伸びる影【part 山】
異世界邸が今年三度目となる未曽有の大事件に巻き込まれた夜から数えて二日後。
「うひょー♪ 神の砲撃じゃ流石に消し飛んだかもって心配だったけど、ちゃんと元に戻ってる☆ 管理人には感謝だぜ♡」
異世界邸二階居住区最奥部。
四部屋分の壁をぶち抜いた自室件研究室にて、ようやく医務室から解放されたセシルが満足げに頷きながら部屋を見渡した。
一見すると配架の規則性がなく、なんなら一部平積みになっていたり、床も床で未装丁の研究資料や魔術書、スクロール等が山積みになっている。しかしただ乱雑に散らかっているわけではなく、その配置一つ一つに魔術的意味が付与されており、部屋全体で堅牢な結界魔術が形成される構造になっていた。
とは言え、先の機械仕掛けの神の粛清やティアマトの竜軍大量発生の前では防ぎきれないだろうと諦めていたのだが、貴文が新たに得た力とやらで異世界邸その物の時間を戻して完全修復させたおかげでセシルの部屋も元通りだった。
「それにしても、管理人は一体何になるつもりなのかにゃあ♪」
そっちはそっちで気になるが、今のセシルの興味優先度は三番目が良いところだ。
一番は古巣を抜けた理由であるとある魔導書で不動だが、二番目は異世界邸担当医である栞那の旦那である翔からの依頼だ。
しかも、これまで魔術分野に一定の距離を保ち続けていた友人のフランチェスカとの合同依頼となる。里帰りから戻って来た彼女は魔力に対し独自のアプローチを定めたこともあり、これからはお互い一層深く込み入った議論や知識共有が可能となった。
セシルにとってそれは異世界邸に漂着して以来最大の歓喜であり、危うく鼻血が出るところだった。
ここで鼻血など出した日にはもう一日医務室に縛り付けられるところだったため、堪えた自分を誰か褒めてほしい。
とは言え名実ともに相方となったフランチェスカは現在、破壊されつくしたポンコツを始めとしたTXシリーズの治療のため異界監査局へ出向する準備の真っ最中だ。戻ってくるまでは相応の時間がかかるのが予測されるが、それまでにやるべきこと、やりたいことを整理しなければならない。
セシル・ラピッドという魔術師としては随分と長く存在してきたが、やりたいこと、知りたいことを全て網羅しようとしたら時間はいくらあっても足りない。
「にゅふふふふ~♪ まず何から試そうかな☆ ご注文の治療器具にぶち込む魔導具は最優先として、副機能としてアレとコレと、アッチとソッチも欲しいし――」
「随分と上機嫌ですね」
控えめなノックと共に入室の許可を待たず、部屋のドアが開かれた。
振り返ると、ここ数日異世界邸を留守にしていた管理人補佐のアリスが呆れ顔で立っていた。
「やあアリスちゃん、おかえり♪ 束の間の休暇は楽しめたかな☆」
「なにが休暇ですか……無茶な指示を出したのはあなたでしょうに……」
「おやおやそうだったかな♪」
ケロリと笑みを浮かべ、わざとらしく瞳の残る左目を明後日の方へ向けた。
「本当に大変だったんですからね……大魔術師様に頼んで幻獣界からこっそりドラゴンを派遣してもらうのは本当に骨が折れたのです」
「うんうん、本当にありがとね♪ ティアマトなんて大物を寄越してくれるとは予想外だったけど、おかげで異世界邸が面白おかしくなって最高だったぜ☆」
「知ってますよ、私さっきまで連盟でそれ関連の片付けやってましたからね!? ああもう、何がどうなったらティアマトの暴走と魔法士協会幹部襲撃と神の制裁がブッキングするんです!?」
「はっはっはー♪」
キャンキャンと子犬のように悲鳴交じりの不満をセシルに向ける。
しかし当の本人は全く堪える様子もなく笑みを一つ挟み、
「でも今回の件はアリスちゃんの狙い通りだったりするんだろ?」
刺青だらけの顔の右側を歪ませ、口角を持ち上げた。
「……はい?」
「『竜の卵の母親役を探してきてほしい』――その案件なら、始祖竜ティアマトは確かに最適解だろうね♪ でもいくら何でも大物過ぎる☆ 役不足もいいところだよ♡」
「い、いきなりどうしたのです?」
困惑気味に首を傾げるも、セシルは取り合わない。
「というか、子育て経験のあって意思疎通が取れるなら中位ドラゴンで事足りたはずだ♪ しかも契約なしに放り込まれたおかげで、流れで管理人が契約することになったわけだけど☆ まああの管理人が契約して幻獣側に影響が出ないわけないよね♡」
「えっと……つまり、今回の暴走は管理人に原因があると?」
