最終話 生きることを諦めなかった猫、ライ
悲願である一キロ到達と予防接種を達成し、部屋の中を縦横無尽に走り回り、元気いっぱいになったねこさんと、なぜかみっちりボディーになって、ゆったり、のんびりした老齢のひなさんとともに、毎日を楽しく過ごすぼくに、ハットリくんはこんなことを言った。
「まぁ、あいつは長生きできなさそうだよな」
ねこさんの話になるたびに、スピリチュアルハットリ氏にはことごとく『短命宣言』をされている。確かに、彼の言わんとすることもわからないではない。拾った当初は本当に生きる気力もない目をしていたし、風邪がひどくて、顔なんて見られないほどくしゃくしゃになっていた。黒い塊が、目や鼻の周りにこびりつき、動きものんびり、とても子猫とは思えなかった。生きるか、死ぬかの橋渡り。そんな苦難から生きることを選び取ったはいいけれど、いつまで経ってもぽっちゃりボディーにはならない。
「あいつが生きることを選んだのは、ひなのおかげだよ」
このとき「ぼくは?」と聞けば、そこはさらっとスルーされた。
「ひなの最期をさ、きっと一緒に看取ることになると思うんだよな」
ぼくと一緒に彼女を送ってくれるだろうと言うぼくに、けれどハットリくんは「どうかなぁ」と否定的な言葉を口にした。
「ひなを看取っても、追うことになるかもしれないしな。それに逆の可能性もある」
「ひなはもう年だし、生きられたとしても、あと二年くらいだぞ? あんなに元気なライが先になるかなぁ?」
「さっきも言ったろう? 今のあいつがあるのは、ひなあってこそなんだって。ひなが先に逝ったら寂しいだろうし、ひなも連れて行くかもしれない。それに、ひなを一人で逝かせるのも、あいつを一人にするのも心配じゃないのか?」
そう言われれば納得できないこともない。しかしだ。どうして、こんな話になるのだろう? ひなさんはぼくが心配で寿命を延ばしていると言ったのに、どうしてぼくを一人残して逝けるだろう? むしろ、二代目ができたと安心するのではないだろうか?
「とにかく、気をつけろよ。無事に大きくなっても安心できないからな」
後遺症もあるかもしれないんだから……と、ハットリくんは念を押した。
後遺症――小さいうちに肺炎を起こすと完治せずに後遺症となり、再発しやすくなるという。肺炎は大きくなっても死に繋がりやすい病である。三百五十グラムの体重であった小さい身体に比べれば体力はあるだろうが、それでも負担は大きいに違いない。
「うん……そうだね」
実際、ぼくたちに残された時間はどれだけあるのだろう? 一緒にこうやっていられる時間。きっと、それは思っているよりも短いのだろう。それでも、一分でもいい。一秒でもいい。長く、この時間を共有したい――日々、そう願ってやまない。
思いもしなかった出会いから三か月以上が経った今、ひとつの命を救うことの意味を強く噛みしめている。
日本の各所で動物虐待は多発していると聞く。猫の場合は野良だけでなく、飼い猫の首輪を外して虐待するケースや、餌を与えた野良猫が子供を産んでしまい、子猫を生き埋めにする事件もあるらしい。こういう心無い虐待が増えている一方で、動物が可愛いとペットショップで購入し、飼いきれなくなって放置するということも起こっている。
車を運転していて飛び出してきた動物をひき殺してしまうこともある。この場合、その死骸の処理はゴミと同じ扱いになる(ぼくの住む市区町村では、死骸は燃えるごみとして、指定日に捨てることが書かれていた)のだが、こういった状況をどう思うだろうか?
ひとつの命をはぐくむことは覚悟なくしては決してできない。可愛いだけでは育てられない。生半可な気持ちでは、命は繋ぐことができないのだ。それを身を持って経験してみて思うことがある。
いのちを生み落すためだけに劣悪環境で生かされ続けている命があること。生まれてきたけれど、病に侵されていたり、烏に襲われてしまったり、母親に食べられてしまったりして生きられなかった命があること。途中までは愛情を持って育ててもらったのに、手に余って捨てられ、殺傷処分される運命になってしまった命があること。人間たちの玩具にされて、苦しみながら亡くなった命があること。
その一方で、劣悪環境から救い出そうと日々戦っている人がいること。保護し、大きくし、信頼できる人の手へ譲渡しようと頑張る人がいること。最後まで家族として迎え入れて、大切に育てる人がいること。悲しみを押し殺して、殺処分という仕事を全うしている人がいること。虐待する人を摘発する人がいること。
この二つの側面、現実があることを知る――きっとそれが、ひとつ、ひとつの命を拾い、繋げることになるのではないかと、ぼくは思う。
生きることを諦めた、死んだような目をしたねこさんを拾ったぼくは、彼と出会ったことで、今までは興味もなかった世界を知ることになった。この話がいのちの重みを、その意味を深く考えるきっかけになってもらえたら、こんな嬉しいことはない。悲しい道をたどることになる命が一つでも多く救われることを願いながら……
生きることを諦めなかったねこさんと、まだまだ新米飼い主であるぼくと、そんなぼくらに寄り添ってくれるひなさんと、スピリチュアルな発言も多いけれど、頼もしいハットリくんと、山あり谷ありの生活は始まったばかりなのである。
(ここ最近のねこさん、ひなさんの様子)
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