世界の叫び声
――この世界は、すでに軋んでいる。
「……?」
誰かの声が聞こえた気がした。
そう思って振り返ったところ、アハレイムの街の案内人さんが、不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「……どうか、されましたか?」
「あ、いいえ。誰かに話しかけられた気がしたので」
気のせいか?
もしくは誰かまた、俺の中の『伝説』が語りかけていたのだろうか。
そう思って耳を傾けてみるも、続く誰の言葉も無い。
「お世話になりました。おそらくは後日に、自分たちの訪問の連絡が行くと思うんですけど。先に法国の首都に向かわせていただこうと思います」
「ええ。旅路をお気を付けて。移動はワイバーンということですので心配はしていませんが、この先はモンスターの多く出る土地もいくつかありますので」
案内人さんに別れを告げ、見送りに来てくれた街の偉いひとたちにも返礼をする。
モンスターの出る土地か。やっぱり、この国にもモンスターは多いんだな。
エルダードラゴンの威光でモンスターが少ないかと思ってたけど、そのエルダードラゴンが大霊峰から滅多に降りてこないんじゃなぁ。
「ワイバーンにもエサは必要ですし、途中で狩りをしながら首都に向かうのは良いかもしれませんね。素材も手に入りますし、これでも、冒険者でもあるんですよ」
俺がそう軽く笑って言うと、案内人さんは、少し緊張した顔で苦笑した。
「それは勇ましい。……ですけど、素材を手に入れるのは難しいと思います。この先の大湿地のモンスターは、死骸を残さないので。倒すと、消えてしまうんですよ」
死骸を残さない、倒すと消える――
その説明に、俺にも緊張が襲いかかった。
案内人さんの説明した特徴には、覚えがある。
王国の、『魔の森』の異形モンスター、アビスエイプと同じだ。
「……『魔界』……が、あるんですか。この近くにも」
「はい、そうです。大霊峰の奇跡により、大昔に討伐されたものも多いのですが。それに至らず、法国の技術で『封印』された土地も、国内にはまだ多く残っています。……大湿地帯もその一つで、居住区が作られていない理由の一つにもなっています」
そう、か。
聞いた話では『魔界』は大陸中に散らばっている。
この国にあってもおかしくないし、エルダードラゴンでさえ犠牲を避けられなかった相手だ。根絶されずに、まだ残っているのも不思議じゃない。
人の生きる街。その隣にある死地。
その剣呑な存在に、俺たちの表情は一様に重いものになった。
貴族門の衛兵さんたちに手を振り、街道を少し進んだところで、移動の準備をする。
「――時田。お前らは、ここで屋敷に送り返すよ。待っててくれ」
「はぁ!? 何言ってんだ、お前!?」
「コタロー!?」
突然の俺の提案に、時田や日本のみんなが、目を剥いて声を荒げる。
空の旅なら危険は少ないかと思ったけど、事情が変わった。
日本のみんなは連れて行けない。
「聞いてくれ、時田。『魔界』ってのは、この世界の外来種――俺と同じ、『魔法』の一部だ。俺が以前相手した奴は、高スタッツのモンスターを無限に生み出す、当時の俺より格上のバケモノだった。……みんなを、そんなのと戦わせるわけにはいかない」
俺と同種の、この世界に無い『法則』でありながら。
俺と同格、あるいは俺よりも格上の相手。
この世界の野生のモンスターは、正直に言えば意外性は少ない。