「原因というか、切っ掛けかな♪ そしてその切っ掛けを誘導したのは誰であろう、アリスちゃんだ☆」
「流石に難癖が過ぎませんか……?」
「じゃあどうして大魔術師のオジサマから幻獣界逗留魔術師に依頼が行ったことになってるのに、その当人が把握していないんだろうね?」
「…………」
「今回の件は流石に事が大きくなりすぎたから、セシルちゃんも自分で調べたんだよ♪ そしたらオジサマ名義で幻獣界にコンタクトがあった形跡があるのに本人は知らないと来た☆ まあオジサマがきちんと仲介していたら契約済みの適役な中位ドラゴンが派遣されてたはずだから、本当に知らなかったんだろうね♡」
「…………」
アリスは沈黙を返し、セシルの言葉を待つ。
山積みの魔術書に腰を下ろし、セシルは推論を続けた。
「そうなると自然、アリスちゃんが直接幻獣界に依頼を出したことになるんだろうけど、でもだとしたら一個分からないことが残るよね☆」
「……何でしょう」
「オジサマ本人にも感知できなかった幻獣界への依頼発信が可能なアリスちゃんが、どうしてわざわざオジサマ名義を騙ったのかなって♪」
手遊びのように積まれた魔術書から一冊持ち上げ、パラパラとめくり、また戻す。
その行為そのものに魔術的な意味が付与され、室内に張り巡らされた魔力回路がぐるりと獲物を締上げる蛇のように廻り、アリスに向けられる。
アリスはじわりと冷や汗が滲むのを感じながら、下手に動くこともできずに弁明する。
「それは……あなたからの依頼を連盟が表立って受けることは出来ないからで……」
「だから、そこがおかしいじゃん♪ オジサマにセシルちゃんから依頼があったって痕跡が残ってたんだよ☆ さりげなく、それでも丁寧にね♡」
「…………」
「セシルちゃんからの依頼であることを秘匿したいなら、オジサマへの依頼ってことにする偽装工作は完全に無駄じゃん♪ まあオジサマへの嫌がらせって線もないわけじゃないけど、でもその一手間のおかげでオジサマを騙ったのは誰かってことと、ティアマトの件で芋蔓式にセシルちゃんの所在がバレちゃった件で、連盟は蜂の巣をつついたようなお祭り騒ぎだ☆ セシルちゃん、これでも連盟の最高額賞金首だからね♡」
パラリ、と部屋中に置かれた魔術書が触れてもいないのにページが持ち上がる。
それは一冊二冊と伝播し、数千数万の魔法陣を形成し青白い光を発していた。
「んで、ここまでの騒ぎにしてまで何がしたかったんだーって考えたけど、やっぱ一個しかないよね☆」
ゆっくりと魔術書の表紙をなぞり、セシルは自虐的に口元を歪めながら舌を上下させた。
「セシルちゃんの捕縛だ」
常の口調が閉じられ、言葉にも魔力が込められる。
「やってくれたな、連盟諜報部。ここまでするとは流石に予想外だったよ。こっちは気のいい取引相手になれたつもりでいたんだけどなあ。残念ながら一方的な片思いだったわけだ」
「……これでも」
今にも部屋中の魔術が暴発しそうな空気の中、アリスは小さく笑った。
そこには、異世界邸管理人補佐として歴戦の問題児たちに振り回されている小動物のような雰囲気はなくなっていた。
「バランスは取っていたつもりだったんですよ。大魔術師様とあなたを繋ぎ、諜報部に詳細は伏せつつ、三者均等に利が得られるように慎重に動いてきたのです。ですが、そもそもの前提が伏されていたことが判明した――これはどうしようもなく、言い繕うことも出来ないほどの契約違反です」
「何?」
「あなた、〈全知の公文書〉の『端末』だったんですね」
「――ッ!?」
瞬間、室内の魔力の動きが止まる。
それと同時にアリスの纏う空気が変わった。
「過去、現在、未来の世界情報が記録されている概念図書。その情報蓄積のためにあらゆる世界、時代に無数に配置された観測装置としての役割を持つ『端末』ですが、大多数の装置は自身がそうであると知ることなく寿命を迎える。稀に自身が『端末』であると自覚する装置もありますが、だからと言って己自身に影響がないため何かすることもなく、寿命と共に観測の役割を終える」
部屋を満たしていた魔力の主導権がパチパチと音を立てながらひっくり返される。
魔力回路は色を失い、魔術書は閉じられ、空気すらも停滞してしまう。
「しかしこの世界でこれまでに一人だけ『端末』の役割から抜け出し、観測装置としての知識欲を己のためだけに満たしている者がいる」
「なん……で、それを……!」
