば、透明なカプセルを身近なものに置き換えるのは難しかったはずだ」
教授もそう言って同意する。
「次に目覚めた時、ジジ様のケガは治っており、それからこの世のものとは思えないほど美しい方と出会ったそうなのじゃ。その方から、不思議な力を得たり、様々なことを学んだりしたという」
「これはオトヒュミアさんだね」
「うむ、さすがは龍神様……じゃなかったのじゃ! この方は龍神様にあらずなのじゃ! よいな!」
命子を龍神様だと思っているイヨは、一同に向かって宣言する。
とりあえず、話が逸れるので頷くことでスルーした。
うむと満足そうにしたイヨは、続ける。
「オトヒメ様と別れ、ジジ様は龍宮から地上に戻ったのじゃ。そこではオトヒメ様から聞いた通り、長い時が流れて誰も自分のことを覚えていなかったそうじゃ」
その話を命子たちは知っていた。
ところどころ違うが、浦島太郎の物語と類似点が多いのだ。
「オトヒメ様から、自分が龍神様のお力を借りていると教えてもらっていたジジ様は、龍神様からお言葉をもらい、龍神池を祀り、人々を導き、子を作ったのじゃ」
そこまで聞き、命子たちは脳内でストーリーを分析していく。
つまり、初代は浦島太郎のモデルにされたヤマトという人物で、龍宮に行ったことで当時では考えられないほどのスペックの人間になったのだろう。
龍宮にあるカプセルは途方もなく長い年月をかけることで、地球さんがレベルアップしていなくてもマナ進化が可能なのだ。
オトヒュミアと出会ったヤマトは、様々なことを学んだというが、それは『当時からすれば』だと推測できた。
さらに、『オトヒュミアと出会ったことで不思議な力を得た』というのも、勘違いの可能性が高い。正確には、『力の使い方を覚えた』のだろう。
「ジジ様の子供が、わらわの父や先代様なのじゃ。ジジ様ほどではないが、父や先代様は凄かったのじゃ。先代様はとくにジジ様の力を受け継いでおったの」
では、その子供についてになるが、ここでマナ進化のルールが適用される。
無限鳥居の天狗曰く、マナ進化は次世代に継承されないのだ。何代も続けることで、やがてマナ進化した状態の子供ができるようになるのだとか。
しかし、イヨの話を聞く限り、少しは不思議な力を継承できるのだろうと推測できた。もちろん、その力の根幹を成すのは現代と同じく努力のはずだ。
あと、龍神池の存在もジジ様は知っていたので、その力も使われたかもしれない。
ヤマトの子供である先代様、つまりヒミコは修行の末に国を興すまでになるのだろう。
だが、先代には子供がいなかったため、姪である双子の姉妹がヒミコの行なっていた仕事を分担して行うことになったわけだ。これがイヨとトヨだ。
「精霊はどうして手に入ったんデス?」
ルルが問うた。
キスミアにも精霊洞窟があるので、気になるのだろう。
「龍神様から授かったのじゃ。巫女衆は龍神様や精霊の力を借りて働いてきたわけじゃな」
ルルはふむふむと頷くが、教授や紫蓮はこの考え方を疑った。
精霊が龍神池で採取されたのなら、宗教家であるイヨはそれを龍神からの授かり物と考えてもおかしくないのだ。つまり、普通に手に入れたものを龍神様からの授かり物と言っている可能性がある。
「それが真の歴史なんですのね」
一方で素直なささらは感慨深げだ。
それにしても、初代や先代のような存在がなぜ記憶に残らなかったのか。
教授が尋ねる。
「イヨ君、我々には君らが過ごしたヤマトという国の伝承がほとんど残っていないんだ。主に海の向こうに残っている歴史書から君たちのことを調べているのだが、それには龍の巫女という言葉は一切出てこない。これはなぜだろうか?」
「あー、それかー」
イヨはため息をついて言った。
「海向こうの者らは、気のいい連中だったのじゃ。まあ、命がけで海を渡ってくるゆえから、不要な諍いを恐れたのだろうとジジ様や先代様は言っておられたけどの」
「ふむふむ」
「あやつらは少しわらわたちのことを下に見ているようだったのじゃが、まあそれは気にするほどでもなかったのじゃ。そんな中でただ一つ、あやつらはとても怒ることがあったのじゃ」
そこまで聞いて、教授と紫蓮は全てを理解した顔をした。
命子はすかさず紫蓮のわき腹に指突を入れ、理解していたことを忘れさせた。紫蓮はぽかぁと命子を引っぱたいた。
「あやつらは、わらわたちが龍の巫女を名乗るのをとても嫌ったのじゃ。なんでも、海向こうの王こそが龍の力を持つ者だと言うておったの」
「補足だが、大昔からチュゴーの文化圏では龍をかなり強く神聖視しているんだよ。王朝が変わっても基本的にそれは変わらないんだ。ヤマトの人を下に見ていたのなら、龍の巫女を名乗るのだけは許せなかったのだろう」
