第十八話 おまえはバカか!?
ねこさんの具合がみるみる悪くなっていく中、ぼくは必死に体重を増やすことだけ考えていた。頭にあったのは、一キロにならなければ抗生剤を使えないという先生の言葉だったから、とにかく体重を三百五十グラムよりも増やして、少しでも抵抗力をつけて受診をしたかった。
ねこさんはうちに来てから、ほとんどの時間を寝て過ごしていて、歩いてもすぐに立ち止まって、じっと動かない。ちんまりと座っていて微動だにしない姿は、某アニメの魔女の女の子の相棒の黒猫のようで、それはそれで可愛かったのである。がしかし、この動かない、じっとしているということが、いかに危険な状態であるのかは今になってみないとわからないわけで。このときの無知すぎるぼくは、大人しい子だよな、この子という認識しかなかった。無知は怖いのである。
さて、ぼくが体重増やしに躍起になっていると、ハットリくんが「おいっ」とねこさんを見ながら、ぼくに声を掛けた。
「こいつ、絶対にヤバいから、すぐに獣医に行けよ」
「だってさ、体重増やさないと、抗生物質投与できないって言われてるし。まだ四百ないし、受診の約束まで一週間あるし」
するとハットリくんは呆れたように「おまえはバカか」と言ったのである。
「真面目すぎるのも程があるぞ。あのな、確かに二週間後においでねって言われたんだろうけど、それはなにもなければ二週間後で、ヤバかったらすぐに来いよっていうのに決まってるだろうが」
「治療受けられないのに行ってどうするんだよ」
「この状態は治療レベルだよ!」
ねこさんは鳴かない。大好きなもふもふタオルともふもふ毛布に移した時だけは喉をゴロゴロ鳴らすが、それ以外は少しも鳴かない。いや、鳴くけれど、声が出ない。出てもか細すぎて、耳を傍立てなければ聞こえないほどだ。
「おまえが連れて行かないなら、オレが行くぞ」
「明日、行くよ!」
喧嘩もんかである。すでにハットリくんは第二の保護者となっていた。それもそのはず。彼は常にぼくとねこさんのアドバイザーという立場で見守り続けているのだから、当然、ねこさんのことは我が子のように可愛くなってくるだろう。たとえ、毎日一緒にいなくても、毎日様子を聞かされ、写メを送られ続ければ、愛着もわく。
そんなこんなで、翌日、ぼくは仕事を終えて獣医さんに向かった。先生に一週間の経過を報告すると、先生の表情は固くなった。
「体重が増えないっていうのは、かなり問題だね」
体重を量って、ぼくは愕然とした。診察台のデジタル表示の数字を見て、心臓が止まるかと思った。
『350』
は?
朝は三百七十あった体重。けれど何度やり直しても、三百五十の数字は変わらない。一週間で微動だにしなかったのだ。これを見て、先生は「これはもう、抗生剤使うしかないね」と腹をくくった様子だった。
「とにかく、風邪を治さないとね。命に係わるから」
そこで注射を打つことになった。実はずっと前に、SNSのフォロワーさんから『肺炎になると大変に危険』という話を伺っていた。いや、まさか、そこまでなることないでしょうし、そうならないようにしますと心の中で誓って世話をし続けてきたのだが、ここへきて、その病気が現実味を帯び始める。肺炎は人間だって、かかれば死に至ることになる病気である。発見が遅ければ、さらに致死率は上がる。それはどうしたって避けたかった。
指一本分程度の小さな注射器がぶっすりとねこさんの身体に突き刺さると、それまで反応の薄かった彼がジタバタ暴れ『ギャー』と鳴いた。
ごめん、ねこさん。がんばれ!
できれば、初めての注射は予防接種にしたかった。けれど、そんなことも言っていられない。どうか、薬が効いて、元気になりますように――
抗生剤は三回打つという話になり、結膜炎もどうする? と聞かれた。パラボラアンテナみたいなやつ(カラー)をやれば、こすることがなくなり、目もよくなるだろうと言われる。
「とにかく、治してやりたいので、お願いします」
ぼくが見ていないときに目をこすっているらしく、一向によくならない目。腫れもおさまらなければ、目ヤニだって出続ける状態。とにかく、一つずつ、彼の健康状態を回復したいという一心から、ぼくはアンテナ状態を選択した。
はじめて異物を装着されるねこさんは、注射以上に抵抗した。ジタバタ、ジタバタして、診察台から二回も転がり落ちそうになり、先生に首根っこ掴まれて、急降下は回避したが、首に重たいプラスチック製の装置をハメられ、首が重くて、ゴロン、ゴロンと転がってしまうのは、本当に胸が痛んだ。
「明日、明後日と続けて打ちたいんだけど、明日はお休みだから。十時か五時に来られれば打つけど、どうかな?」
「すみません。明日はどうしても仕事で抜けられないんです」
「じゃあ、仕方ないね。二日後に二本目ね」
かくして、ねこさんはパラボラアンテナ状態になり、水を飲むのも、食事をとることも、さらに大変な状態になる。
ぼくのひとつ、ひとつの選択が過ちであったのだと、心底、後悔することになるのは、この三日後のことである。
※お腹を触ると、それが嫌で少し抵抗するが、本当に今思うと弱々しい力だった。これが彼の精いっぱいだと気づいてあげられればよかったのだけれど……




