ティアマトの真相【Part夙】
とある世界にある雪山。
猛吹雪の中、そこに建てられた簡素なロッジにアルパインウェアを纏った男女が転がり込んできた。
「だーくそっ! いきなり吹雪いてきやがった!? なんでこんなところ調査しないといけないんだ!?」
「……寒いのは苦手です」
耳まで覆うニット帽にアイウェア、アイゼンを装着した登山靴といった雪山装備の二人は、即座に扉を閉めるとロッジ内をざっと見回した。そして暖炉を見つけるや否や、男が手を翳しただけで残っていた薪が発火する。
「……マスター、火ならウェルシュが」
「お前の炎だと薪ごと一瞬で消し炭だろ」
二人はニット帽とアイウェアを取る。どちらも少年少女と呼べる若者だった。少年は黒髪の日本人。少女は燃えるような赤髪を後ろでローツインテールに結っている。
「吹雪が止むまで休憩だな。てかなんでこんなところに都合よくロッジなんてあるんだ? 幻獣界だろ?」
「……ウェルシュにはわかりません」
幻獣界に人間はいないが、エルフのような亜人は生息している。彼らが建てたものかもしれない。もしくは世界魔術師連盟が何度か調査隊を送っているようなので、その時の名残か。
なんにせよ助かった、と少年は壁際に腰を下ろした。すると赤髪の少女も隣にピタリと寄り添ってくる。彼女は少年と違って人間ではなく、ア・ドライグ・ゴッホと呼ばれるウェールズの赤き竜――通称ウェルシュ・ドラゴンだ。火竜なだけあって傍にいるだけで温かい。
そして少年――秋幡紘也は大魔術師の息子である。
とはいえ、紘也本人を魔術師と呼ぶかは微妙だ。かつては神童レベルの天才だったが、ある事故を切っ掛けに魔術を構築するための回路が封印され、現在は魔力操作しかできない。ただし、その魔力操作で属性変化して火を起こすといった具合にだいぶ器用なことはできるようになった。
「ウロもこっちに来れたらな。もうちょっと快適になったんだろうけど。喧しさとウザさを
天秤にかけると微妙なところだが」
「……ウロボロスは幻獣界を出禁になっています。世界間移動時に弾かれるので、幻獣界には来られません」
「ホントになにやらかしたんだ、あいつ?」
詳しいことは省くが、その辺も含めての『調査任務』だ。紘也にはもう一体契約幻獣がいるのだが、そいつは文字通り死ぬほど足手纏いになりかねないから知り合いの陰陽師に預けている。ウロボロスと二人きりで留守番させるのもそれはそれで危険だから。
「そういえば、あいつはあっちでちゃんとやってるんだろうか?」
「……ティアマトのことですか?」
紘也たちが幻獣界で知り合った始祖竜だ。最初は友好的とはいかなかったものの、なんやかんやで和解してちょっとした頼みくらいは聞いてくれる仲になっていた。なんやかんやは、なんやかんやだ。
「親父の使いって人から『子育て得意そうな竜がいたら紹介してくれ』って言われてティアマトに行ってもらったけど……大丈夫かなぁ。アレけっこうな豆腐メンタルだからなぁ」
「……なのに偉そうにしててウェルシュは好きじゃありません」
「ティアマトの方はウェルシュ大好きっぽかったけどな」
「……嬉しくありません。ウェルシュはドラゴンが嫌いです」
ウェルシュに対して『我が子我が子』と言いながらベタベタくっついた姿が今でも鮮明に思い出せる。その時のウェルシュの死ぬほど嫌そうな顔も。
「向こうで竜の子供でも生まれたのか? リヴァイアサン? ヴィーヴル? まさかドラゴニュートじゃねえよな?」
「……ウェルシュはマスターとの子供が欲しいです」
「親父の契約幻獣以外だと知り合いはケツァルコアトルくらいだが……俺が知らない竜かもしれんな」
「……スルーは悲しいです」
しくしくと涙するウェルシュはテキトーに頭を撫でてやり、紘也は暖炉の火を眺める。
「まあ、クーリングオフされてないから上手くいってるんだろ」
†
「はぁ!? ティアマト送ってきたの紘也少年だって!?」
世界魔術師連盟懲罰執行部――魔術結社『天光』の事務所で、部下からの調査報告を聞いた秋幡辰久は素っ頓狂な声を上げた。
「はい、諜報部の人間に『主任からの依頼』という形で話が通っておりまして……」
「どういうことだってばよ?」
部下の女魔術師は困ったように眉を寄せて報告を続ける。
「まず、例の邸で竜の卵を育てられる存在が必要になりまして……」
『良い感じの野良ドラ送ってって伝えてー☆』
『分かったのです』
「――と、あの方から伝言されたアリスさんが諜報部に依頼を」
『良い感じの野良ドラ送ってくださいなのです』
『りょ。アリスからってことは、秋幡君からの依頼やな。せや』
「――と、諜報部が勝手に勘違いをし」
『良い感じの野良ドラ送ったってー。君のパパからの依頼やねん。現地直送でオーケーやで』
『分かった』
「――と、こちらへの確認もせず紘也君に依頼が行ってしまったようです」
「もぉおおおおおおおおうしっかりしてよ諜報部ぅうううううううッ!?」
経緯の説明が終わると、辰久は頭を抱えて机に突っ伏した。数分間イヤイヤと頭を机に擦りつけてから、辰久は通話魔術を起動する。相手はもちろん、ティアマトを送ってきた張本人。
だが、待てど暮らせど息子は応じなかった。どうやら通話魔術が届かない環境にいるようだ。別世界だからそういうことも多い。
「……まあ、出元が安全だとわかっただけよしとするんだぁよ。あの邸の過剰戦力は今さらだし、ティアマト一体増えたくらいなら構わないんだけども」
辰久は指でトントンと二回叩き、別の魔術を展開。魔法陣からプロジェクターのように『あの時』の映像が壁に映し出される。
「アレは、ちょろっと判断に迷うところだよねぇ」
それは、例の事件の最後。邸のあった場所から飛び出した〝異形〟を映した光景だった。
あの時点で敵対的でないものだということは、落下していた空中要塞を呑み込んだことで明らかだ。アレがなければ被害は邸、いや紅晴市だけでは済まなかっただろう。
神、それも機械仕掛けの神が所有する要塞の墜落。最悪のケースを考えれば、世界が滅ぶ一歩手前だったかもしれない。
それを吞み込んだということは、その膨大なエネルギーを所有してしまったということでもある。いや、そんなものはまだちっぽけだ。なにより異形そのものが脅威である。我関せずで放置できればどれほどいいか。
「あの邸への干渉は、我々だけでは決めかねますよ」
「わかってる。めんどくさいしがらみだらけだもんねぇ。あーやだやだ」
恐らく、今頃は他の組織でも議論が飛び交っていることだろう。
「近々、緊急の幹部会議が開かれるかと」
「それもめんどいんだけども。あー、その前にたぶんあの件が先に動くよね? 流石にバレちゃったっぽいし。『邸』への干渉はタブーだけれど、『個人』への干渉に抑止はない。下手するともう既に……」
「! 急ぎ、確認します!」
ハッとした女魔術師が慌てて退出するのを見送り、辰久は大きく溜息を吐いた。
「さてさて、どうなんのかねぇ。こればっかりはおっさんも予測できないんだぁよ」