創作ファンタジーに出てくる能力が、明文化されただけのような、自然発生のモンスター……つまり、この世界の『ルール』の内側にいる存在で、それを超えるスキルを持った相手は少ない。
けど、『魔法』は違う。
モンスターの無限発生のような、この世界のルールの『外側』の奇跡をたやすく起こす相手だ。
いざ相手にすれば、どんな能力を持っていて、なにをしてくるか、わかったもんじゃない。
そう説明すると、時田は眉間にしわを寄せて、俺をにらんだ。
「そうなんだろうな。お前って実例がいるから、それはわかるよ。――だがな、俺らが足手まといだから置いてくってんならともかく、俺らを気遣って安全なところにいろってんなら、俺たちもいい加減に怒るぜ?」
時田の気迫に俺が逡巡していると、シノさんたちが続く。
「危ない場所だっつーんなら、なおさら人手が要るだろ。お屋敷でのんびり遊んでた今までとは話が違うやな。……オレたちを屋敷に置いて? で? お前は何すんの? もしものときにフルメンバーで挑まず、ライフ一点足りずに負けるような真似すんの? アホか」
「シノさんの言うとおりだな。できることをやらずにいて、また望んでないことが起きることほど、悔しいことは無いぜ。俺らにスキルがあるのは、むしろこのときのためだろ」
「シノさん……倉田さん……」
その後ろで、かねやんが、不安そうな顔で俺に尋ねる。
「コタローさん……また、お別れッスか? オレら、そこまで頼りないッスか……?」
ぐ、と言葉に詰まってしまう。
ごめん。勝手に死んで、勝手に冒険して命張って。
みんなの知らんところで死んで、みんなの知らんところで何度も死にかけていた。そのことを、みんなは許してくれてないようだ。
だろうな。逆の立場だったら、俺だってついていくよ。
もう、何も言うまい。
みんなもカードゲーマーだ。「できることをやらずにいて、何かを失う」ことに耐えられる人種じゃない。
カードゲーマーは、貪欲なんだ。大事なものを、無くしたくない。
「わかった。なら、全員で行こう。案内人さんに、首都の方向は聞いてるから、日本組は各自でワイバーンを召喚してくれ。自分で指示できた方が、振り落とされにくい」
俺がそう言うと、みんなから喝采が上がった。
みんながそれぞれのワイバーンを召喚し始める。
交通手段として複数のワイバーンを喚ぶことは、もうアハレイムの人に言ってあるからな。お互いの連絡は、『微風のささやき』を使えば会話できるだろう。
「……あのな。そもそも、封印の大元である法国内の『魔界』だぞ? 封印が解けることを考えること心配するのは、考えすぎではないか、コタロー」
ナトレイアが呆れたように息を吐く。
わかってる。それは、わかってるんだけど。
胸騒ぎがした。
どうしようもなく嫌な予感、というか、俺の中の『伝説』たちが警告を上げているような。
その予感を払拭できず、俺は護衛戦力として、エミル、ハンジロウ、ラトヴィニアスを召喚しておく。
『ありがと、マスター。そーだよねー、やっぱりエミルちゃんたちがいないとねーっ!』
呑気な声を上げるエミルとは裏腹に、ハンジロウとラトヴィニアスは神妙な顔で同行し、何も言わなかった。
二人は何食わぬ態度でいるが、その沈黙が、何かを隠しているような印象も受ける。
エミルのはしゃぐ態度も、空元気のように見えるのは考えすぎだろうか?