教授が補足し、イヨも頷いた。
「だからわらわたちは、表向きは森羅万象を崇める巫女としておいたのじゃ」
「ふむ、八百万信仰の原型はそれか……? しかし、君らはそれで良かったのかい?」
「良いも悪いもないのじゃ。言い争いはやがて喧嘩になり、喧嘩はやがて戦になるのじゃ。戦が起これば恨みが宿り、正しい心を持った者の魂もやがて汚れてしまうかもしれないではないか。理不尽な暴力に屈する必要はないが、意地を張って戦をしては、龍神様の教えに背いてしまうのじゃ。わらわたちが龍神様と共にあるのは、わらわたちが知っておれば良いだけの話だからの」
「魂の汚れ……カルマのことか……」
教授の言葉に、命子たちも頷く。
その時、ふいにイヨに声をかける者が現れた。
『こんにちは。今日は春日和の気持ちがいい日ですね』
「な、なんじゃー!? ここ、こにちはなのじゃ!」
イヨは後ずさりながら、ご挨拶した。自動販売機に。
イヨが眉毛をへにょんとさせて助けを求めるように見てくるので、命子はニコリと微笑んで言った。
「これはお買い物をするためのものだよ。ほら、これがお金。ここに入れて」
命子に言われるがまま、イヨは受け取った硬貨を投入口に入れていく。その手元で、イザナミも何かを学んでいる様子。
「イヨちゃんはどんな味が好き?」
「甘いのが好きなのじゃ」
「じゃあメロンクリームソーダデス!」
命子は背中側からイヨの手を取り、ボタンを押させた。
ガコンとペットボトルが落ちてくる。
「ほわー……」
ルルがペットボトルを取り出すと、イヨの前でフタの開け方を見せてあげる。
「これは海の向こうにある猫の国の国民ジュースデス」
「もうルルさんも! 変なことを教えちゃメッですわよ!」
そんなこんなでイヨに飲ませてあげると、イヨは初めての炭酸に目を真ん丸にしてシュピピと体を震わせた。
「とっても美味しいのじゃ!」
「んふぅ!」
ルルはニンマリすると、イヨも年相応の笑顔を見せた。
命子が言う。
「イヨちゃん、今の世界にはその飲み物やこの大きな箱みたいに、不思議なものがたくさんあるんだよ」
「うむ。さっきから難しくてよくわからぬのじゃ……」
イヨがそう言う間にも、車道では車が1台通り過ぎていく。イヨにはあれがなんなのかよくわからない。
だが安心してほしい。命子だってガソリンとエンジンの区別があやふやだ。
「そっか。でも、中身がどうなってるのかを全部知る必要はないんだ。知りたかったら知ればいい程度。この中で一番頭がいいあのお姉さん、教授だって、世の中の全部を知っているわけじゃないんだ」
「畑を耕す者が、山で狩りをする者の仕事を全て知っているわけではないのと同じことなのじゃ?」
「まあそうだね。今の世界はそれがずっと複雑になってるんだよ。だから人はそれぞれ専門のことを勉強するわけなの。専門の人は中身がどうなっているのかもわかっているけど、それ以外の人は、それがどういう役割を持っているのかさえ知っていれば、生活には困らないんだ」
「複雑になっただけで、昔と変わらぬのか……では、龍神様はなにが得意なのじゃ?」
「私は魔法と冒険だよ」
命子はそう言うと、右の手のひらの上にポケットの中から飴玉を転移させた。
それは昨日覚えたばかりの物体転移の魔法だった。
さらに、左の手のひらも上に向け、右手から飴玉を転移させる。
「ふぉおおお、さすが龍神様なのじゃ!」
イヨから尊敬の眼差しを向けられて、命子はむふぅとした。
というか、イヨは龍神様と呼んでいることに気づいていない。
「なるほど」
そんな命子の話を聞いて、教授はとても感心した。
学者たちはイヨの教育をどのように行えばいいのか現在進行中で議論しているが、それは難しく考えすぎているきらいがあった。
話を聞く限り、イヨの理解力は現代人と遜色なく、命子の語った話くらい単純なやり方のほうが早く現代社会に馴染めると思えた。
と、そんなふうに思う教授のスマホが鳴った。
「おっと時間か」
「帰りますか?」
ここまで黙ってついてきていた医師が尋ねた。
「いや、このアラームはこのあとの予定のためのものです。ちょっと記者会見に出ることになってまして」
「えっ、教授、テレビに出るの!? エネーチケー!?」
エネーチケーに妙な憧れがある命子である。
「エネーチケーも来るかな? 精霊とついでにマナ進化の報告をするんだよ。というわけで、ちょうどいいし戻ろうか」
「だってさ、イヨちゃん。今日はそろそろ帰ろうか」
命子はそう言って、イヨと手を繋いで歩き出した。
そんな命子の横顔をイヨは見つめ、龍神様は優しいなと思った。
こうして、イヨの初めてのお散歩は終わるのだった。
読んでくださりありがとうございます。