「簡単なこと。今代の連盟諜報部責任者――彼女はこの世界における〈全知の公文書〉の『編纂者』だからです。ついでに言うと、私も『端末』ですよ」
まあ人格移植実験による後付けですが、とアリスは薄い笑みを浮かべた。
「さて、ご理解いただけましたか? 『編纂者』はあなたという異常端末を許諾しません。これまであなたに蓄積された情報を回収し、役割を再設定することが決定しました。ご同行願います」
「……やれやれ」
半ば諦めたような表情を浮かべながら、セシルが肩を竦める。
それを見て一歩、アリスがセシルへと歩み寄った。
しかし。
「勘弁してくれよ。これからフランちゃんと大事な大事なお仕事があるんだよ」
「……ッ」
しかしセシルはそれを振り払うように腕を薙ぎ、瞬時に全身の魔法陣を起動させた。
「舐めるな! それで易々と頷くくらいなら、『端末』を抜けちゃいないんだよ!」
部屋の魔力の主導権は奪われたが、体に直接刻まれた陣とそこに込められた魔力はまだセシルの支配下にある。足りない分は部屋の魔力を強引に奪いながら術式を形成し、不可視の鏃をアリスへと向けた。
「……理解に苦しみますね。『端末』だからと言って、生き方に干渉されているわけでもない。わざわざ役割を外す意味はないでしょう」
「人格移植実験で生まれた君が言っても冗談にしか聞こえないぜ? 意味? はっ、そんなの至極簡単! セシルちゃんの知識欲はセシルちゃんだけのものだ!」
ベロリと舌を差し出し、そこに彫り込まれた魔法陣を起動させながら挑発を返す。
「〈全知の公文書〉だか知らねえが、セシルちゃんの知識を横から盗み見されるのが心底気に食わない! 虫唾が奔る! それだけの話だ!!」
「……なるほど」
セシルの言葉に頷きはしたものの、アリスは表情を変えることなくゆっくりと瞬きをした。
次の瞬間――
「が、ふ……!?」
セシルの胸から腕が生えるように伸びた。
否、背後から貫かれたのだ。
その手は血で塗れていたが、浅黒い肌とわざとらしいほど愛らしいたっぷりのフリルが施されたシュシュには見覚えがあった。
「――ミ、ミぢゃ……!」
「申し訳ありません、セシル様。」
いつも通りの口調で抑揚の感じられない声音でセシルの耳元で謝罪を口にした助手――ミミは、手のひらに魔法陣を浮かべた。そして術式の起動が完了すると、そこに一枚の魔術符が出現したのだった。
「……っ、クソ……」
それを忌々し気に見つめながら吐き捨てると同時に、セシルの体が光の粒子に包まれる。
そしてセシルの姿は跡形もなく消え、後にはしおりが浮かんでいるだけだった。
「…………」
「ご苦労様です。実験体No.0707――いえ、ミシェール・ミルキーウェイ」
「……これでセシル様の命は見逃して頂けるのですよね。」
ミミは血で濡れたままの手でしおりを差し出しながら、重々しく再確認する。その指にはグッと力がこもっており、幼稚な抵抗にアリスは感情の読めない薄っすらとした笑みを浮かべた。
「ええ、勿論。『編纂者』の名に誓って。まあ全くの放免というわけにはいきませんし、『端末』再設定後は認識阻害と記憶調整はさせてもらいますが」
「…………」
そんな抵抗は意に介さず、ミミの手からしおりを抜き取り、ローブの懐から取り出した魔術書をパラパラとめくり、その間に挟み込む。きちんと術式が機能しており、そこに絶命直前に状態でセシルが封印されているのを確認すると、再び懐へと戻した。
「とは言え任務は完了です。この後は一度『編纂者』の元に戻らなければなりません。彼女が『端末』を抜け出して数百年分の情報の抽出ですからね――あの方も多少の時を要しましょう」
「……その間、セシル様が不在となれば、管理人は許さないのではないでしょうか。フランチェスカ様との任務もあると聞きました。」
ミミがそう問うと、想定内である頷きながら踵を返し、部屋の出入り口へと足を向けた。
「でしょうね。なので彼女に見立てた木偶人形を代わりに置いていく予定です。ちょうど奥様の家庭菜園に手ごろなかぼちゃが生っていましたね。それを使いましょう」
「かぼちゃ、ですか。」
「ええ、かぼちゃです。やはり木偶人形を作るにはかぼちゃが最適ですよ」
本心なのか冗談なのか分かりにくい言葉と共に鼻歌を奏でながら、セシルの研究室を後にする。
「――Bibbidi-Bobbidi-Bibbidi-Bobbidi-Bibbidi-Bobbidi-Boo」
その背中を暗い闇のような瞳で見つめながら、ミミはセシルを貫いた手を力なく握りしめた。