けれど、三人が何を言わないでいるのかを聞くのは、ためらわれた。
確信があるのなら、こいつらは俺に教えてくれるはずだからだ。そうしないと言うことは、懸念があるだけで、まだ何も確定していないからだろう。
ただ、一言。
「……『魔法』が近づくことで、『世界』が安堵に緩まなければ良いのだけどね」
「……託されたならば、それはそのときのこと、お館様たちをお守りするのみだ」
託す。
ラトヴィニアスとハンジロウの会話の意味はわからなかったが。
何かが起こる、エミルを含めた三人は、そう案じていたようだった。
「行くぞ、出発する!」
みんなの喚び出したワイバーンに別れて乗り、首都へ向けて飛び立った。
******
それに気づいたのは、移動し始めて一時間ほど経った頃だ。
前方の地面の色が変わっていた。
黒く、陽光を反射してテカるような光沢がある。
水気のある土地だ。
「あれが大湿地か?」
「だろうね。泥炭の供給地という割に、採掘拠点が作られてないみたいだから、モンスターが多いんだろうね」
同乗している所長が、目の上に手をかざして、推測を口にしてくれる。
さすがにここら辺までは、所長も訪れたことはないらしい。
所長の領地も、他の貴族の領地を一つ挟んでるもんな。
あんまり法国の内部までは入ったことは無いのか。
動くものの姿はさすがにこの高度からでは見えないけど、建設物らしき影も見えない。
「……お館様。ワイバーンの速度を緩めないでくだされ。駆け抜けましょうぞ」
「ワイバーンより強い飛行モンスターでもいるの、ハンジロウ? そんな敵影は見えないけど?」
ハンジロウの進言に、アシュリーが不思議そうに周囲を見渡す。
飛行型の敵モンスターがいても、ワイバーンなら大抵の敵を返り討ちにできるし、そもそもこっちの飛行速度に追いつけないから、楽に振り切れると思うけど。
そう思っていると、懐に引っ込んでいたエミルが、顔を出して言った。
『封印が緩んでるんなら、変に刺激しない方が良いよー。……こっちの意志に関わらず、押しつけないといけないほど、「弱ってる」可能性もあるし』
弱ってる? ……封印が、か?
どうも、エミルのつぶやきは、そういう意味じゃ無く、もっと別のものを指してるような気もするけど。
まぁ、大湿地帯はすぐに通り過ぎるから、別に良いかな?
――この世界は、すでに軋んでいる。
そんな、耳に触れた言葉を思い出す。
いや、あれは空耳だったか。
『……「停滞」した水は……淀み、腐っちゃう……』
ぽつり、と。
風に紛れて、エミルが、そんなことをつぶやくのが、かすかに聞こえた。
淀み、腐る。停滞。
停滞――しているのは、確か、この世界?
世界が、軋む。
弱ってる――世界が、弱ってる?
――だから、
だから、
……俺が、この世界に、喚ばれた?
大地が、震えた。
地響きのように、轟音が聞こえた。
けれども不思議なのは、その音は振動による低い鳴動ではなく、もっと甲高い、悲鳴のような音だった。
まるで、ガラスが砕け、こすれ合わさるような――
「――なんだ!?」
『ハンジロウ! 来るよ!』
「やはりか! ……お館様、警戒を!」
エミルとハンジロウが、揃ってワイバーンの背で、後方を振り返る。
俺は急いでワイバーンの飛行する方向を転換し、二人の見ていた方向を確認した。
「なっ、なん……だ、ありゃ!?」
空が、割れていた。
大気が割れ、通り過ぎた大湿地帯の上空に、宇宙空間のような巨大な亀裂が生まれ、そこから黒い地上に『何か』がしたたり落ちている。
その黒い『何か』が大湿地帯に吸い込まれ、まるで――
湿地が沸騰でもするように、地面のあちこちがぼこぼこと隆起して沸き立っていた。
『あちゃー……封印より先に、「世界」が持たなかったか……』
「やはり、分かたれても異界の神か。根源でも抑えきれず、相当に『軋んで』いたか」
「エミル、ハンジロウ! アレを知ってんのか!?」
戦闘態勢を取る二人。
エミルは魔術砲身を展開し、ハンジロウは片手剣を抜いた。
『マスター。ご準備を。……アレは、マスターの倒した「災厄」の同種です』
「お館様。――我ら『伝説』、世界に刻まれし存在なれば、この身は生身ならず、世界の一欠片。ゆえに聞こえるのです。この世界を成す『根源』の悲鳴が」
二人の見据える先には、『災厄の大樹』と同様の黒。
潮流でこそ無いけれど、逆に地上にしたたり落ちては、湿地の『魔界』と呼応している。
これは、封印が解けた――
……いや!
封印を、解いている!?
モノスコープを装着したエミルと、ハンジロウが揃って俺を見る。
二人は決断を迫る強い口調で、俺に告げた。
『マスター。今こそ、選択と、お覚悟を』
「この『世界』は……もはや、長くはありませぬ」




